バターン「死の行進」を歩く-その2
同書の中から、いくつかを紹介したい。
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5日間かかってオリオンに到着。兄が手配してくれた舟がくるのを港で待
っていた。そこに日本兵がやって来て「男性はそのまま歩いていけ。女性は
残れ」と命令された。ラオーラさんはギャザースカートをはき、ブラウスを
着ていた。日本兵が片手でラオーラさんの胸にふれた。息が止まりそうだっ
た。日本兵はさらに指をさげていった。胸につけていた十字架が大きかった
ので、ラオーラさんの胸のふくらみがほとんどないと思ったようだった。日
本兵は次にルースという18才の女性の胸にさわった。きれいな娘だった。
彼女だけが顔を汚していなかった。日本兵は彼女を連れ去ろうとした。彼女
の父は、日本兵を殴って抵抗する。しかし、数人の日本兵が彼女を連れて行
った。父親はその場に止められ、ラオーラさんたちは小舟でオリオンを去っ
た。
その後、ルースの父親に会ったとき、彼女は殺されたと聞いた。ラオーラ
さんは「アメリカ」を代表するマッカーサー司令官が帰ってくることを切に
願った。
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下士官たちは日本兵からシャベルを渡され、長い溝を掘るように指示され
た。溝掘りが済むと、日本兵は重病のフィリピン兵士たちを連れてくるよう
に言い、まだ生きている彼らを溝の中に運び入れた。日本兵は下士官にフィ
リピン人兵士たちの意識がなくなるまで頭を殴れと命じた。拒むと、今度は
下士官たちに溝に土をかぶせるように命令した。そむくこともできずに、
10人のフィリピン人兵士たちに土をかぶせた。まだ体力が残っていたフィ
リピン人兵士が、溝の中から起き上がろうとした。下士官は土をかぶせるこ
とができなくなった。それを見た日本兵が日本刀を持ち出して、起き上がろ
うとするフィリピン人兵士を切りつけた。そして、下士官に土を埋めさせた。
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バランガにやっとたどり着いた捕虜たちに与えられたのは、「おにぎりが
一つ」だった。それでは約40キロを歩いてきた捕虜たちには残酷である。
隠していた金銭を取られずに持っていた捕虜たちは、収容所前にいたフィリ
ピン市民から米を買った。「ここでコメを炊いてはいけない」と、日本軍か
ら命令は出されていても、何人もがコメを炊いて食べた。前述のジェームス
・バルダサレさんは、3カップ分のコメを買って炊いて食べた。運悪く、そ
の中の2人が日本軍に見つかった。命令にそむいたという理由で彼らは生き
埋めにされた。
バランガで生き埋めにされたのは、2人だけではなかった。
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バランガで一泊することになった捕虜たちが一番欲したものは「水と飲料」
だった。バランガに着く前に水を求めて殺された兵士たちもいた。次のよう
なマニラ法廷での証言がある。
「バランガに到着する前に橋があり、川には水が流れていました。捕虜た
ちは水が欲しかったんだと思います。長い間水を飲んでいなかったんです。
6人ほどが橋を飛び降りました。彼らが水を飲もうとしたそのときに、日本
兵は射殺しました。
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「昨9日正午、バタアン半島総指揮官キング少将は部下部隊を挙げて降伏
を申し出たが、日本軍はまだこれに全面的な承諾を与えていない。それゆえ、
米比軍の投降者はまだ正式に捕虜として容認されていないから、、各部隊は
手元にいる米比軍投降者を一律射殺すべし、という大本営命令を伝達する。
貴部隊もこれを実行せよ」(辻政信参謀が口頭で伝達して歩いたらしい)
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