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日本近代文学の森へ (27) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(2)毒薬を飲む女』その3

2018-07-02 10:56:31 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (27) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(2)毒薬を飲む女』その3

2018.7.2


 

 妻の千代子がはやく死んでしまえばいいとまで思っていた義雄だったが、死んでしまったのは、子どもだった。



 義雄の耳は一向にはか/″\しくないのもまどろツこしくて溜らないのだが、痔の方がよくなつて來たので、學校の冬期試驗をやりにも行くし、段々氣力も恢復した。
 すると、自分の身に纏ひ付いたすべての面倒を早く振り切つて、早く樺太の事業に對する計畫に直進したくなつた。
 自分の耳も面倒だ。いとこの重吉が北の方からこちらの電報に對してまだ便りのないのも面倒だ。病人のお鳥も面倒だ。然し最も面倒なのは、夫婦に關する法律の規定と父の遺言とを楯に取り、我善坊の家にがん張つてゐるヒステリ女である。
「人を呪へば穴二つだ──早くあの千代子がくたばつて來(く)れりやア」と云ふ願ひが、義雄の胸を絶えず往來してゐた。ところが、意外にも、死んで呉れたのは千代子でなく、かの女が里にやつてあつたのを取り返した赤ん坊だ。



 原因はジフテリアである。この病気は最近の日本では耳にしないが、いわゆる「三種混合ワクチン」の摂取によって感染がなくなったようだ。しかし当時の日本では、ずいぶんとこの病気で命を落とす人がいた。

 子どもがジフテリアにかかって大変だから、来てやってほしいと千代子がお鳥を訪ねてきたことを知った義雄は、まず、どうして千代子にここが分かったのか不審に思う。聞いてみると、こんな次第だ。

 


「來たよ」と、かの女は半身を枕からもたげて、こちらを恨めしさうに見た。
「何が?」
「あいつが、さ。」
「さうか?」枕もとに坐つて、そ知らぬ風はして見たが、心のうちはかき亂されてゐた。第一、どうしてここを嗅ぎ付けただらう? 靈感などと云つても當てになつたものぢやアない。さきに、森のある近所などととぼけたのも、誰れかに聽いて知つてゐたのかも知れない。或は、また、先月の龍土會の歸りに麹町の詩人がそばまで來たから、あの男から大體の見當を聽いて來たのだらう。また、あんなに影が薄かつたのは病兒の看護に疲れたのに相違ない。それにしても、自分自身で出て來たのを見ると、子供はたとひ危篤だとしても、こちらが全く可愛がつてもゐないので、向うも燒けを起して來たのだらう。
 かう考へると、千代子の身の周圍を可なり興味づよく纏ひ付いてゐたこちらの不思議な幻影や、可なりおそろしく想像してゐた呪ひの魔力(まりき)や、罵倒しながらもかの女の子煩惱を取り柄として子供のことは委せ切りにしてあつた安心、などは全く消えてしまつた。が、きツと、かの女とお鳥とはまた云ひ合つてゐたのだと思つたので──それでわざと三時間ほどもよそへまはつてゐたのだが──その面倒くさい報告を聽かせられるのがいやであつた。
「また喧嘩したのだらう?」
「喧嘩などしやせん。」
「ぢやア、あがらなかつたのか?」
「さう、さ。」
「‥‥」それぢやア、まだしもよかつたと、義雄は多少氣を落ち付けた。
「でも」と、かの女は言葉を續け、「隣り近所へ入(い)らないことまでしやべつて行つた。見ツともなくて、もう、ここにもをられませんぢやないか?」
「どんなことを云つたのだ?」
「どんなことツて──」お鳥がふくれツつらをして語つたのに據(よ)ると、千代子は先づ辨當屋に當りを付けて這入り込み、そこでこちらのゐどころを確かめ、そこを出てからお鳥のもとゐた大工に行き、またその隣りの蒲團屋にまで行つて、お鳥に關することを洗ひざらひしやべり立てたのである。お鳥は、また、下の女から、それを聽かせられ、氣になつて溜らないので、寢床から飛び起きて、千代子のまはつたさきを自分も一々まはり歩いて、自分の辯護をすると同時に、向うの惡口も吹き立てて來たさうだ。
「どいつも、こいつも仕やうのない女どもだ、なア。」
「でも、皆がをかしな人だ、目ばかりきよと/\させて、聽きたくもないことをわざ/\しやべりに來て、と云うてゐた。」
「お前も云つたのぢやアないか?」
「あたいのはあとのことぢや──然し」と、お鳥は餘ほど讓歩してやると云ふ態度で、「子供が病氣なのは可哀さうだから、行つておやり。」
「そりやア、行くが、ね──」考へて見ると、第一子(女であつた)もヂフテリヤの苦しみに枕もとの小ランプを攫まうとしながら死んだ。第三子(男であつた)も同じ病氣であつたが、母に抱かれながら、なぜこんな苦しい目に會はせるのかと云ふやうな目附きを殘して死んだ。第一子の時は初めての子でもあるし、二年二ヶ月も生きた記念があるので、殘念に思つたが、第三子は自分からの子として二度目の死でもあるし、たツた九ヶ月をさう抱きもしなかつたから、惜しくはなかつた。今囘の赤ん坊に至つては、見たことさへ稀れな上に、どうせまた死ぬのだらうと思ふと、全く愛着が起らない。



