朝日新聞は、社説その他で
”ウクライナ戦争を引き起こしたのは、他ならぬロシアであるとの原点から目をそらせてはならない”
というような主張をくり返してきました。また、
”最終的に侵略した側が得をする結果となれば、模倣する権力者が次々と現われかねない”
などと妄想と言えるようなことも書いて、停戦・和解に背を向けてきました。
ゼレンスキー大統領の
”ウクライナはウクライナのためだけに戦っているのではないという主張を、重く受け止める必要がある”
とも書いて、ウクライナ戦争でウクライを支援する必要性を説いてもきました。でも、こうした日本国憲法に反するような論調は、朝日新聞に限ったことではなく、主要メディアに共通のものだと思います。
大事なことは、これらはロシアを孤立化させ、弱体化させようとするアメリカの戦略と同じであるということです。
日本の主要メディアが、ウクライナ戦争を取り上げる際には、決して、戦争の経緯やロシア側の主張、ヤヌコビッチ政権反対派へのアメリカの支援、ドンバス戦争、NATO諸国の軍事演習、ノルドストリーム問題などには触れない、あるいは、触れても深入りしない配慮がされてきたと思います。それは、ウクライナ戦争を主導するアメリカの意図や関わりを隠すためだ、と私は思います。
なぜなら、プーチンが「悪魔のような独裁者」で、ロシアが「恐ろしい侵略国」でないと、ロシアを孤立化させ、弱体化させるというアメリカの戦争目的が達成できないからです。
上記のようなことに触れると、アメリカを中心とするNATO諸国の側の対ロ政策の矛盾や問題点が明らかになり、プーチンが「悪魔のような独裁者」で、ロシアが「恐ろしい侵略国」であるという国際的な認識が崩れて、世論の支持を失うばかりでなく、逆にアメリカ側が孤立し、弱体化する恐れもあるからだろうと思うのです。
オリンピックからロシアの選手を排除したのみならず、あらゆる組織や団体からロシア人を排除した理由も、プーチンが「悪魔のような独裁者」で、ロシアが「恐ろしい侵略国」であるという国際的な認識を維持するためだ、と私は思っています。
先日、島根県大田市長久町出身で、ロシア政治が専門の中村逸郎筑波大名誉教授が、大田市内でロシアのウクライナ軍事侵攻について講演したといいます。その際、”戦争の発端は、プーチン大統領の個人的な死生観が引き起こしたのではないか”と推測し、”本当は肝が小さく、自分を大きく見せようとした結果だ”というようなことを語ったとの報道がありました。ロシア政治が専門の筑波大名誉教授が、ウクライナ戦争前のプーチン大統領の演説を解説したり、ヤヌコビッチ政権転覆の実態やドンバス戦争の実態に触れないで、こんなことを語ったのか、と驚きました。
アメリカが他国を搾取・収奪の対象とし、逆らう国に何をしてきたのか、というようなことを全く考慮せず、プーチンが「悪魔のような独裁者」で、ロシアが「恐ろしい侵略国」であるというような主張をくり返す中村教授のような専門家が、平和の回復を遠ざけているように、私は思います。
だから、今回も「混迷するベネズエラ 21世紀ラテンアメリカの政治・社会状況」住田育法・牛島万(明石書店)の中から、山崎圭一氏のベネズエラやブラジルに対するアメリカの内政干渉や軍事介入に関わる文章を抜萃しました。なかに、
”米国がオバマ(Barack Obama)政権時代から、反チャベスの政治勢力の一部を応援し、軍事行動を含む内政干渉を繰り返し、失敗してきた”
というような文章がありますが、こうした認識は、現地を知る人たちに共通していることを見逃してはならないと思います。
下記に明らかにされているのような事実を踏まえ、ウクライナ戦争に関わる諸外国の報道やSNSで取り上げられている諸情報を確認すれば、アメリカのゼレンスキー大統領支援も、過去の事実と同じであることがわかると思います。単なる想像や陰謀論ではないのです。
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第5章。民主化を拒む国際的同調圧力
山崎圭一
1 はじめに
(1)本章の目的
