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一日一書 1463 鷹乃学習(七十二候)

2018-07-17 19:45:36 | 一日一書

 

鷹乃学習(たかすなわちわざをならう)

 

七十二候

 

7/17〜7/22頃

 

ハガキ

 

 

「たかのがくしゅう」とは読みません。

「五・六月に孵化した雛が、巣立ちの準備をする頃。」という意味。


都会では鷹なんてめったに見ませんから

ピンときませんが、そういう季節なのでしょう。

 

それにしても、今年の暑さには参りますね。

 

何にもするに気になれないので

冷房をきかせた部屋で

ひたすら「お片付け」をしています。

 

別に「断捨離」でも「終活」でもありませんが、

あまりにモノが多くて、うっとうしいので。

 

いらないものを捨てていくと

少しだけ、涼しくなってくるような気がします。

 

この鷹のように

ほんとうは「身一つ」でいいわけですね。

 

鷹が「ならう」のは、「捨てる」ことなのかもしれません。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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一日一書 1462 蓮始開(七十二候)

2018-07-14 17:44:44 | 一日一書

 

蓮始開(はすはじめてひらく)

 

七十二候

 

7/12〜7/16頃

 

ハガキ

 

 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (30) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(2)毒薬を飲む女』その6

2018-07-14 16:46:09 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (30) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(2)毒薬を飲む女』その6

2018.7.14


 

 女房の千代子がすぐに怒鳴り込んでくるので、その都度義雄はお鳥を引っ越しさせてきたのだが、今は、二軒長屋の二階にお鳥を移し、そこへ義雄は入り浸っている。階下の夫婦も年中喧嘩ばかりしている。亭主は、縁日商人だ。その喧嘩の様子が活写されていて、当時の庶民の生活が偲ばれる。