 義雄が病院へ行ったときは、もう子どもは死んでいた。それでも、義雄はちっとも悲しまない。せめて死に顔だけでも見てやってくれという千代子に義雄はヒドイことを言う。



「まア、兎も角、死んだ兒の顏でも見納めに見ておいでなさいよ。」かう千代子が勸めたのにも意地を張つて、義雄は何か反抗の意味を云ひ返さないではゐられなかつた。
「血の氣のなくなつた顏などア、手めえのを見てゐりやア十分だ、──手めえマイナス氣ちがひイクオル死だ。子供は目をつぶつて、口に締りがなく、土色をして固くなつてるだらうが、そんなものも、もう、何度も見飽きてらア。」



 義雄の口の悪いのはもう慣れっこではあるけれど、ここまでくると唖然とする。しかし、これとても、義雄の「本心」ではないだろう。千代子への憎しみ、子どもへの無関心も、「本心」ではあるけれど、それでも、義雄の心には、「それ以外」のものもある。言葉にならない思いがある。けれども、言葉になると、こうしたとんでもない罵詈雑言になってしまうのだ。

 義雄の「本心」はなかなか見えないけれど、次のようなところをじっくり読むと、義雄の悲しみが切々と胸に迫る。



 やがて義雄の弟がやつて來たので、死骸に付き添つて桐ヶ谷へ行かせることにし、今夜はそこの火葬場の茶屋へとめて貰ひ、あすの朝、骨拾(こつひろ)ひをして歸るやうに命じた。
「とめて呉れるか知らん」と、馨《義雄の弟》はいやさうな顏をした。
「おれが前に經驗があるから、云ふのだ。」
「では」と、しぶ/\承知したので、義雄は渠(かれ)に火葬の手續き證の出來てゐたのなどを渡した。
 人夫の代りに呼んだ車夫も來たと云ふので、知春《義雄の三男。次女の富美子とともに、同じ病院にジフテリアで入院中。つまり、兄弟3人が感染して入院したのである。》の室には看護婦を殘し、千代子もしを/\として、義雄等と共に出て來た。
 死人の置き場が別に隔離室の建物のはづれに建つてゐて、田村の赤ん坊のほかに今一つの棺があつた。いづれにも、別々に蝋燭がともしてある。線香の立つてゐる粗雜な土皿もある。
 二名の看護婦が何か艶ツぽい聲をあげてきやツ/\と笑つてゐたが、義雄等の這入つて來たのを見て、急にしをらしい態度に改まり、火をつけたまま手に持つてゐた線香を棺の前の香皿(かうざら)にさし、
「南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛」と不慣れらしい聲で合唱した。
「たうとう死んでしまつて」と、千代子は棺を見詰めながら、「あんなに親が骨を折つて介抱したのに──憎らしい!」
「そんなことを云つたツて、死人にやア聽えやアしない。」かう云つたこちらの顏を、二名の看護婦はおそろしさうにふり返つて見た。渠自身もまじめになつてる自分の顏にはあごひげが三分ばかり延びてるのが自分の手ざはりで分つてゐた。この數日を剃るひまさへなかつたのだ。
「くるま屋」と、渠は怒鳴り付けるやうな聲で、──「これを乘せるのだ。」
「へい。」車夫はおづ/\棺に手をかけたが、輕いので、造作もなくその肩で運んだ。
 先づ馨が乘り、それから蹴込みへ白い布をかけた箱を乘せたのを見て、通りかかつた醫員が立ちどまり、
「何ですか、それは?」
「棺です」と、義雄はきつい、尖つた聲で答へた、分り切つてるぢやアないかと云はないばかりに。
「御注意までに申しますが、ね、知れると車は警察でやかましいのです。」
「ぢやア、これで包んでおやりなさい」と、千代子は自分の卷いてゐた絹の肩掛けをこちらへ渡した。醫員はそれを見て默つて本館の方へ行つてしまつた。
 一番長く──と云つても、きのふの夕方から──看護した若い婦人が一人、義雄等と共に裏門まで車に附いて來た。
「殘念だ、ねえ、もう、これツ切りかと思ふと──」
「お氣の毒でした、わ、ね。」
「桐ヶ谷だよ。」義雄が念を押すと、
「へい」と、車は駈け出した。
 歳の暮に近いさむ風がそのあとをひゆう/\云つてるのに義雄は氣が附いた。
 千代子はすすり泣きをして、袖を目に當てた。こちらも胸が一杯になつたが顏を反(そ)むけて、愁ひの色を隱した。そして、氣を無理に持ち直して考へた、死に行くものは自分に關係がない──亡父でも、自分に殘して呉れたのは、ただ梅毒もしくは痔と僅かな財産だけだ──千代子も死ね、お鳥も死ね、入院してゐる二名の子も死ね、さうしたら、最も冷たい雪や氷の中へでも、自由自在に自分の事業をしに行けると。
「さうだ。どうしても、わが國の極北へ行かなければならない──でないと、あいつ、意志が弱いのだ、爲(す)る/\と吹聽ばかりして、何も着手しない、と云ふ、友人間のそしりを脱する事が出來ない。」

 


 名文だなあと思う。骨の髄まで憎しみあっている義雄と千代子だが、ここには子どもの親としての情が濃密にからみあって流れているいる。それが、子どもの死を「他人事」としか考えられない看護婦や醫員の態度と鮮やかに対比されている。

 「愁ひの色を隠し」そして「気を無理に持ち直して」、みんな死んでしまえ、そうすればオレは自由だと心の中で叫ぶ義雄の思いの深さにうたれる。





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