食糧配給制限
サンダカン捕虜収容所の捕虜全員死亡に限りなく近い高い死亡率の一因である食糧配給の制限状況を「知られざる戦争犯罪-日本軍はオーストラリア人に何を
したか」田中利幸著-大月書店からいくつか抜粋したい。
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捕虜収容所開設当時は、重労働に従事した捕虜には一人あたり750グラムの
米とこの地域でとれるカンコンと呼ばれる菜っ葉を中心に600グラムの野菜が、
重労働に従事しない捕虜には一人あたり550グラムの米と400グラムの野菜
が毎日支給された。肉や魚の支給はたまにしかなかったようであるが、しかしす
でに述べたように最初のうちは賃金が払われており、所内で売店を開くことが許
可されていたので売店があげた利益でヤク牛を数頭買いその肉を捕虜全員に分配したことがときたまあったという。また売店では亀の卵やバナナなども入手でき
たので、食料は豊富とはいえないが不十分なものではなかった。しかしすでに述
べたように1943年なかばには売店も閉鎖され、1944年6月には米の配給
が重労働者には1日400グラムに、重労働に従事できない病人には300グラ
ムに削減されている。減らされた米の代用タピオカやさつま芋などが使われたよ
うであるが、それもたいした量ではなかった。
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1945年1月には米の配給は労働従事者には1日あたり300グラム病人に
は200グラムにまで削減したということであるが、生き残った捕虜の証言では
米は100グラム少々で、あとはタピオカ、さつま芋、野菜が少々供給されただ
けだったという。
したがって、食糧供給が大幅に削減された1944年6月以降からは栄養失調
と病気による捕虜死亡者数が急激に増加し始め、それまでは死亡者には形なりに
も棺桶をこしらえて葬っていたが、棺桶を作るのが間に合わなくなるほど毎日死
亡者が続出したため、これ以降死亡した者は裸の状態で土葬されている
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・・・4月1日からは、サンダカン捕虜収容所の捕虜への米の配給を完全に停
止させた。
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食糧配給の削減には、サンダカン事件や戦況の悪化、捕虜処分の方針などが関
係していると考えられる。
http://www15.ocn.ne.jp/~hide20/
http://homepage3.nifty.com/pow-j/j/j.htm