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一日一書 1523 寂然法門百首 (3)

2019-01-25 14:48:55 | 一日一書

 

春陽之日遊戯原野

 

千歳ふる松もかぎりはあるものをはかなく野べに引く心かな

 

半紙

 

 

【題出典】

願春陽之日遊戯原野。(『法華文句記』)

春陽の日に原野に遊戯するを願う。

 

【歌の通釈】

千年を経るという松にも限りはあるのに、はかなく子の日の野遊に心を奪われ、小松を引くことだよ。

 

『全釈』による。

 

 

「題」については、前後関係が分からないとむずかしいところ。

普安という王様が、隣の国の四人の王様と話をしていたのだが、

普安は四人に、あなた方はそれぞれ、最も願うことは何か? と尋ねた。

すると、一人の王が、「春陽の日に原野に遊戯するを願う。」と答えた。

つまり、私は、暖かい春の日に、野原で遊びたい、ということだ。

それを聞いた普安は、それを批判して、

私は、「不生不滅不苦不楽を願う。それこそが仏の教えだからだ。」と言った。

それを聞いて、四人の王は、みな悟りを開いたというお話。

 

寂然は、このことを、「野遊」を

「子の日の遊び」(正月最初の子の日に、野に出て若菜をつみ、小松を引いて(引き抜いて)長寿を祝う風習。)

に置き換えて、歌にしたわけです。

 

千年生きるという松だって、命に限りがあるというのに、

それよりはるかに短い命しか持たない人間が、

野原で遊んでいてよいものだろうか、ああ、情けない、ということでしょうか。

 

4人の王様はみな普安に感化されて、仏の道を歩んだのでしょうが、

さて、この世の遊びに心残りはなかったのでしょうか。

 

限りある命なのだから、さっさとこの世の楽しみは捨てて

仏の道に精進せよという教えを、頭では理解できながら、

それでも、なかなか、捨てきれない。

「春陽之日遊戯原野」を願うのは、煩悩でしょうが、

また、魅力的だからこその「煩悩」だと言えるでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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日本近代文学の森へ (84) 徳田秋声『新所帯』 4 歯切れのよい文体

2019-01-23 16:11:42 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (84) 徳田秋声『新所帯』 4  歯切れのよい文体

2019.1.23


 

 さて、見合いの翌日、さっそく和泉屋がやってくる。


 明日は朝早く、小僧を注文取りに出して、自分は店頭(みせさき)でせっせと樽を滌(すす)いでいると、まだ日影の薄ら寒い街を、せかせかとこっちへやって来る男がある。柳原もの【*1】の、薄ッぺらな、例の二重廻しを着込んだ和泉屋である。
 和泉屋は、羅紗の硬(こわ)そうな中折帽を脱ぐと、軽く挨拶して、そのまま店頭へ腰かけ、気忙しそうに帯から莨入(たばこい)れを抜いて莨を吸い出した。
 「君の評判は大したもんですぜ。」と和泉屋は突如(だしぬけ)に高声で弁(しゃべ)り出した。「先方(さき)じゃもうすっかり気に入っちゃって、何が何でも一緒にしたいと言うんです。」
「冷評(ひやか)しちゃいけませんよ。」と新吉はやっぱりザクザクやっている。気が気でないような心持もした。
「いやまったくですよ。」と和泉屋は反り身になって、「それで話は早い方がいいからッってんで、今日にでも日取りを決めてくれろと言うんですがね、どうです、女も決して悪いて方じゃないでしょう。」と和泉屋は、それから女の身上持ちのいいこと、気立ての優しいことなどをベラベラと説き立てた。星廻りや相性のことなども弁じて、独りで呑み込んでいた。支度はもとよりあろうはずはないけれど、それでもよかれ悪しかれ、箪笥の一棹ぐらいは持って来るだろう。夜具も一組は持ち込むだろう。とにかく貰って見給え、同じ働くにも、どんなに張合いがあって面白いか。あの女なら請け合って桝新(ますしん)のお釜を興しますと、小汚い歯齦(はぐき)に泡を溜めて説き勧めた。
 

  徳田秋声の文章は、歯切れがよくて、明快だ。泡鳴の意味不明な独善的表現や、花袋の感傷的でたどたどしい文章を読んだあとでは、真水のようにすっきりした感じがする。「店頭」と書いて「みせさき」と読ませたり、「突如」と書いて「だしぬけ」と読ませたりするのは、この泡鳴にも花袋にもあったことで、口語の表記の仕方が未成熟であったことを思わせるが、こういう表記をやめれば、ほとんど今の文章と変わらない。いわゆる「言文一致体」の完成である。

  明治の中頃から始まった言文一致への動きは、ようやく自然主義文学によってその達成をみたということを、昔どこかで習った覚えたあるが、ムベなるかなである。

 この辺の、新吉と和泉屋のやりとりなどは、いきいきとしている。特に、和泉屋の描写がうまい。「まだ日影の薄ら寒い街を、せかせかとこっちへやって来る男」などという表現は、さっと鉛筆でスケッチしたような描写で心地よい。続く「和泉屋は、羅紗の硬(こわ)そうな中折帽を脱ぐと、軽く挨拶して、そのまま店頭へ腰かけ、気忙しそうに帯から莨入(たばこい)れを抜いて莨を吸い出した。」などは、まったく無駄のない言葉遣いで、くっきりと和泉屋の動きを描きだしている。

 それにしても、この和泉屋という男、作者にとっては気に入らないヤツのようで、悪意すら感じる描かれ方だ。その極めつけが、「小汚い歯齦(はぐき)に泡を溜めて説き勧めた」というところ。口に泡をためてしゃべるというのは、どうにも品のない様だが、「小汚い歯齦」とダメ押しされると、和泉屋の卑俗さがこの一言で決定的になる。実にうまい。

 映画だったら、殿山泰司なんかにやらせたい役どころ。そんなことをふと思うのも、この小説を読んでいると、溝口健二あたりの映画のワンシーンのような気がしてくるからだ。ひょっとして映画化されたことがあるんじゃなかろうかと思って調べてみたが、どうも映画化はされてないようだ。映画化されているのは、『甘い秘密』(吉村公三郎監督、佐藤友美 1971)『爛』(増村保造監督、若尾文子 1962)『あらくれ』(成瀬巳喜男監督、高峰秀子 1957)『縮図』(新藤兼人監督、乙羽信子 1953)ぐらいのようだ。それにしても、豪華なラインナップだ。これらの小説を全部読んで、この映画も全部みたいという気持ちになる。

 さて、和泉屋の言葉を聞いて、新吉も、ようやく決心する。


 新吉は帳場格子の前のところに腰かけて、何やらもの足りなそうな顔をして聴いていたが、「じゃ貰おうかね。」と首を傾(かし)げながら低声(こごえ)に言った。
「だが、来て見て、びっくりするだろうな。何ぼ何でも、まさかこんな乱暴な宅(うち)だとは思うまい。けど、まあいいや、君に任しておくとしましょう。逃げ出されたら逃げ出された時のことだ。」
「そんなもんじゃありませんよ。物は試し、まあ貰って御覧なさい。」
 和泉屋はほくほくもので帰って行った。


 結婚を決めるのに、「じゃ貰おうかね。」と自信なさげな新吉だが、やはり、問題は金ということになる。一生懸命に働いてきたけれど、まだまだ結婚できるほどの身代じゃないと、不安なのだ。

 和泉屋は「ほくほくもので帰って行った」というのだが、なぜ「ほくほくもの」なのだろうか。単に世話好きなだけじゃなくて、なにか、「役得」があるのだろうか。お作の方で乗り気なものだから、なんらかの「成功報酬」を約束されているに違いない。


