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日本近代文学の森へ (5) 岩野泡鳴『野田新兵』

2018-04-27 15:34:28 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (5) 岩野泡鳴『野田新兵』

「日本短篇文学全集 9」筑摩書房

2018.4.27


 

 いやな味の小説だ。作者によれば、「〈作者が観察し研究する人生の自然に詩として親しく滲み出した〉おかしみ」(これを泡鳴は、「有情滑稽」と呼んでいるらしい)を追求した小説ということらしいのだが、ぜんぜん笑えない。「おかしみ」がないわけではないが、なんだか無残なおかしみで、不快感ばかりが舌の奥に残る。

 「佐倉師団」に編入された、東京芝区の米屋の息子「得ちゃん」は、仲間の兵隊から「野田新兵」と馬鹿にされて呼ばれるのを、実家あたりで「得ちゃん」と呼ばれるより「出世した」と感じるお人好しで、仲間からさんざんいじめられても、いつもニヤニヤ笑っている。それで、仲間は年中野田にたかって散財させるが、野田はいつもいいよいいよでされるがまま。

 女房もいて、ときどき面会に来るけれど、仲間がその女房にそれこそセクハラのし放題なのに、それも野田はとめようともしない。

 この仲間の兵隊たちの、下卑た言葉の数々には、ほとほと閉口するが、これが日本の兵隊のありのままではなかったかと思うと、気持ちが滅入る。かつての日本兵だけじゃない、昨今の高級官僚の耳を疑うばかりの品のない言葉の数々さえ、これと地続きに耳に響くような気がして、不快感は更につのるばかり。

 いじめられ、コケにされっぱなしの「得ちゃん」が、日露戦争に出征し、旅順攻撃で、アキレス腱を切る大けがを負いながらも奇跡的に助かり、帰国して、少しは自分によくしてくれた先輩末島の家を訪ねると、どうも末島の生死は不明らしい。それを知った「得ちゃん」は、あろうことかこんなことをいうのだ。

「末島君も、お気の毒でありますが、多分名誉の戦死でありましょう。」と、士官に対して報告でもしているように語った。自分としては、こう云う言葉づかいが士官以外の人に向っても出るのを──出征前とは違って、──まじめになったのだと思えた。で、それから得意そうにまた言葉を継ぎ、「僕はさいわにも足のすじだけの負傷でありまして、わが師団としては戦争のとッ端(ぱな)に帰して貰いましたので、さいわいにも無事だったのであります。」

 この野田の、愚かさ、無神経さには、ただただ呆れるしかない。これじゃ、彼を応援する気にもなれやしない。けれども、こういう無神経さは、決してぼくらの人生の途上では無縁ではないだろう。不幸な人の前で、自分の幸福を自慢することが、これほど露骨な形ではないにせよ、ぼくらは無意識のうちに、どこかでやってきたのではなかったろうか、と反省させられる。

 野田の腹立たしいほどの愚かさは、日本人の一面の真実かもしれないし、それを感じるから、余計読むのが辛いということもあるのだろう。

 人間の嫌な面ばかりが描かれているようなこの小説を読むと、不快感しか感じないのだが、それでも歯の浮くような人情話を読むよりはマシかなあという気もしてくるから妙なものだ。泡鳴の「観察眼」は、人間の愚かさ・醜さをえぐり、ちっとも「詩」が「滲み出て」こないが、それでも、そこに「ウソ」がなければ、読む価値はあるような気がする。

 現に、泡鳴と親交の深かった正宗白鳥は、泡鳴を「つまらんぼう(つまらない人。とるに足りない人。くだらない人。)」だと言いながらも、『耽溺』を初めとする小説を、面白いと賞賛する。

 泡鳴といえば、自然主義作家の一人だから、文学史上ではなかなか重要な作家のわけだが、日本の自然主義そのものがあまり評判がよくない。篠田一士がいうとおり、自然主義は文体を破壊したから(といっても、明治期の美文調の否定だったのだが)、文章はきれいじゃないし、話はみじめで暗くて絶望的で夢も希望もないし……、というわけで、人気の出る要素がみあたらない。それなのに、一時期、この自然主義文学が大人気だったのだ。それは、やはり、当時の社会に生きる人間の「ほんとう」を隠さず書いたからだろう。それが必ずしも文学の本道(といっても、「本道」って何だろう)ではないのだろうが、「ほんとうのところ」は、やはり興味深いのである。

 これも何かの縁だ。つまらないかもしれないが、しばらく泡鳴と付き合ってみるとするか。





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詩歌の森へ (4)萩原朔太郎・五月の貴公子

2018-04-25 09:53:41 | 詩歌の森へ

詩歌の森へ (4)萩原朔太郎・五月の貴公子

2018.4.25


 