ベネズエラは長く特権階級が支配する国で、1980年代半ば以降は新自由主義の政策路線に傾斜して貧富格差を拡大させた国であったが、1999年2月にウゴ・チャベス政権が発足して、格差是正と民主化が始まった。この国での「民主化」という過程は、多くの軋轢と混乱をともなった。なぜなら民主化への抵抗勢力が内外に存在するからである。チャベス政権は、社会主義をめざす意志を「ボリーバル革命」「21世紀の社会主義」といった言葉で表現した。これは政権発足の数年後に使い始めた用語であった。「社会主義」といっても、実際には、複数政党制を維持した資本主義経済の政府で、旧来の特権層(富裕層、大企業といった独占資本)は健在であったし、ニコラス・マドゥロ(Nicolas Maduro Moros)政権に代わって以後の現在も同様である。反対派の諸勢力は、労働者や先住民など社会的弱者の運動に対抗する力を駆使し、日々この左派政権を打倒しようとしてきた。政治家については、野党(「右派」を含む諸派で、現在27党)が今も自由に政権批判を繰り返している。こうした政権に対する野党の抵抗や批判は、複数政党制の国においては通常である。
しかし通常を逸脱した異常が認められるのである。それは、米国がオバマ(Barack Obama)政権時代から、反チャベスの政治勢力の一部を応援し、軍事行動を含む内政干渉を繰り返し、失敗してきたという事実である。このために事態がより複雑化してきた。例えば2002年4月10日には、米国CIAが関与したチャベス政権に対するクーデター事件が発生したが、2日間で失敗に終わっている。2019年1月には、野党の大衆意志党(小規模政党)に所属するファン・グアイドー(Juan Gerardo Guaido Marquez)国会議長が、野党内部の合意がないまま突然暫定大統領への就任を宣言したが、これをすぐさま米国と多くの同盟国が承認した。(ただし全世界では不支持が多い)。以後グアイドー氏を支援する形で、米国は政権転覆の試みを繰り返したが、すべて失敗した。こうした状況を、本章では「左派」政権潰しの巨大なマシーン(仕組み)が起動していると理解する。これによって、ベネズエラは未曾有の経済危機に陥ったのである。
文章の目的は、ベネズエラ危機が日本にとってどのような意味と意義を有するかを考察することである。結論を先取りしておけば、日本社会をよくするための改革にとって肯定的な意味を有すると言える。本章では<この危機の主因がなんであるか>という論点よりも、<ベネズエラが「左派」潰しのマシンの攻撃に耐え抜き、むしろ覇権国の米国を窮地に追い込みつつあることの意味を日本人として考える>という点に、重点を置いている。この考察は、日本が対米追随の姿勢からいかに脱して自主的な成長軌道に回帰するかという論点に、直接的かつ徹底的に重要である。
(2)「マシン」の構成要素・・・略
2、米国によるベネズエラ「攻撃」の経緯
(1) 未曾有の経済危機のはじまり
ベネズエラへの米国の介入や圧力が始まる前の時代の、ベネズエラ国内の政治状況や米国との関係については、所の的確な論考に委ねるが[所 2019]、1980年代の状況を簡潔にまとめると、ルシンチ(Jaime Lusinchi)政権(1984~89年)下で新自由主義的な改革が本格化して、貧富格差が拡大し、全国的な市民の暴動が起っていた。それをペレス(Carlos Andres Perez Rodrigez)第二次政権が武力で鎮圧した。こうした中、1999年に民主主義的な選挙で、貧者を代表するウゴ・チャベス(Hugo Chavez)が当選し大統領に就任したのであった。チャベス政権は、貧者の利害を代表して富裕者の支配に挑戦する政権であったわけで、それ自体大きな枠組でみるならば、民主化促進の政権だと言える。
経済危機が深刻化し、2015~20年の六年間でのGDPがほぼ半減する事態に至った。これはまさに経済崩壊といってよい状況で、その現象認識については異論はない。多くの否定的な報道が国際的にも日本国内でも展開したが、一例として460万人もの国民が(2019年時点、累積)、難民または移住者として国を脱出したという国連難民高等弁務官事務所の発表する数値が、引き合いに出されている。こうして「国家崩壊」の状態のように描かれている。
この原因として、一般的には石油価格の低下と石油資源への過度の依存という経済失政が原因だと報じられている。確かに経済封鎖よりも先に石油価格の下落が始まったが、この経緯の解釈が分かれているのである。筆者は、経済封鎖は「傷口に塩をぬる」、あるいは「火に油をそそぐ」という負の効果を発揮したとみている。封鎖がなければ、ここまでの経済崩壊には至らなかったはずである。経済失政だけでGDPが半減するとは考えにくいし、類似例が思い当たらない。この米国による経済封鎖は、多くの国際ルールに違反している。そもそも、一つの国が別の国に一方的に経済封鎖を加えることは、国際的に認められていない。むろん貿易紛争において、WTOのルールの下での、違法なダンピングに対するセーフガードといった対抗的な関税措置はあるが、それは別問題である。どのようなルールに抵触するか表1にまとめた(略)。