 とンと強く叩きつける煙管の音がして、
「わたしを何だと思つてるんだよ!」
「‥‥」
「假りのおめかけや、たまに旦那に來て貰ふ圍ひ者ぢやアないよ!」
「‥‥」
「お前の女房だ位は分らない野郎でもあるまい!」
「分つてらア、な。」
「それに何だツて、うちを明けるのだよ?」
 義雄は朝飯をしまつてから、机に向つてゐたのだが、下のこの怒鳴り聲に耳が引ツ張られてゐた。また一騷ぎあるだらうとは、婆アさんのゆうべの心配しかたで豫期してゐた。お鳥はけさも何だか慰めを云つて聽かせてゐたやうであつたのに──
「仲間のつき合(え)ひだから、仕かたがねい、さ。」
「つき合ひ、つき合ひツて、幾度あるのか、ね? そんなつき合ひは斷つてしまひなさいと云つたぢやアないか? 碌にかせぎもしないで!」
「うへの先生でもやつてることだア、な。」
「先生がお手本なら、直ぐ、けふ限り、わたしが斷つてしまふよ。」
「斷るなら、斷るがいいが、ね。」
「生意氣をお云ひでない!」
 義雄は自分の女房より一段どころか、二段も三段もうへを行く女もあるのだと思つてゐるのだ。
「何が生意氣でい──これでも貴さまを年中喰はせてやつてらア!」
「喰はせるだけなら、ね、犬でも喰はせるよ! 米の御飯が南京米になり、南京米が麥になり──」
「何だ、この婆々ア! 見ツともねいことを云やアがつて!」
「なぐるなら、なぐつて見ろ! 働きもない癖に!」
 取ツ組み合つて、あツちの障子に當り、こツちのから紙にぶつかりしてゐるやうであつたが、大きな女のからだが疊の上に投げ飛ばされるやうな音がした。
「婆々ア女郎め!」
「殺してやるから、さう思へ!」
 臺どころの方でがた/\云はせてゐたが、またとツ組み合ひが始まつたらしい。
「おい、行つて見ろよ」と、義雄はお鳥に云つたが、
「あたい、おそろしい」と、ちひさくなつた。
 渠が下りて見ると、婆アさんをねぢ倒して、そのさか手に持つてゐる出齒庖丁を亭主がもぎ取つたところであつた。
「どうしたと云ふんです、ね?」
「あの野郎がまだ目をさまさないから」と、婆アさんはからだを起し、「今、根性をつけてやらうとして。」
「どツちが」と、立つたまま荒い息をして、「腐つた根性でい?」
「手前(てめえ)に──きまつて──らア、ね」と、これも息を三度につきながら、立ちあがり、長火鉢の座に行つた。そして義雄に、「どうか──火の方へ──お近く。」
 亭主は、庖丁を臺所の方へ投げてから、婆アさんとさし向ひの座についた。そして、
「あり勝ちの夫婦喧嘩ですから、どうか惡(あし)からず」と云つて、若いが、こんな場合だけに血の氣の失せたやうな顏で笑つた。
 義雄には、この男がこんな老母のやうな女を女房と思つてゐられるのが不思議なほどであつた。ずツと若い時からのくツつき物なら知らず、まだこの二三年來の慣れ合ひだと聽いてるので、ただいろんな好き/″\もあるものだと思つた。
「まア、喧嘩をするにも及ばないでせう。」
「濟んで見りやア」と、眞面目な顏つきで亭主を見ながら、「馬鹿々々しいことですが、ねえ。」
「あは、は」と、亭主は笑つて見せた。
「女と云ふものは思ひ詰めりやア、われながらおそろしいものですから、ね──まア、先生も御用心なさいましよ。」
「十分用心が必要です、ね」と、ただほほゑんでゐた。
「わたしが先生の奧さんなら、をどり込んで殺してしまひますが、ね──まだあなたのは、教育もおあんなさるでせうから、おとなしく控へていらツしやるんです、わ。」
「さうでもないのだが──」かう云ふ人々が望む教育なるものが、今日のやうぢやア、これを與へるものの方針に非常に間違つたところのあるのを、義雄はどこかで訴へたくツてならないのである。「斯うすべからず」の消極概念が殆ど教育界全部を占領し、「斯うすべし」がまた、ほんの形式にばかりとどまつてゐて、有識者と云はれるものが凡て、如何に嚴格でも、また如何に熱心らしくあつても、空(くう)に他を教へようとして、少しも自己の實行如何を反省しない! 何のことはない、法律と教育とで以つてわが國人は自由なるべき人間本能の誠實を、わざ/\、無意義に制限せられてゐるばかりだ!
 たとへば、結婚と云ふ形その物が道徳でも實質でもない。實質が既に違つた以上は、その形の破れて新(あら)たまるのを認める法律が必要だ。同時に、また婦人から云つて見れば、くツ付き物が離れた場合にそこに獨立する精神や生活法がいつも具備してゐるところの教育を、不斷から、與へられてゐなければならない。お鳥のやうなものやこの婆アさんのやうな、身を棄てて低い生活に安んじられるものは、寧(むし)ろどんな教育でも入(い)りはしないとしても、中流生活の婦人が無教育ではない癖に獨立生活的教育の素養がないのは、わが國の發展を害する最も大な缺陥の一つで、自分が千代子に苦しめられてゐるのもそれが爲めだと思つた。
「どうせこんなことを云つたツて分らない」のだから、義雄は再び「もう喧嘩はしツこなし、さ」と云つて、二階へあがつた。

 


 この亭主と女房はいったい幾つ年が離れているのだろうか。確かに、「蓼食う虫も好き好き」だ。

 遅くなって帰ってきたことの言い訳に、「上の先生だってやってる」っていうのも子どもじみた話で笑える。

 ここにちらっと姿を見せる「教育論」。「こうすべし」のわが身をもって示す行動規範がなくて、ただただ「かうすべからず」の「消極概念」ばかりが「教育界全部を占領し」ているとの指摘は、今日でもその事情に大差なく、100年たっても、日本の教育に進歩がないような気がしてくるのが情けない。

 結婚をめぐる法律のことも問題視されているが、この頃の結婚に関する法律はどうなっていたのだろうか。簡単には離婚が認められていないようだが。

 帰りが遅ければ、出刃包丁の出番となる夫婦だが、こんな平和の時もある。



 がら/\と車の音がした。
 下の障子や格子戸があいて、婆アさんが外へ出た樣子だ。
 義雄も知つてる通り、かの女は、亭主が十一時から十二時までに歸りさへすれば、縁日商人の職業上當り前なので、喜んで出迎へるのである。そして、丁度可なりの傾斜を登つて來なければならないので、坂の中途まで行き、一緒になつてその荷車を押すのだ。
「今夜はどうだ、ね?」
「あんまりいいこともねい──もう、締めても──」
「まだ清水さんが歸らないんだよ。」
「へい——珍らしいことだ、なア。」
 燗酒のにほひが實際にして來た。
 錢勘定の音がちやら/\するにつれて、婆アさんが一心に銀貨と銅貨と、二錢銅と一錢銅とをより分けてゐるのが見えるやうだ。
 渠は熱苦しくなつたからだをまたうつ伏しにして、
「あれでも渠等は滿足して生活して行けるのだが──」と考へてゐた。



 最初の引用箇所もそうだが、目に見えない情景を、音だけで描く手腕が冴えている。それに、ここでは、「燗酒のにほひ」までが加わり、なんともいえない雰囲気があるのもいいなあ。

 珍しく、お鳥が夜になっても帰らない。階下の夫婦の生活を思いながら、義雄は眠れない。





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一日一書 1461 温風至(七十二候)

2018-07-09 11:49:45 | 一日一書

 

温風至(あつかぜいたる)

 

七十二候

 

7/7〜7/11頃

 

ハガキ

 

 

「おんぷう」ではなく「あつかぜ」と読みます。

そう読むと、「熱風」って感じがしますね。

二十四節気では、今は「小暑」。

感覚的には「酷暑」ですけど。

 

「梅雨もあけて、いよいよ夏本番」

なんて言ってますが、

暦の上では、もう「晩夏」です。

 

 

被災地の皆さまに、

心よりお見舞い申し上げます。

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (29) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(2)毒薬を飲む女』その5

2018-07-07 10:35:32 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (29) 岩野泡鳴『泡鳴五部作(2)毒薬を飲む女』その5

2018.7.7


 

 有楽座を出て、夫婦のいさかいに大野夫妻も巻き込んだあげく、義雄は、千代子を振り切ることもできずに、夜の道を歩いて行く。

 