 それから七日ばかり経ったある晩、新吉の宅(うち)には、いろいろの人が多勢集まった。前の朋輩が二人、小野という例の友達が一人──これはことに朝から詰めかけて、部屋の装飾(かざり)や、今夜の料理の指揮(さしず)などしてくれた。障子を張り替えたり、どこからか安い懸け物を買って来てくれなどした。新吉の着るような斜子(ななこ)の羽織と、何やらクタクタの袴を借りて来てくれたのも小野である。小さい口銭(コンミッション)取とりなどして、小才の利きく、世話好きの男である。
 料理の見積りをこの男がしてくれた時、新吉は優しい顔を顰《しか》めた
「どうも困るな、こんな取着(とりつ)き身上(しんしょう)【*2】で、そんな贅沢な真似なんかされちゃ……。何だか知んねえが、その引物とかいう物を廃(よ)そうじゃねえか。」
 小野は怒りもしない。愛嬌のある丸顔に笑みを漂(うか)べて、「そう吝(けち)なことを言いなさんな。一生に一度じゃないか。こんな物を倹約したからって、何ほども違うものじゃありゃしない。第一見すぼらしくていけないよ。」


 ずいぶん早い展開である。見合いしてから一週間足らずで、もう婚礼である。この「はやさ」は、落語でよく出て来る婚礼にも見られる。長屋のハッツァンに大屋さんから話が持ち込まれると、もう、その夜には嫁入りだ。いくらなんでも早すぎるよなあと思って聞いてきたが、こういうところを読むと、案外それが実際だったのだと思い知らされる。

 ダメならダメでいいというような投げやりな新吉だったが、いざ婚礼となると、出費が気になって仕方がない。

 小野という男は、新吉と同郷の友達のことらしいが、この男が頼まれもしないのに、婚礼のあれこれを取り仕切るという、これまた世話好きときている。この友達は、なんでこんなに親切なのかというと、「口銭(手数料)」かせぎのだ。ボランティア精神に富んでいるわけじゃなくて、ケチな下心があるわけである。

 下心があるにしろないにしろ、和泉屋とか小野とかいった世話好きな男というものは、今ではどこにもいないような気がする。それとも、ぼくの周辺にいないだけなのか。ぼくの頭に浮かぶのは、せいぜい、町内のバーベキューなんかで、肉を嬉々として焼く男ぐらいのものだ。それとても、映像で見て知っているだけのことで、知り合いにいるわけじゃない。

 そんな「世話好き」な小野は、料理屋の口銭もあるのか、せっせと見積もりをとってくる。それをみて新吉は、そんな贅沢はしたくないと思うのだが、小野はそんな話には耳を貸さない。ケチケチするなよ、一生一度のことだろ、って笑っている。

 まあ、新吉の気持ちも分かるが、小野のいうことももっともだ。ぼくなんかは、金がなくても、こういうときはパッと使ってしまうタチだから、こんなところでケチるのは気に入らない。けれども、商人というものは、きっとこうした心性があるのだろう。ちなみに、ぼくの浪費癖は、職人の家に生まれた故だと思っている。



【*1】

【柳原もの】東京都千代田区北部を流れる神田川の万世橋から浅草橋まで十町余(約一・三キロ)の南の岸一帯を、江戸時代に柳原と呼称した。神田川沿いに堤防があり、これを柳原土手と呼び、河岸を柳原河岸と称した。一説に、太田道灌が長禄二年(一四五八)江戸城を整備した際、その鬼門除けとして、この地に柳数株を植樹したのが地名の起りとするが、元和四年(一六一八)秋、神田川の河幅拡張と築堤工事が行われ、土手に柳が植えられたものと思われる。寛永九年(一六三二)刊行の「武州豊島郡江戸庄図」には「ヤナキツゝミ(堤)」と記載されている。この柳は明暦三年(一六五七)の大火で焼け、享保年間(一七一六―三六)徳川吉宗の命により、その地名に因んで柳が植えられ、やがて繁茂して遠近の目印となり、飛鳥山の桜、御殿山のぬるでとともに江戸名勝の一つとなった。江戸時代中期より土手下に古着の店が列び、「柳原物」と呼ばれて昭和の初期まで繁昌した。土手は明治の初年に撤去され、柳原通りと呼ばれた。