杉田弘毅の好著『アメリカの制裁外交』によれば[杉田 2020]、経済制裁は昔からあるが、従来の貿易による制裁の効果が少なくなり、(ものの取引は抜け道が多い)、近年は金融制裁に重点が移動して、「冤罪」も多いという。とくにトランプ政権は金融制裁を乱用していると杉田は批判する。金融制裁の一つは、米国市場でのドルの取引を禁止したり、米国内の金融資産を凍結することなどである。これがなぜ効くかというと、グローバル経済にベネズエラも参加しているので、多くの資産を米国の金融機関に預けているからである。またドル決済の商取引が多く、それは一旦米国の銀行を経由するからである。まさにベネズエラは、金融制裁の被害を受けた国の一つである(ただし杉田のこの本では考察の中心的対象ではない)。
こうした経済・金融封鎖だけでなく、マスメディアをつかった介入もある。新しい介入の方法は、「多方面戦略」であると所康弘が紹介しているが[所 2019]、文章でもこの見方を踏襲したい。また危機の全体については、新藤道弘、河合恒生、後藤政子、所康弘、エルナーらの詳細な研究に委ねたい。[新藤 2020:河合 2019;後藤 2019:所、2019:エルナー 2019]。
3,排除のメカニズム
(1) 商業ジャーナリズムの加担
広範な内政干渉について、世界のジャーナリズムが加担している。新聞やテレビ局は、近年SNSの台頭で読者や視聴者を失いつつある。広告やCMの撤退で経営基盤が脆弱化するなか(倒産する地方紙も多い)、取材の予算が削減され、海外の事件を正しく報道する機能を低下させていると考えられる。とくにベネズエラについては、常駐の特派員が配置されていないという報道機関が多いので、記者は数日の滞在でルポ的な記事を書いて、本社のディスクに送信する。先述したように、この国は野党と与党の激しい政治闘争(階級闘争)が日々展開している状況にある。普通に取材すれば、マドゥロ政権への多くの批判に記者は暴露されることになる。そのままそれを記事にすれば「マドゥロ政権=独裁」論に陥るのは、自然な成り行きといえる。商業マスメディアの多くは独占資本の一翼であり、社会主義をめざすという「左派」政権に対する偏見があるので、中立的にチャベスーマドゥロ政権の民主化を評価できないかもしれないという可能性も、私たちは考慮に入れるべきであろう。
ジャーナリズムの真実追究機能が低下あるいは麻痺することについては、今回の例以外に数多くの前例がある。たとえば、ブッシュ政権と有志連合による2003年3月開始のイラク戦争に関する米国のマスメディアの報道は政権に対して擁護的で、また誤報を多く含んでいたが、のちに反省と釈明の記事を掲載した。周知のように、米国はCIAの情報からイラクが大量破壊兵器を保有すると判断してイラク侵攻を始めたが、のちにそれは完全な誤認であることが判明し、実際に大量破壊兵器は見つからなかった。『ニューヨーク・タイムズ』紙は、2004年5月に、政権に同情した記事を掲載し続けたことの誤りを公式に認めた。
日本の新聞やテレビが2019~20年にかけての日本の政治経済をどう報じているか、考えてみよう。一言でいえば、分析力、批判力が低下し、政府発表を転載するだけの官報か広報誌に近い低水準にまで低落したといえよう。「モリ・カケ」問題にせよ、桜を見る会の問題にせよ、沖縄の辺野古の海での基地建設の問題にせよ、官房長官の記者会見で新聞記者が真実を引き出すような批判的質問をすることは、東京新聞の望月衣塑子(社会部)をのぞいてほぼ皆無である(むろん独立系のジャーナリストが鋭い質問をぶつけようとしても、官邸側の司会者に拒否されるという問題が別途存在する)。経済にしても、悪化の一途であるが、「緩やかな回復基調が続く」という事実というよりも、「政治的」な日本銀行の発表を新聞は転載しているだけである。このような日本の商業新聞がベネズエラを報じる際に、マドゥロ政権を独裁政権として描くわけであるが、国内の政治や経済の報道に関して機能不全状態にある新聞とテレビが、遠いベネズエラについては例外的に正しい報道を展開しているという可能性は、高いだろうか。ベネズエラ報道についても、日本国内の報道の低水準と同じく低水準だと推察するのが、合理的ではないだろうか。