 義雄は千代子に引かれて、電車通りを、公園のふちに添つて歩いてゐたが、あの鶴子(以前、モデルにするために、義雄が音楽倶楽部へ連れて行った女。その女とは「無関係」だったのだが、倶楽部の人間に怪しまれて恥をかいた。)の爲めに遠のくやうになつた倶樂部の連中に、またこんなことがあつた爲め、又と再び會はせる顏がないかのやうな恥辱に滿ちて、一言も口を聽かなかつた。
 かの女も亦胸が張り詰めてゐるのを、その息づかひに現はした。かの女が月が滿ちた時に、よく苦しさうな息づかひをしたが、そのやうに肩で息をしてゐるのが、義雄によく分つた。
 公園を外れようとするところにある交番の前へ來ると、かの女はその方をじろ/\見ながら、獨り手に巡査の立つてる方へ義雄を引ツ張つてゐるのであつた。
 義雄は踏みとまつた。それが渠の袂の長さ一杯にかの女をこちらへ引いたわけになつたので、その手ごたへでかの女は氣がついたやうだ。
「わたしはどうかしてゐるやうだ。」かう、かの女は獨り言を云つた。
「訴へてどうなるんだ」と、義雄は極(ごく)さげすんだ意味を心ばかりで叫んだ。この氣違ひ女め! 何を仕出かすかも知れやアしない! が、撒いてしまふ折もうまく見つからない。人通りは少いが、少くとも、一人や二人は絶えなかつた。
 橋を渡つて芝區へ這入ると、直ぐ友人なる辯護士の家があるので、そこへ立ち寄つて話をつけ、今夜はおだやかに別れようかとも考へた。が、大野に迷惑をかけたのを思ふと、重ねて友人を騷がせるでもなかつた。
 成るべく人通りの少い横町などをえらんで引ツ張られて行つたが、
「きやツ」とか「恨めしや」とか、今にもこの女が變化(へんげ)になつてしまひはしないかと云ふ氣持ちが、渠のかの女を度々いぢめて來た記憶から、おそろしいほどに浮んで來た。不斷憎み飽きて、毆り飽きて、またと見たくはない顏を見て、一度でもいやな氣を重ねるでもないと、渠は出來るだけそツぱうを向いてゐた。
「年うへなばかりに増長して!」これは、もう、思ひ出したくもない。今の結婚法が改正せられ、男女どちらかの申し立てを裁判所で受理して、兎も角も訴訟を成立させることが、當分、望めるやうにならないとすれば、ただ/\この、自分には既に死骸の、女を早くどこかの闇へ方(かた)づけさせて呉れる願ひばかりだ。



 女一人に袂をつかまれているだけなんだから、男の力をもってすれば、いくらでも振り払うことはできるはずなのだが、義雄は、それ以上に恐怖にかられている。今すぐにでも、この妻なる千代子が「変化=化け物」に変わるのではないかとおそれおののいている。

 何とかして、この女と別れたいと思う義雄なのだが、それがなかなか実現しない。「今の結婚法」がいかなるものか、ぼくにはよく分からないのだが、離婚が今ほど簡単ではなかったことは確かなようだ。

 