  五月の貴公子


若草の上をあるいてゐるとき、
わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、
ほそいすてつきの銀が草でみがかれ、
まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る、
ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、
わたしは柔和の羊になりたい、
しつとりとした貴女(あなた)のくびに手をかけて、
あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、
若くさの上をあるいてゐるとき、
わたしは五月の貴公子である。


「すてつき」に、傍点。
『月に吠える』所収。


 前回に出てきた「あやめ」つながりで、この詩を取り上げる。

 朔太郎の詩は、今でも、高校の国語の教科書にはよく載っているが、だいたいが『竹』で、それ以外はごく稀だ。その『竹』にしても、青空に向かってまっすぐに伸びていく竹の生命力を歌った詩、などと、とんだ誤解をされたりして、その神経症的で憂鬱な気分は無視されがちだ。(無視しなければ、とても子どもに朗読なんてさせられない。)

 朔太郎の『月に吠える』に収められた詩で、健康的なものなどひとつもないといっていい。病的な神経と独特のエロチシズムに窒息しそうになる朔太郎の詩が、どうして高校時代のぼくをとらえたのか分からないが、ぼくの気持ちを代弁してくれるのは朔太郎だけだ、なんて同級生に口走ったら、キモチワルイって言われたことをよく覚えている。そういえば、そのころ、例の『恋愛名歌集』を読んでいたら、やはり同級生に、イヤラシイって非難されたこともある。ぼくがそうとう浮いた存在だったことは間違いない。

 さて、この『五月の貴公子』だが、まったく、なんという自己愛だろう。「わたしは五月の貴公子である」なんて、よく言うよ、って感じだよね。少なくとも、ぼくは書けない、こんなこと。

 でも、朔太郎だから、許せちゃうってところがミソだ。前橋の金持ちのお医者さんのボンボンで美男子だった朔太郎だからこそ、こんなことも平気でいえたし、言っても、さまになった。これが、金沢の足軽の私生児で醜男の室生犀星だったら、まるでさまにならない。

 この何から何まで対照的な朔太郎と犀星が、無二の親友だったというのは、実に不思議な因縁で、文学史上の「奇跡」といっていい。まあ、この話は長くなるから、いつかまた。

 朔太郎が「わたしは五月の貴公子である」と書いたからといって、それが彼の本心だったと思う必要はない。あくまで詩の中の言葉なのだから、彼の本心とは関係ないはずだ。けれども、ここでいう「わたし」とは、やはり、作者朔太郎とはまったく無関係な抽象的人物でもないだろう。朔太郎の心を色濃く反映している人物だ。生身の朔太郎そのものではないけれど、朔太郎の心が生んだ、もう一人の朔太郎だ。その両者の間の距離をどうとらえるかは、実にむずかしい問題なのだ。

 ぼくらは、生身の朔太郎を知ろうにも知ることはもう絶対にできないのだから、朔太郎という人を知るためには、その作品に現れた「もう一人の朔太郎」を手がかりにするしかないわけだ。といっても、結局のところ、生身の朔太郎などもうこの世にいないのだから、ぼくらが知ることのできるのは、「もう一人の朔太郎」しかないわけで、それが読書の「目標」だといってもいい。あの世の朔太郎にしても、「もう一人の朔太郎」が十分に理解されればそれで本望だろう。いや、ほんとのぼくはそんなんじゃないんだ、なんて言うわけない。そんなこと言うくらいだったら、作品なんか書きはしない。

 さて、もう一度、この詩に戻ろう。まずは、「若草の上をあるいてゐるとき、/わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく、」という二行の見事さに驚嘆する。「あるいてゐるとき」という仮名書きがまず見事。これを「歩いている時」とした途端に、詩が消える。「あるいてゐる」という6音の中に、2回も出てくる「る」という音がなまめかしい。朔太郎ほど、詩における「音楽性」を追求した詩人は稀で、それはこうしたところに如実に現れている。

 「わたしの靴は白い足あとをのこしてゆく」のイメージも素晴らしい。若草の上に「白い足あと」がつくなどということはありえない。ありえないから、イメージが幻想的になる。はいている「靴」の色が書かれていないのに、なぜか白い靴だと思わされる。「白」という言葉が、宙に浮いて、「靴」と「足あと」を結びつける。

 「ほそいすてつきの銀が草でみがかれ」も素敵だ。「すてつき」が「みがかれ」るのではなくて、「銀」が「みがかれ」る。「すてつき」とわざとひらがなで書いて傍点を打つことで、この道具に幻想的な艶が生じる。

