草木叢林随分受潤
下草もめぐみにけらし木(こ)の芽はる雨のうるひや大荒木(おほあらき)の杜
半紙
【題出典】
草木叢林、随分受潤。(『法華経』)
草木・叢林は分に随って潤を受く。
【歌の通釈】
大荒木の杜の下草(人間、天上)にも恵を与えたらしい。木の芽が張る春の雨(仏の平等一味の雨)の潤いであるよ。
【考】
仏の恵の雨は、低い位の者の上にも平等に降り注ぐ。これを大荒木の杜の下草までもが春雨の潤いを受けることになぞらえて表現した。仏の恵の雨を「春雨」と表現するのは、俊成の歌に前例があるが、「下草」を詠むことにより、埋もれた者が恵を受ける、そのありがたさが実感される。
以上『全釈』による。
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いっぱいに膨らんだ木の芽に、暖かい春雨が降り注ぐというイメージは、仏の慈愛を感覚的に伝えます。「法華経」の経文に、肉体が与えられたような、そんな感じがする歌です。それはイメージだけの作用ではなくて、「和歌」が持つ独特の「肉体」のしからしむるところなのかもしれません。
「釈教歌」というものは、仏の教えを和歌にしただけのつまらないものだと思っていましたが、こうして読んでみると、仏教の日本的な受容のさまが伺えるような気がして、興味深いものがあります。