芭蕉
「奥の細道」より
半紙(一番唐紙)
春立(たて)る霞の空に 白川の関こえんと
そぞろ神の物につきて心をくるはせ
道祖神のまねきにあひて 取るもの手につかず
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これだけ短い文の中に
「そぞろ神」「道祖神」と2人(?)の神様が登場します。
よっぽど芭蕉の「漂泊の思い」というのは
自分でもどうしようもない衝動だったのでしょう。
ちなみに「そぞろ神」は
一続きの名詞として「なんとなく人をそそのかす神」という意味ととる説や
「そぞろ」に「神」が、というようにとって
「むやみやたらと神様が」という意味にとる説があるようです。
どっちにとっても、意味は似たようなもの。
ぼくは「そぞろ神」という神様がいたほうが面白いと思います。
かなり、ぼくには親しい神様ですから。
引きこもり系なのに
春になってお天気がいいと、
どうにも気持ちが落ち着かずに
カメラもって外へ行きたくなる昨今、
非常に共感するところです。