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日本近代文学の森へ (29) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(2)毒薬を飲む女』その5

2018-07-07 10:35:32 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (29) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(2)毒薬を飲む女』その5

2018.7.7


 

 有楽座を出て、夫婦のいさかいに大野夫妻も巻き込んだあげく、義雄は、千代子を振り切ることもできずに、夜の道を歩いて行く。

 

 義雄は千代子に引かれて、電車通りを、公園のふちに添つて歩いてゐたが、あの鶴子(以前、モデルにするために、義雄が音楽倶楽部へ連れて行った女。その女とは「無関係」だったのだが、倶楽部の人間に怪しまれて恥をかいた。)の爲めに遠のくやうになつた倶樂部の連中に、またこんなことがあつた爲め、又と再び會はせる顏がないかのやうな恥辱に滿ちて、一言も口を聽かなかつた。
 かの女も亦胸が張り詰めてゐるのを、その息づかひに現はした。かの女が月が滿ちた時に、よく苦しさうな息づかひをしたが、そのやうに肩で息をしてゐるのが、義雄によく分つた。
 公園を外れようとするところにある交番の前へ來ると、かの女はその方をじろ/\見ながら、獨り手に巡査の立つてる方へ義雄を引ツ張つてゐるのであつた。
 義雄は踏みとまつた。それが渠の袂の長さ一杯にかの女をこちらへ引いたわけになつたので、その手ごたへでかの女は氣がついたやうだ。
「わたしはどうかしてゐるやうだ。」かう、かの女は獨り言を云つた。
「訴へてどうなるんだ」と、義雄は極(ごく)さげすんだ意味を心ばかりで叫んだ。この氣違ひ女め! 何を仕出かすかも知れやアしない! が、撒いてしまふ折もうまく見つからない。人通りは少いが、少くとも、一人や二人は絶えなかつた。
 橋を渡つて芝區へ這入ると、直ぐ友人なる辯護士の家があるので、そこへ立ち寄つて話をつけ、今夜はおだやかに別れようかとも考へた。が、大野に迷惑をかけたのを思ふと、重ねて友人を騷がせるでもなかつた。
 成るべく人通りの少い横町などをえらんで引ツ張られて行つたが、
「きやツ」とか「恨めしや」とか、今にもこの女が變化(へんげ)になつてしまひはしないかと云ふ氣持ちが、渠のかの女を度々いぢめて來た記憶から、おそろしいほどに浮んで來た。不斷憎み飽きて、毆り飽きて、またと見たくはない顏を見て、一度でもいやな氣を重ねるでもないと、渠は出來るだけそツぱうを向いてゐた。
「年うへなばかりに増長して!」これは、もう、思ひ出したくもない。今の結婚法が改正せられ、男女どちらかの申し立てを裁判所で受理して、兎も角も訴訟を成立させることが、當分、望めるやうにならないとすれば、ただ/\この、自分には既に死骸の、女を早くどこかの闇へ方(かた)づけさせて呉れる願ひばかりだ。



 女一人に袂をつかまれているだけなんだから、男の力をもってすれば、いくらでも振り払うことはできるはずなのだが、義雄は、それ以上に恐怖にかられている。今すぐにでも、この妻なる千代子が「変化=化け物」に変わるのではないかとおそれおののいている。

 何とかして、この女と別れたいと思う義雄なのだが、それがなかなか実現しない。「今の結婚法」がいかなるものか、ぼくにはよく分からないのだが、離婚が今ほど簡単ではなかったことは確かなようだ。

 