 「まるめてぬいだ手ぶくろが宙でおどつて居る」、この「手ぶくろ」もきっと白いのだろう。先ほどの「靴」と「足あと」の白が、この「手ぶくろ」と共振して、「宙でおどる」ことになる。この4行は、情景描写なのだが、実は心象風景でもある。「若草」の上で、心が解放されていく様といえばいいだろうか。その幻想的な心象風景のあとに、詩人の詠嘆がくる。

 「ああすつぱりといつさいの憂愁をなげだして、/わたしは柔和の羊になりたい、/しつとりとした貴女(あなた)のくびに手をかけて、/あたらしいあやめおしろいのにほひをかいで居たい、」この4行ほど若いころのぼくを捉えたものはない。ほんとにこんなフレーズ、よく恥ずかしがらずに書けたものだ。この退廃的でいじけたエロチックな表現は、共感するなんてことを口外するのは、ちょっとためらわれるほどだ。だから、ぼくが朔太郎に共感すると言ったとき、気持ち悪いと言った同級生こそ健康的だったのだ。

 ところで、このフレーズの中の「あやめおしろい」が長いことぼくを悩ませてきた。なんだか分からないからだ。アヤメを材料とした白粉なのか、「あやめ印の白粉」なのか、さっぱり分からない。いろいろ調べてみても、これについての決定的な説明はないのが現状だ。どうも、当時、「あやめおしろい」なる商品はなかったらしいから、どうも朔太郎の創作らしいというのが、現時点でのいちおうの結論のようなのだが、そうだとすれば、この「あやめおしろい」は、あの古今和歌集の「ほととぎす鳴くや五月のあやめぐさあやめも知らぬ恋もするかな」があると考えるのはあながち強引でもないだろう。「五月」「あやめ」は、「五月の貴公子」と、「あやめおしろい」につながっているのではないか、それがぼくなりの結論である。

 この「あやめおしろい」が、実在しなかったらしいことは、この詩にとってはむしろ有利なことだ。なんだかよく分からないからこそ、心の片隅にひっかかり続け、勝手にイメージを増殖し続けるともいえるからだ。

 詩は、隅から隅まで意味が分かってしまうと面白くない。むしろ、「よくわからない」詩こそ魅力的だ。いったいこれはどういうことかなあ、などと考えているうちに、何十年も経っている。その何十年は、「その詩とともに」生きた何十年となる。それこそ幸せというものではないか。




 


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一日一書 1434 閑来無事不従容

2018-04-24 17:22:29 | 一日一書

 

閑来無事不従容

 

23×8cm

 

 

閑来事として従容ならざるはなし

 

(閑散とした生活に入って以来、何ごとも心はゆったりとしている。)

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (4) 斎藤緑雨『かくれんぼ』

2018-04-23 10:33:29 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (4) 斎藤緑雨『かくれんぼ』

「現代日本文学全集 5」筑摩書房

2018.4.23


 

 緑雨の代表作ともされ、緑雨本人にとっても自信作だったようだが、それほど面白くない。『油地獄』のほうが、混沌としているだけ面白い。当時の評判も、それほど芳しくなかったらしく、どうして? って緑雨は不満だったらしい。

 話としては、『油地獄』と大差なく、いわゆる「狭斜小説(遊郭を描いた小説)」で、主人公も、最初はウブな若者だが、芸者遊びで身を持ち崩すというストーリーも同じ。『油地獄』の方は、男が一人の女に入れ込んだあげく、結局相手にもされず、悔しさのあまり気が狂うという話で、考えようによっては哀切な面があるのだが、『かくれんぼ』の方は、男が、最初はウブでも、いったん遊びに目覚めると、とんでもない遊び人となって、次から次へと芸者を漁りまくるという話で、哀切さなんてどこにもなくて、読み終わっても鼻白むばかり。人気がなかったのも、仕方のないところだ。

 最初の芸者が、「小春」で、その次がその小春から紹介された「お夏」で、次が「秋子」で、次が「冬吉」、更に、「小露」「雪江」「お霜」と続く。季節の名前という趣向だが、それぞれの芸者の個性が際立っているわけでもなく、「源氏物語」の登場人物などとは比較にならない薄手の人物造型。

 ただ、やっぱり、面白いのは文体で、「宇宙広しと雖(いえど)も間違ッこのないものは我恋と天気予報の『所に依り雨』悦気面に満て四百五百を入揚げたトドの詰りを秋子は見届け然らば御免と山水と申す長者の許へ一応の照会もなく引取られしより俊雄は瓦斯を離れた風船乗天を仰いで吹かける冷酒五臓六腑に浸渡り……」なんていう文句は、まあ、読みにくいけど、面白い。