『国史大辞典』

【*2】
【取り着き身上】始めたばかりで何事もととのわない世帯。『大辞林』




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日本近代文学の森へ (83) 徳田秋声『新所帯』 3 「視点」の問題

2019-01-22 15:12:18 | 日本近代文学の森へ

日本近代文学の森へ (83) 徳田秋声『新所帯』 3 「視点」の問題

2019.1.22


 

 お作の身元を調べた新吉は、まあ、飛びつくような縁談でもないけど、これくらいが自分の分際では十分だと思ったが、いちおう同じ村から出ている友達に相談して、見合いをすることにした。


 そのことを、同じ村から出ている友達に相談してから、新吉はようやく談(はなし)を進めた。見合いは近間の寄席ですることにした。新吉はその友達と一緒に、和泉屋に連れられて、不断着のままでヒョコヒョコと出かけた。お作は薄ッぺらな小紋縮緬(こもんちりめん)のような白ッぽい羽織のうえに、ショールを着て、叔父と田舎から出ている兄との真中に、少し顔を斜(はす)にして坐っていた。叔父は毛むくじゃらのような顔をして、古い二重廻しを着ていた。兄は菱なりのような顔の口の大きい男で、これも綿ネルのシャツなど着て、土くさい様子をしていた。横向きであったので、新吉は女の顔をよく見得なかった。色の白い、丸ぽちゃだということだけは解った。お作は人の肩越しに、ちょいちょい新吉の方へ目を忍ばせていたが、新吉は胸がワクワクして、頭脳(あたま)が酔ったようになっていた。
 寄席を出るとき、新吉は出てゆくお作の姿をチラリと見た。お作も振り顧(かえ)って、正面から男の立ち姿を二、三度熟視した。お作は小柄の女で、歩く様子などは、坐っているよりもいくらかいいように思われた。
 そこを出ると、和泉屋は不恰好な長い二重廻しの袖をヒラヒラさせて、一足先にお作の仲間と一緒に帰った。
「どうだい、どんな女だい。」と新吉はそっと友達に訊いた。
 何だか頭脳がボッとしていた。叔父や兄貴の百姓百姓した風体が、何となく気にかかった。でも厭でたまらぬというほどでもなかった。


 見合いの場所が「近間の寄席」だったというところがおもしろい。当時は、東京中のあちこちに寄席があって、そこが見合いの場所として使われることもあったというようなことは、今では考えられないことだが、この頃の小説には、歌舞伎などの芝居見物が、同時に見合いの場でもあるというようなことはよく出て来る。確か、泡鳴の小説に、見合いではないが、そんなふうな場面が出てきたような気がするが、忘れてしまった。

 その寄席に、お作と、その叔父と兄が来ているわけだが、彼らの描写に注目したい。

 「分析批評」では、「視点」ということがよく言われて、ぼくも、授業では何度もその「視点」のことを話してきた。それをここで簡単に説明しておくと、「視点」というのは、小説の文章をどの位置から書くかということで、大ざっぱにいうと、「全知視点(神の視点)」と「一人称視点」(この名称でよかったのか、記憶があやふやですが、いちおうこうしておきます。)の二つがある。「全知視点」で書く場合は、作者は、登場人物すべての心の中を知っているという前提で書く。一方、「一人称視点」で書く場合は、作者は、登場人物のうちのただ一人(大抵は主人公)の心の中は知っているが、それ以外の人物の心の中には入ることができず、その主人公の目からみた、あるいは主人公の感じた範囲でしか描けない、という前提で書くことになる。

 例えば、「男は女をチラリとみて、不快だと思ったが、女の方は、なんて素敵な人なんだと思った。」と書くのは「全知視点」だが、「男は女を見て、不快だと思ったが、女は急に顔を赤らめて俯いてしまった。」なんて書くのは「一人称視点」だということになる。

