日本近代文学の森へ (155) 志賀直哉『暗夜行路』 42 町の匂い 「前篇第二 二」その2
2020.6.7
彼はうで玉子を食いながら、茶店の主から、前の島が向い島、その間の小さい海が玉の浦だというような事を聴いた。玉の浦に就いては、この千光寺にある玉の岩の頂辺(てっぺん)に昔、光る珠があって、どんな遠くからでも見られ、その光りで町では夜戸外(そと)に出るにも灯りが要らなかったが、ある時、船で沖を通った外国人が、この岩を見て売ってくれといいに来た。町の人々は山の大きな岩を売った処で真逆(まさか)に持っては行かれまいと、承知をすると、外国人は上の光る処だけを刳抜(くりぬ)いて持って行ってしまった。それからは、この町でも、月のない夜は他の土地同様、提灯を持たねば戸外を歩けぬようになったという話である。
「今も、岩の上には醤油樽にニタ廻りもあるおおけえ穴があいとりますがのう。まあ今日(こんち)らで申さば、ダイヤモンドのような物じゃったろういう事です」
彼は町の人々が祖先の間抜だった伝説をそのままいい伝えている所が、何となく暢気で、面白い気がした。
千光寺の茶店で聞いたこんなエピソードも、おもしろい。まさか、実話ではないだろうが、ひょっとすると似たような話があったのかもしれない。なんか、この岩、ぼくが訪れたときにもあったような、なかったような。通りすがりだったので、記憶があいまいだ。
謙作は、これから自分の住む家を探している。
彼は茶店の主から聴いて、先頃死んだ商家の隠居が住んでいたという空家を見に行った。枯葉朽葉の散り敷いたじめじめした細道を入って行くと、大きな岩に抱え込まれたような場所に薄暗く建てられた小さな茶室様の一棟があった。が、それが如何にも荒れはてていて、修繕も容易でないが、それより陰気臭くてとても住む気になれなかった。
彼はまた茶店まで引きかえして、石段を寺の方へ登って行った。大きな自然石、その間に巌丈な松の大木、そして所々に碑文、和歌、俳句などを彫りつけた石が建っている。彼は久しい以前行った事のある山形の先の山寺とか、鋸山の日本寺を憶い起した。開山が長崎の方から来た支那の坊主というだけに岩や木のただずまいから、山門、鐘楼、総(すべ)てが、山寺、日本寺などよりも更に支那臭い感じを与えた。玉の岩というのはその鐘楼の手前にあった。小さい二階家ほどの孤立した―つの石で、それが丁度宝珠の玉の形をしていた。
そういえば、ぼくが訪れたときも、こんな感じだった。しかし、時代が違うので、「碑文、和歌、俳句などを彫りつけた石」がどれほど建っていたかは分からない。寺の雰囲気が「志那臭い」というのも、記憶にない。
鐘楼の所からはほとんど完全に市全体が眺められた。山と海とに挟まれた市はその細い幅とは不釣合に東西に延びていた。家並もぎっしりつまって、直ぐ下にはずんぐりとした烟突が沢山立っている。酢を作る家だ。彼は人家の少しずつ薄らいだ町はずれの海辺を眺めながら、あの辺にいい家でもあればいいがと思った。
この景色は、ほとんど変わっていないのだろう。ただ、烟突はどうだっただろうか。尾道に「酢を作る家」が多いということは知らなかったし、ぼくが行ったころには、そういう家も少なくなっていたのだろうか。そんなことを思いつつ、ちょっと調べてみると、尾道の酢というのは、歴史があるのだということが分かった。(こちら「尾道造酢」参照)
暫くして彼は再び、長い長い石段を根気よくこつこつと町まで降りて行った。その朝、宿の者に買わした下駄は下まで降りると、すっかり鼻緒がゆるんでしまった。
不潔なじめじめした路次から往来へ出る。道幅は狭かったが、店々には割りに大きな家が多く、一体に充実して、道行く人々も生々と活動的で、玉の岩の玉を抜かれた間抜な祖先を持つ人々には見えなかった。
彼はまた町特有な何か臭いがあると思った。酢の臭いだ。最初それと気附かなかったが、「酢」と看板を出した前へ来ると一層これが烈しく鼻をつくので気附いた。路次の不潔な事も特色の―つだった。瓢筑を下げた家の多い事も彼には物珍らしかった。骨董屋、古道具屋、またそれを専門に売る家はもとより、八百屋でも荒物屋でも、駄菓子でも、それから時計屋、唐物屋、印判屋のシヨー・ウィンドウでも、彼は到る所で瓢箪を見かけた。彼は帰って女中から宿の主も丹波行李にいくつかの瓢箪の持主だという事を聴いた。
町の匂いというものは確かにあって、それだけは現地に行かないと分からない。海外旅行というものを一度もしたことのないぼくは、まあ、BSなんかの「世界街歩き」なんかで、けっこう行った気になっているけれど、実は、「匂いを知らない」という点で、何にも知らないのと同じことである。
しかし、時として、映画ではその「匂い」を強烈に感じることがある。ぼくの愛する映画「ベニスに死す」では、まさにこのベニスという町の路次の匂いが全編に溢れていた。それはコレラが蔓延する中での白い消毒液の匂いだったわけで、けっして本当の町の匂いではないけれど。
「路次が不潔だ」ということが強調されているが、その「不潔さ」(から来る匂い)は、やはり生活の匂いに他ならないだろう。
どこへ行っても瓢箪が多いということも指摘しているが、この瓢箪というのは、作るときに水に浸けて中身を腐らせるわけで、その匂いも強烈だという話を聞いたことがある。酢の匂いに、この瓢箪の匂いも混ざっていたのかもしれない。
しかしそれにしても、どうして尾道という町にはこれほどの瓢箪愛好者が多いのだろうか。不思議である。志賀直哉には「清兵衛と瓢箪」という短篇があるが、尾道にかぎらず、日本には瓢箪愛好者が多いのかもしれない。
この後、謙作は4日ほど四国などを旅して住むところを探すが、結局、尾道に戻る。そして、「千光寺の中腹の二度目に見た家」を借りることにした。ぼくが訪れたことのある住居である。