 ただ、これを面白いとみるか、陳腐だとみるかは、やはり読者の「教養」によるのかもしれない。

 緑雨はどう評価されてきたのかということが、ちょっと気になっていて、「明治文学全集28 斎藤緑雨集」がたまたま手に入ったので、その解説のところをみると、篠田一士の批評が載っている。

 篠田は、緑雨は今までほとんど論じられてこなかったといいながら、過去に、緑雨に言及している人として、正宗白鳥の名を挙げていた。さいわい、正宗白鳥の全集が、まだ売られずに家に残っていたので、ひもといてみると、いくつかの文章が確かにある。

 白鳥が、緑雨をどう評価しているのか、実に興味深く思って読んでみると、これがまったく評価していない。緑雨をこれまで読んでこなかったので、読んでみたが、がっかりした、なんて書いている。所詮緑雨は江戸時代の戯作者の亜流に過ぎず、凝った文体とか言っても、それなら、本家の為永春水なんかのほうが余程おもしろいし、人間もよく書けている。緑雨の本領は批評にあるというから、そっちも読んでみたが、これもつまらない。江戸文化に通じていることを鼻にかけ、明治の文化を批判しているが、浅薄な批判にすぎないと、にべもない。

 江戸時代の戯作文学をさんざん読んできた白鳥には、今さら、その模倣にすぎない緑雨の文体などちゃんちゃらおかしいということだろう。

 けれども、篠田一士は、緑雨を高く評価する。こんな具合だ。

今日の大方の読者は、おそらく、これらの戯文を読んで、その阿呆らしさに腹を立て、その浅薄さをあざけり、また、いささか卑俗とみえる作者の思考に高邁な表情をこわばらせるだろう。ぼくとても、いまさら、ここで緑雨の観察眼の透徹さをたたえたり、また、人間心理の理解の深さをもちあげるつもりはない。卑俗ならば卑俗でよし、浅薄なら浅薄でよし、阿呆らしければ、阿呆らしいとぼくも読者と声をあわせて言おう。(中略)緑雨をの存在を無視させ、ついに忘却の彼方へ追いやったものは、この作品に端的にみられるように、いわゆる人生観の欠如であった。ここには、読者に教え、また、訴えるべき作者の人生観はもとよりない。もちろん、アイロニーはある。しかし、そのアイロニーを作者の人生観めいたものとなんらかの関わり合いをもたせるには、あまりにも、緑雨の文章は見事であり、それ自体すでに完結していて、異質な闖入物をよせつけようとしない。

 ほとんどが否定的な言辞を連ねていながら、最後で、「文章の見事さ」で緑雨を擁護している。そして、「緑雨にとって、文学とは(彼は文学という言い方をほとんど使わなかったが)言葉によってつくられるもの以外、ほとんど何も意味しなかったようである。」と言う。
これはたぶん、篠田の文学観で、文学が「言葉によってつくられたもの」である以上、「文体」は何よりも大事だということになる。そういう意味では、文学者はまず何よりも「文章家」でなければならないとして、「文章家」と言いうる、あるいはそれを目指した作家として、森鷗外、泉鏡花、芥川龍之介、堀辰雄を挙げている。それに対して、「『文章家』の存在を強引に無視」したのが、自然主義作家だと言っている。

 これらの篠田の言い分は、半分わかるけど、今改めて自然主義の作家の作品を読めば、それなりに「文章家」であったと納得できるのではないかという気もする。

 緑雨の作品が「言葉によってつくられたもの」として、見事に完結している、という篠田の言い分も、それは緑雨だけのことではなくて、白鳥風に、為永春水のほうが、よほど高度に完結してるじゃないかと言われれば、どうも分が悪い。批評家としては、白鳥のほうが一枚も二枚も上手のようだ。

 けれども、白鳥みたいなそっけない、みもふたもない批評は、何も生み出さないのもまた事実で、多少強引でも、篠田のように、「いいところ」を見つけていく態度のほうが、なんか楽しい。

 酸いも甘いもかみ分けて、江戸文学にも通暁している文学通が、なんだ、緑雨なんてくだらねえと呟いてるのを聞くより、江戸文学なんてたいしてよく知らないけど、緑雨の文体に感激して、どうしてこんな人が埋もれてるんだろうって興奮して話すのを聞くほうが、ずっと気持ちがいいし、生産的だと思うんだけどね。

 ぼくとしては、江戸文学についての教養もないから、単純に、緑雨の文体は面白い。




 

 

 


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一日一書 1433 葭始生(七十二候)

2018-04-22 16:12:03 | 一日一書

 

葭始生(あしはじめてしょうず)

 

七十二候

 

4/20〜4/24頃

 

ハガキ

 

 

 

 

 


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