 愛宕下(あたごした)の通りを横切り、櫻川町の大きな溝(どぶ)わきを歩いてる時、物好きにその中の黒い水たまりを人の門燈の光にのぞいて見た。そして、ふと、死んだ實母があか金(がね)の足つきだらひに向ひ、おはぐろを付けてゐるのを、自分はそのわきで見てゐたことがあたまに浮んだ。きたないやうだが、身に滲み込むやうなにほひで、黒い物から出るのか、それとも、吐き出されたそれを受けるあか金から出るのか、分らなかつた。
 ここのはただの溝のにほひに違ひないが、をどんですえ腐つた物の發散する分子がぷんと鼻さきへにほつて來ると、何だかかな臭い氣がして、母が新らしく生き返つて來さうに見える。
「All or nothing ──生でなけりやア、死だ!」
 この間に讓歩はない! 妥協はない! 人間その物の破壞は本統の改造だ──改造はそして新建設だ。ぶツ倒されるか、ぶツ倒すか──そこに本統の新らしい自己が生れてゐる! 渠はかう答へながら、面倒な物を引きずつてゐるにやア及ばない──いツそのこと、握られた袂を、あの、柔術を習つたと云ふお鳥の手を試みて、わけもなくふり切り、千代子を轉がし込む氣になつてゐた。
 溝の黒い水のおもてが暗くなつた。——そのまたうへが闇になつた。──自己の周圍がすべて眞ツ暗になつて——自己も、尖つた嗅覺のさきにをどみの垢がくツ付き、からだ中がひやりとしたと思つた。すると、反對に手ごたへがあつて、
「どうするつもりです、わたしを!」
「‥‥」渠の身の毛は全體によ立つてゐた。
「なアんだ、夫婦喧嘩かい!」かう云つて、黒い影が他方の路ばたを通り過ぎた。もう、十二時を越えたと思はれるのに、矢ツ張り、人通りが絶えない。
「‥‥」かの女は、さツさと、反對の側へ引ツ張つて道を進みながら、「人を水に投げ込まうたツて、そんな手は喰ひませんよ。」
「‥‥」
「それこそ馬鹿げ切つてる!」
「‥‥」渠が逃げようとして、ちよツと踏みとまると、かの女も直ぐ電氣に觸れたやうに手の握りを固めて、こちらをふり向いた。
「殺さうたツて、逃げようたツて、駄目ですよ、直ぐおほ聲をあげて、誰れにでも追ツかけて貰ひますから、ね」
 渠は答へもしないで歩いた。
 避けて來た交番だが、西の久保通りの、廣町角にあるのは、どうしてもその前を──而(しか)も挨拶して──通らなければならないのであつた。父の生きてた時、家へも來て、いつも顏を見おぼえてる巡査がゐる交番だ。
 千代子がここで本統に出來心でも起したら大變なので、その交番の手前で義雄はおのれの袂をふり切つた。
「おまはりさん!」かの女は實際に甲高い聲を出した。
 義雄は自分が水をあびせかけられたと思つて、つツ立つた。幸ひに人力車の響きが通つた爲め、向うへは聽えなかつたやうだが、渠は再び袂を握られてゐた。
 何げないふりをして通る二人を、顏を知らない巡査がゐて、怪しさうに見詰めてゐた。
 若し今の聲が聽えてゐても、こちらが發したのだと思はせない爲めにと、義雄は、ふと、その向う側のそば屋へ這入る氣になつた。千代子もあとからはしご段をあがつて來た。
「こんなところで喰べるくらゐなら、いツそ今一つ向うの、いつもうちで取るとこへ行けばいいのに。」
 もう、自分の物だと思つたのか、かの女の聲は以前よりも落ち付いてゐた。が、義雄は一層いや氣がさして、無言でぐん/\まづい酒をあふつた。



 「電車通り」「公園」「交番」を通り、そして「愛宕下」「櫻川町」「久保通り」「廣町角」と地名が並ぶと、歌舞伎や文楽の「道行き」をいやでも思い出す。それにしても、なんという陰惨な道行きだろう。「道行き」に伴う、エロチックでロマンチックな雰囲気はまるでない。しかし、「お歯黒溝」の黒さと悪臭と、瞬間的に訪れる「殺意」が、この夜の中で異様な光をはなっている。この描写の見事さは、あの『耽溺』のヘタクソな文章からは想像もつかない成熟だ。

 昔から理解しがたい「お歯黒」という習俗は、かならずしも「醜悪」なものではないのだが、ぼくにはどうしても「醜悪」にしか見えない。その「お歯黒」によって黒く染まる溝は、日本の女性たちがなめてきた辛酸そのもののように見える。

 「ここのはただの溝のにほひに違ひないが、をどんですえ腐つた物の發散する分子がぷんと鼻さきへにほつて來ると、何だかかな臭い氣がして、母が新らしく生き返つて來さうに見える。」とは、なんという表現だろう。

 闘病中だというのに、夫は女を囲い、そのいさかいのなかに46歳で没した母の思い出が、「あか金の足つきだらひに向ひ、おはぐろを付けてゐる」姿なのだ。それは母の悲しみ以外のなんだろう。日本の不合理な習俗、習慣(「お歯黒」だけではなくて、「妾」を含めて)の中で生きざるを得なかった母を思い出すにつけ、義雄の思いは、「人間の本統の改造」へと飛躍する。すべてを破壊して、「本統の新しい自己」を生み出したい、そう思う。その時、義雄は、千代子を溝に突き落とそうとしたらしい。そのことに気づいたのは、千代子からの「手ごたえ」だった。

 こうした展開に、少しの無理も感じないのは、これまでの、義雄と千代子の関係を、丁寧に正直に書いてきたからだ。見事である。





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