半夏生(はんげしょうず)
7/1〜7/6頃
ハガキ
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我が家の庭にも、半夏生がきれいに咲いています。
日本近代文学の森へ (28) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(2)毒薬を飲む女』その4
2018.7.4
よせばいいのに、有楽座(1908年(明治41年)12月1日に開場し、1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で焼亡した、日本初の全席椅子席の洋風劇場。数寄屋橋の東北約150mにあった。坪内逍遥らの文芸協会、小山内薫らの自由劇場、池田大伍らの無名会、島村抱月らの芸術座、上山草人らの近代劇協会ほか、新劇上演の拠点になったことなどで知られる。《ウィキペディア》)での長唄だの歌沢だのの演奏会に、義雄はお鳥を連れて出かけたが、そこへ千代子が乗り込んできて、大騒動となった。仲間の手前、義雄はなんとか二人を外へ連れ出したいと思うのだが、それがどうにもならない。半分気がふれたようになった千代子の言動は異様な迫力に満ちていて、読んでいてもドキドキしてしまう。
番組第五の長唄「綱館(つなやかた)」が六左衞門等の絃(いと)で進行中、伊十郎が例の通り自慢らしく大きな音をたてて鼻をかんだのが、つい厭になつた爲め、氣を變へようとして席を立つた。すると、義雄は出口に近い一番後うしろの、誰れもゐない一列の椅子の一つに腰かけて、黒い羽二重の羽織りを着た千代子が、痩せこけた顏から兩の眼を飛び出させるやうにぎろ/\させて、こちらを見てゐるのに出くはした。
「こいつだ、な、お鳥を何かの手段で呪つてると云ふのは!」直ぐにもなぐり付けたかつた。が、あたりにこの會の内輪に屬する連中がゐるので、からだ中にみなぎる怒りの顫へを微笑にまぎらせ、そツとその前の椅子に行きながら、成るべく小さな聲で、「お前も來たのか?」
「お目出たうございます!」
「‥‥」渠は吹き出したかつたが、かの女の多少は遠慮してゐるらしい聲が、持ち前の癇性を運んで、ぴんと靜かな聽衆の耳に響いたと思はれたので、この演奏會のレコード破りをやつたやうな申しわけ無さを感じた。
「あなたばかりがいいことをして」と、こちらばかりに恨めしさうな目を注いで、「うちのものはどうするんです?」
濱野孃や常任幹事の細君がじろ/\こちらを見てゐた。義雄は腰をかけたでもなくかけないでもなく、かの女に向つて椅子の背にもたれてゐるのに氣がついた。
なほいつものやうな事を千代子が云つてるので、義雄は默つて廊下へ出てしまつた。が、かの女はついても來なかつた。
ふら/\歩きながら、暫く氣を落ちつけて見ようとしたが、どうしても義雄の怒りと不面目な氣とが直らなかつた。
「千代子が來てゐるから、きツと面倒が起る。直ぐ歸れ」と、名刺の裏へ鉛筆で書き付け、案内の女に託したら、
「隣りのお方が取つてしまひました」と云つて、歸つて來た。
渠が扉に付いてるガラス窓の羅紗をあげて、のぞいて見ると、渠の席へちやんと黒い羽二重の紋付きがかけて、メリンス無地の牡丹色の被布(ひふ)と並んでゐる。そこばかりが見すぼらしいやうに思はれて、お鳥をつれて來るのではなかつたと後悔された。迫(せ)めて被布が道行きで、道行きがメリンスなどでなく、且、都會じみた柄であつたらいいのに──かの女がいい氣になつて着てゐるのを幸ひに、何も新調してやらないのも、あんな下らない病氣の爲めに、かの女の病院通ひの入費がかさんだ爲めだ。
「馬鹿々々しい!」渠は自分で自分を非難しながら、別な扉から這入り、夫婦で來てゐる大野のそばに行き、渠に廊下へ出て貰ふやうに頼んだ。
「僕もさツきから」と、大野は酒くさい息を吹きながら、「何か事件が起るぞと云つてたのだ。困つた、ねえ。」
「兎に角、君が行つて何とかこの場だけは無事に濟ませて呉れ給へ。」
「何でも君の細君を一先づ外へ出して、なだめるんだ、ねえ。」
「ぢやア、頼む!」
義雄はまた扉の窓からのぞくと、新式な洋服を着た紳士然たる友人が聲をひそめるやうに千代子の顏に近づいてゐると、かの女は何か云つて、つんけん/\と顎をあげてゐるのが見える。氣違ひ聲がここまで聽えるやうだ。
やがて大野は出て來たが、
「駄目、駄目!」首をふりながら、「相變らず分らない、ねえ。おれの云ふことなんか、田村の友人だから、信じないツて。」
「困る、なア。」
「今夜こそ逃がさないで、方(かた)をつけると云つて、──ちやんと片手で」と、大野は口を結び、目を据ゑ、ちから強く握つた右の手を出して見せ、「向うの袂をやつてゐるよ。」
「仕やうのない奴ぢやアないか?」
「それもいいとして、さ、一方も亦大膽ぢやアないか? 見ツともなく袂を握られながら、どうせ來たのだから、わたしもおしまひまでゐませうツて。」