 愛宕下(あたごした)の通りを横切り、櫻川町の大きな溝(どぶ)わきを歩いてる時、物好きにその中の黒い水たまりを人の門燈の光にのぞいて見た。そして、ふと、死んだ實母があか金(がね)の足つきだらひに向ひ、おはぐろを付けてゐるのを、自分はそのわきで見てゐたことがあたまに浮んだ。きたないやうだが、身に滲み込むやうなにほひで、黒い物から出るのか、それとも、吐き出されたそれを受けるあか金から出るのか、分らなかつた。
 ここのはただの溝のにほひに違ひないが、をどんですえ腐つた物の發散する分子がぷんと鼻さきへにほつて來ると、何だかかな臭い氣がして、母が新らしく生き返つて來さうに見える。
「All or nothing ──生でなけりやア、死だ!」
 この間に讓歩はない! 妥協はない! 人間その物の破壞は本統の改造だ──改造はそして新建設だ。ぶツ倒されるか、ぶツ倒すか──そこに本統の新らしい自己が生れてゐる! 渠はかう答へながら、面倒な物を引きずつてゐるにやア及ばない──いツそのこと、握られた袂を、あの、柔術を習つたと云ふお鳥の手を試みて、わけもなくふり切り、千代子を轉がし込む氣になつてゐた。
 溝の黒い水のおもてが暗くなつた。——そのまたうへが闇になつた。──自己の周圍がすべて眞ツ暗になつて——自己も、尖つた嗅覺のさきにをどみの垢がくツ付き、からだ中がひやりとしたと思つた。すると、反對に手ごたへがあつて、
「どうするつもりです、わたしを!」
「‥‥」渠の身の毛は全體によ立つてゐた。
「なアんだ、夫婦喧嘩かい!」かう云つて、黒い影が他方の路ばたを通り過ぎた。もう、十二時を越えたと思はれるのに、矢ツ張り、人通りが絶えない。
「‥‥」かの女は、さツさと、反對の側へ引ツ張つて道を進みながら、「人を水に投げ込まうたツて、そんな手は喰ひませんよ。」
「‥‥」
「それこそ馬鹿げ切つてる!」
「‥‥」渠が逃げようとして、ちよツと踏みとまると、かの女も直ぐ電氣に觸れたやうに手の握りを固めて、こちらをふり向いた。
「殺さうたツて、逃げようたツて、駄目ですよ、直ぐおほ聲をあげて、誰れにでも追ツかけて貰ひますから、ね」
 渠は答へもしないで歩いた。
 避けて來た交番だが、西の久保通りの、廣町角にあるのは、どうしてもその前を──而(しか)も挨拶して──通らなければならないのであつた。父の生きてた時、家へも來て、いつも顏を見おぼえてる巡査がゐる交番だ。
 千代子がここで本統に出來心でも起したら大變なので、その交番の手前で義雄はおのれの袂をふり切つた。
「おまはりさん!」かの女は實際に甲高い聲を出した。
 義雄は自分が水をあびせかけられたと思つて、つツ立つた。幸ひに人力車の響きが通つた爲め、向うへは聽えなかつたやうだが、渠は再び袂を握られてゐた。
 何げないふりをして通る二人を、顏を知らない巡査がゐて、怪しさうに見詰めてゐた。
 若し今の聲が聽えてゐても、こちらが發したのだと思はせない爲めにと、義雄は、ふと、その向う側のそば屋へ這入る氣になつた。千代子もあとからはしご段をあがつて來た。
「こんなところで喰べるくらゐなら、いツそ今一つ向うの、いつもうちで取るとこへ行けばいいのに。」
 もう、自分の物だと思つたのか、かの女の聲は以前よりも落ち付いてゐた。が、義雄は一層いや氣がさして、無言でぐん/\まづい酒をあふつた。



 「電車通り」「公園」「交番」を通り、そして「愛宕下」「櫻川町」「久保通り」「廣町角」と地名が並ぶと、歌舞伎や文楽の「道行き」をいやでも思い出す。それにしても、なんという陰惨な道行きだろう。「道行き」に伴う、エロチックでロマンチックな雰囲気はまるでない。しかし、「お歯黒溝」の黒さと悪臭と、瞬間的に訪れる「殺意」が、この夜の中で異様な光をはなっている。この描写の見事さは、あの『耽溺』のヘタクソな文章からは想像もつかない成熟だ。

 昔から理解しがたい「お歯黒」という習俗は、かならずしも「醜悪」なものではないのだが、ぼくにはどうしても「醜悪」にしか見えない。その「お歯黒」によって黒く染まる溝は、日本の女性たちがなめてきた辛酸そのもののように見える。

 「ここのはただの溝のにほひに違ひないが、をどんですえ腐つた物の發散する分子がぷんと鼻さきへにほつて來ると、何だかかな臭い氣がして、母が新らしく生き返つて來さうに見える。」とは、なんという表現だろう。

 闘病中だというのに、夫は女を囲い、そのいさかいのなかに46歳で没した母の思い出が、「あか金の足つきだらひに向ひ、おはぐろを付けてゐる」姿なのだ。それは母の悲しみ以外のなんだろう。日本の不合理な習俗、習慣(「お歯黒」だけではなくて、「妾」を含めて)の中で生きざるを得なかった母を思い出すにつけ、義雄の思いは、「人間の本統の改造」へと飛躍する。すべてを破壊して、「本統の新しい自己」を生み出したい、そう思う。その時、義雄は、千代子を溝に突き落とそうとしたらしい。そのことに気づいたのは、千代子からの「手ごたえ」だった。

 こうした展開に、少しの無理も感じないのは、これまでの、義雄と千代子の関係を、丁寧に正直に書いてきたからだ。見事である。





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