サツキ1万本が見頃
別子銅山記念館
開館は1975年。
元禄以降、約65万トンもの銅を産出した別子銅山が、280余年の歴史を閉じてから二年後です。
日本経済の近代化に大きく貢献した別子銅山・・・
日本の産業、そして化学や金融、商社などの企業を有する住友グループの礎になった銅山の歴史を
後世に伝える為にグループ20社が銅山の守り神がまつられている大山積神社の境内に設立しました。
半地下式の記念館
半地下式の館内は坑道をイメージしたそうです。
幕府が開坑を許可したのが1691年5月。
「坑口は最初、標高1,200mの所に開かれましたが、鉱脈を追って掘り進めた結果、
最後は海面下約1,000mにまで至ったといいます。」
斜面をいかした屋根の全面には、別子銅山が開坑された5月にちなみ、サツキが1万本植えられ、
敷地内の斜面には2,000本が並び5月のこの時期ピンク色の花で彩られます。
散策しよう~~!!
記念館から「えんとつ山」や「生子山城跡」に向けてのピクニックコースは人気です。
えんとつ山から北を望む市内の眺望は素晴らしく、振り返ると新緑の四国山脈が・・・!
別子銅山記念館
開館は1975年。
元禄以降、約65万トンもの銅を産出した別子銅山が、280余年の歴史を閉じてから二年後です。
日本経済の近代化に大きく貢献した別子銅山・・・
日本の産業、そして化学や金融、商社などの企業を有する住友グループの礎になった銅山の歴史を
後世に伝える為にグループ20社が銅山の守り神がまつられている大山積神社の境内に設立しました。
半地下式の記念館
半地下式の館内は坑道をイメージしたそうです。
幕府が開坑を許可したのが1691年5月。
「坑口は最初、標高1,200mの所に開かれましたが、鉱脈を追って掘り進めた結果、
最後は海面下約1,000mにまで至ったといいます。」
斜面をいかした屋根の全面には、別子銅山が開坑された5月にちなみ、サツキが1万本植えられ、
敷地内の斜面には2,000本が並び5月のこの時期ピンク色の花で彩られます。
散策しよう~~!!
記念館から「えんとつ山」や「生子山城跡」に向けてのピクニックコースは人気です。
えんとつ山から北を望む市内の眺望は素晴らしく、振り返ると新緑の四国山脈が・・・!
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます