真実を知りたい-NO2                  林 俊嶺

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サンダカン捕虜収容所

2008年01月26日 | 国際・政治

             生存率0,24%の捕虜収容所

 サンダカン(Sandakan)は、カリマンタン島(ボルネオ島)の北部に位置する
マレーシア・サバ州の都市で、州都コタキナバルに次ぐ第二の商業都市である。
戦時中は、ボルネオ島東海岸部の油田ブニュー、タラカン、サンガサンガやバリ
ックパパンと日本を繋ぐ重要な連絡地であったという。そこに、生存率0,24%の
問題の捕虜収容所があったのである。
 サンダカン捕虜収容所には1943年9月時点では約1800名のオーストラ
リア軍捕虜と700名のイギリス軍捕虜が収容されていたが、戦後まで生き延び
たのはこのうちたった6名であったというのである。あの悪名高いアンボン捕虜
収容所でさえ、528名の捕虜のうち123名が戦後まで生き延び、生存率は23
%であり、過酷な強制労働で知られている泰緬鉄道建設工事に従事させられたオ
ーストラリア軍捕虜は総数9500名のうち死亡者は2646名で生存率は72%
であったというから驚く。
 この捕虜収容所で何があったのかは後に回すとして、生存率0,24%のこの捕虜
収容所のことがほとんど知られていない主な理由は、「知られざる戦争犯罪(日
本軍はオーストラリア人に何をしたか)田中利幸著<大月書店>
」によると、一
般的な無関心にくわえて、次の3つがあるという。
 1 一部の上級人員を除いて、監視員のほとんどが台湾人であったため、直接
   経験者としてこの問題に言及できる証言者がきわめて少ないこと。
 2 敗戦直前に日本軍が収容所に火をつけたため、証拠となるような関係書類
   を焼失してしまっていること。
 3 生存者が少ない上に、精神的傷痕があまりに深くて、他人に語ったり、文
   章にしたりすることがきわめて困難であったこと。(語り始めたのは1980
   年代に入ってからであるという) 

 
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