 「全知視点」で書かれた文章は、「客観的」な文章になるだろうし、「一人称視点」で書かれた文章は「主観的」な文章になるだろう。もちろん、厳密にいえば、そう簡単には言えないわけだが、まあ、そうしておく。

 補足しておくが、この「全知視点」と「一人称視点」のどちらか一方だけで小説が書かれているということではない。片方の視点を厳密に守って書かれた小説もあるけれど、多くの小説は、必要に応じて、まぜこぜで書かれているといっていいだろう。

 で、この見合いの場面での、お作とその叔父、兄の描写は、「全知視点」なのか「一人称視点」なのかを考えてみよう。

 一見この文章は、「客観的」に書かれているように見える。「見合いは近間の寄席ですることにした。新吉はその友達と一緒に、和泉屋に連れられて、不断着のままでヒョコヒョコと出かけた。」と書くとき、作者の位置は、新吉や友達の「外側」にいて、彼らの行動を「客観的」に書いていると考えてもいいだろう。けれども、次の、「お作は薄ッぺらな小紋縮緬(こもんちりめん)のような白ッぽい羽織のうえに、ショールを着て、叔父と田舎から出ている兄との真中に、少し顔を斜(はす)にして坐っていた。」となると、どうか。ここだって「客観的」じゃないかというかもしれないが、最後の「少し顔を斜(はす)にして坐っていた。」というところに注目すると、あきらかに新吉に「視点」があることがわかる。新吉から見ると、「顔が斜」になるわけだ。つまり、新吉からは、顔の全体がちゃんと見えない。だから、どんな女なのかよく分からないということだ。つまり、ここは厳密にいうと「一人称視点」になっていると言える。

 もう少し言えば、「薄ッぺらな」「白ッぽい」という言葉が、お作を「見下した」感じを与える。「ぺら」「ぽい」といった響きが揶揄的だからだろう。ここも、新吉がそう「感じた」ということになるのか、あるいは作者の「意図」なのか、判然とせず、むずかしいところだ。

 その次はどうか。「叔父は毛むくじゃらのような顔をして、古い二重廻しを着ていた。兄は菱なりのような顔の口の大きい男で、これも綿ネルのシャツなど着て、土くさい様子をしていた。」これも、「客観的」なようでいて、微妙な表現だ。「毛むくじゃらのような顔」「菱なりのような顔の口の大きい男」という表現は、たぶんに揶揄的で、馬鹿にしているようなニュアンスがある。「毛むくじゃら」というのは、「毛深いこと」の意だが、それに「ような」がついているのが不可解。辞書には載っていないが、「毛むくじゃら」で、「毛深い動物」のような意味があったのかもしれないし、作者の頭の中にそんなイメージがあったのかもしれない。いずれにしても、純粋に「客観的」に書くなら、「毛深い顔で」とすればいい。「毛むくじゃらのような」と書くことで、その叔父の品のなさを強調するような結果となっている。つまりは、ここには新吉の「印象」が紛れ込んでいるのか、あるいは、作者の「主観」が入りこんでいると考えることができるだろう。

 「菱なりのような顔」も、同じだ。「菱なり」は「菱形」のことだが、顔が「菱形みたいだ」というのは、戯画化である。そんな極端な顔はないが、そう書くことで、「変な顔」を印象づける。その変な形の顔に大きな口がついているのだから、余計に変な顔になってしまう。

 更に最後の「土くさい様子」が決定的で、ここは、新吉の印象(あるいは作者の主観)以外の何ものでもない。「様子」が「土くさい」かどうかは、見るものの「主観」の問題で、「毛深い」のとはわけが違う。「土くさい」という表現には、「田舎」を侮蔑するニュアンスがあきらかにある。