「おい、君」義雄は堪らなくなつて、「今一度二人を呼び出して呉れ給へ──どんなことが起るかも知れないから。」
「いやな役割だが、ねえ」と云ひながら、大野はまた這入つて行つたが、ぷり/\怒つて出て來た。「もうはふツとけ、はふツとけ──バーに行かう。」
女房が乗り込んできたのに、お鳥の着物がもうちょっといいものだったらよかったのに、なんて思っている義雄は、自分でも馬鹿馬鹿しいと思っているようだが、実にフシギな男である。友人たちの手前、なんとか、ここだけでも穏便にすませたいと焦る義雄の俗物性を、泡鳴は見事に(自分のことながら)暴きだしてみせている。
ようやく演奏会の幕も下りて、千代子もお鳥も会場の外の石段の上に出てきたが、千代子はまだお鳥の袂をしっかりつかまえて離さない。静子は、夫の大野を探しているので、義雄が探しにいくと、なんと大野は酔っぱらった巡査につかまっている。なんでも、妻に接吻をしているところを見たとかで、「風俗壊乱」の罪で警察へ来いといわれて腹をたてている。巡査は、演奏会場へ入れてもらえなかった腹いせで、そんな言いがかりをつけているらしい。大野は静子と接吻していたわけではなく、耳元で義雄たちの事情を話していただけなのだが、巡査はしつこい。こんな時代だったんだなあと隔世の感。
ここに出てくる大野というのは、義雄の友人の画家だが、その妻の静子は、かつて義雄とも親しかった女。友だちの間では、この二人には関係があったと思っている者もいるようだと書かれている。義雄、千代子、お鳥、大野、静子という多人数の会話の描きかたの巧みさには、舌を巻く。そしてまた、ここには、思わず吹き出してしまうおかしさがある。
演奏会場からの帰り道の場面だ。
數寄屋橋から日比谷公園に至る道で、女どもの後ろに追ツ付いたが、靜子が昂奮した口調で早口にお鳥に物を云つてるのが聽えた。
「だから、ね、早く田村さんと別れるやうにおしなさい──どうせ、いつか、棄てられるにきまつてますから。」
「‥‥」
「ね」と、のぞき込むやうにして、「分りましたか?」
「‥‥」お鳥が高いあたまを少し頷(うなづ)かせるのが見えた。
「あなたも」と、靜子はちよこ/\千代子のがはにまはり、「あまりひどいでせう?」
「何がひどいのです!」千代子はその方へ向いて、顎に力を入れながら、「わたしが頼みもしないことを持つて來て、大野さんがぐづ/\云つたのです。」
「馬鹿を云ふな!」義雄も默つてゐられなくなり、つか/\と出て行つて、妻と、それから今の巡査とに對して押さへてゐた忿怒(ふんぬ)を一緒にして、この言葉と同時に、かの女の横ツつらを思ひ切りなぐつた。
「そんな野蠻なことを——」靜子はとめようとした。
「おれが貴さまを追ツ拂ふやうに大野君に頼んだのだ!」
「おほきなお世話です──かうしてつかまへてる以上は、うちまで引ツ張つて行つて處分を付けます。警察へでも、どこへでも突き出してやる!」
「あなたも少しお考へなさいよ、田村さんの──」
「考へた上のことですから、ね!」
「わたし、もう、知らん!──田村さんは女をみんなおもちやにしてしまはうとするのです」と、靜子は立ちどまつて泣き出した。すすり上げながら、「そんな人でもなかつたのに!」
義雄は引き入れられるやうな感じがして、かの女の姉妹と直接に行き來してゐた時のことを今一度親しく思ひ浮べさせられた。そばへ行つて、
「兎に角、ねえ、奧さん、これから大野君の家へ行つて、あいつによく以後こんなことをしないやうに話して貰ふつもりですから。」
「兎に角、奧さん」と、大野も千代子をなだめるやうに、「これから僕の家へいらツしやい。」
「わたし、不賛成です!」靜子はからだを振つて、その所天(をつと)から一歩を退いた。「田村さんのやうな人は、もう、來て貰ひたくありません。」
「貴さまにそんなことを云ふ」と、大野はおも/\しい聲を出して、「權利があるか?」
「わたしだツて、大野さんのところなどへちツとも行きたかアありません!」
「默れ!」義雄は妻の言葉を制してから、友人に向ひ、「君まで夫婦喧嘩をしちやア困るぢやアないか!」
「あいつが獨り勝手な横暴なことを云やアがるから!」
「ぢやア、わたしはあなたの家庭をおいとま致します。」
「勝手にしやアがれ!」
「そんなことを云ふなよ、君。」
「なアに」と、大野はまた巡査に向つた時のやうに怒りの聲を顫はせて、力づよく、「生意氣なことを云やアがる!」
お鳥はただ默つて、何かの機を見てゐたのだらう、この時、さきを握られてゐる自分の袂を兩手で攫(つか)んで、うん—うん—うんと云ふやうに、左右に三度振つたかと思ふと、それが千代子の手から離れた。
「あんなことをしましたよ」と、千代子は甘えるやうに義雄を見あげたので、渠はいやで/\ならない妻がまだこツちに頼る氣があるのだと知つて、自分も逃げ出したくなつた。
友だちの夫婦喧嘩を仲裁しているうちに、自分たちも喧嘩になっちゃう大野夫妻、スキを狙って千代子の手を振り払うお鳥、「あんなことをしましたよ」と甘える千代子──もう、ほんとに泡鳴ってうまいなあ。