 ここで、もうちょっとこだわれば、「毛深い顔」というのも、本当は「純粋に客観的」とは言えないだろう。この叔父の顔を描写するにあたって、ことさら顔にはえている毛に注目すること自体「客観的」とはいえない。毛のことなんか無視して、「鋭い目をした顔」と書いたっていいのに、わざわざ「毛深い顔」と書くのは、「毛深い」=「田舎くさい」という連想のなかで、書かれているからである。

 こんなふうに「分析」してくると、文章を書くということは、めんどくさいことだなあとつくづく思い知らされる。報告などの文章を書くときには、「客観的」に書きなさいなどと作文指導をするけれど、自分の「主観」を離れてどんな文章が書けるだろうと一度でも考えてみれば、その困難さに愕然とするはずだ。

 で、話は戻って、こんどは新吉とお作の描写だ。「横向きであったので、新吉は女の顔をよく見得なかった。色の白い、丸ぽちゃだということだけは解った。お作は人の肩越しに、ちょいちょい新吉の方へ目を忍ばせていたが、新吉は胸がワクワクして、頭脳(あたま)が酔ったようになっていた。」これをよく読むと、ここはあきらかに「一人称視点」で書かれていることが分かるのは説明を要しないだろう。新吉は「胸がワクワクして、頭脳(あたま)が酔ったようになっていた。」と書かれているのに、お作の心の中は何も書かれていない。「お作は人の肩越しに、ちょいちょい新吉の方へ目を忍ばせていた」と、その外側からみる行動だけが書かれている。

 この後も、お作については、「お作は小柄の女で、歩く様子などは、坐っているよりもいくらかいいように思われた。」と、あくまで新吉の「印象」として書かれているのだ。

 「『どうだい、どんな女だい。』と新吉はそっと友達に訊いた。」と、自分では判断のつきかねる女についての意見を友達に求めつつ、まあ、親族が田舎くさいのは気になるけど、あんなもんか、といったそっけない感想しか新吉は持たなかったのである。

 この女と結婚することになるのかと思うと、「胸がワクワクして、頭脳が酔ったように」なる新吉だが、それは、女への愛情を意味しない。ただ性欲の満足への一時的な期待にすぎず、それを除けば、お作への熱い思いなど起こりようもなかったのだ。





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一日一書 1522 名月松間照 清泉石上流・王維

2019-01-21 20:00:08 | 一日一書

 

王維の詩より

 

名月松間照

清泉石上流

 

67×35cm

 

 

ぼくが師事している水墨画の姚小全先生は、書家でもあり

度々中国に帰ると、いろいろな本を仕入れてきてくれます。

この書も、そうした本に載っていたものを

臨書してみたものです。

 

解説がついているのですが

とにかく全部現代中国語で書かれているので

だいたいの意味しか分かりません。

 

作者、姚璜は、姚小全先生のご尊父。

だれの書だろうなど、ここに書いてしまったのは、

とんでもなく失礼なことでした。

お詫びして、訂正いたします。

 

隷書ですが、思いがけない字形が面白いですね。

姚小全先生によると

「草書的な隷書ですね。」とのことです。

 

「一日一書 1520 流」は

この最後の字を、ぼくなりにアレンジして、

半紙に一字書いたものです。

 

中国語の勉強をしてみようかなあ。

 

 

 

 

 

 

 


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一日一書 1521 この道しかない春の雪ふる・山頭火

2019-01-20 21:57:49 | 一日一書

 

山頭火

 

この道しかない春の雪ふる

 

半紙

 

 

「この道しかない」と

はやく思えるようになりたいと思って

はや何十年。

 

いつになったら、見つかるのかなあ、「この道」は。

 

しかし、そう思っているうちは

たぶん絶対に見つからないんじゃないかって、

最近、思うようになってきています。

 

考えてみれば

自分が歩いてきた道は、どんなにあっちへふらふら、こっちへふらふら

ぶれっぱなしだとしても、

その道は、たった1本の道だったわけで、

それなら、今、もう、「この道」しかない「道」を歩いているのだ。

そう思えばいいわけです。

 

 


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