2、米国による数々の内政干渉・軍事侵攻
ベネズエラのチャベス─マドゥロ政権の打倒には、米国が大きく関わっているが、このように米国は内政に干渉する例は、ベネズエラに始まったことではなく、夥しい例がある。米国は19世紀以来、世界中で内政干渉や軍事侵攻を繰り返してきた。この他国への介入主義(軍事侵略を含む)は、米国内ではモンロー主義の名のもとに正当化されることが多い。それは百数十年にわたって、現在に至るまで継続しているが、米国はむろんラテンアメリカ地域だけでなく、全世界で諸外国の内政に軍事的に介入している。戦後の主な介入だけでも、全世界で十数件に及ぶ。いくつか挙げると、ベトナム戦争(1965~75年)。コンゴ動乱への国連を巻き込んだ介入(1960年)、ブラジルへの介入(1964年の左派政権転覆)、グアテマラへの介入(1966~67年)、チリのアジェンデ左派政権の転覆(1973年)、グレナダ侵攻(1983年)、ニカラグアへの介入(反政府勢力であるコントラへの支援)(1981~90年)、アフガニスタンへの戦争(2001年)、イラク戦争(2003年)などである。ごく最近では、イランのソレイマニ司令官のドローンによる爆殺(2019年)がある。このように枚挙にいとまがない。
1964年のブラジルの例をみておこう。同年にゴラール大統領の「左派」政権がクーデターで転覆し、軍事政権が始まったのであるが、近年ついに米国の介入の物的証拠が明らかになった。クーデター発生から40年後の2004年頃から、米国の国家安全保障資料館の秘密文書が公開され始めたことがきっかけである。公開資料の中に、米国による転覆工作の証拠となる機密会話の音声(肉声も含まれており、会話の当事者にはケネディ大統領とジョンソン大統領が含まれていた。こうした情報をもとに、映画『21年間続いた一日』(O Dia que Durou 21 Anos)(が制作され、多くの一般ブラジルが知るところとなった(2013年劇場公開)。
日本も介入を受けている国の一例であることは、後述のとおりである。(第4節第2項)。
これだけ内政干渉や軍事侵攻を全世界で繰り返す米国にとって、ベネズエラへの介入は「いつもの行為」といえよう。また米国の介入が、成功ではなく、事態の混乱を招いているだけだという点も、「いつもの通り」である。ただし今回やや事情が異なるのは、マドゥロ政権やベネズエラの国民の踏ん張りによって、政権転覆が回避されていることで、ここから日本人が学び取るべき教訓は日本の進路を考える上できめて大きい。
(3) 「左派」政権排除の他の最新事例、──ブラジル
ブラジルも2000年代に労働者階級の利害を代表する大統領が1960年代初頭以来、久しぶりに誕生し、民主化が進められた。南米のこの大国の場合、2016年に労働者の政権は一旦終焉しているが、過去20年間のかなりの部分は民主化の時代であった。むろん、「労働者のブラジル」も、腐敗・汚職から自由ではなかったし、保守派を含めた連合政権であったので、新自由主義という路線からも自由でなかったいくつかの限界を抱えた「左派政権」であったが、貧困者や社会的弱者の利害を政治に反映させようと努力した点は評価されるべきである。なお、新しいボルソナロ(Jair Bolsonaro)大統領については、近田亮平の論考拙稿を参照されたい[近田2019、山崎2019、山崎2020]。
2015年と16年に未曽有の経済危機をむかえ(二年連続マイナス成長)、16年にジルマ・ルセフ(Dilma Rousseff)大統領の弾劾裁判が成立した。「左派」大統領の「不正・腐敗」が市民に糾弾された形であったが、実態としては、ルセフ氏の汚職は証明されていないし、労働者党(PT:Partido de Trabalhadores)糾弾の先鋒にいたセルジオ・モロ(Sergio Moro)判事は、裁判官としての公平さを投げ捨てて、ルセフ政権打倒に動いていたことが、その後判明している。当時『VEJA』誌といった総合雑誌では、「モロVSルーラ」という見出しが踊っていて、筆者自身気に留めずに読み流していたが、今振り返ると、VSの片方ほうが検事でなく判事というのは、異常事態であった。なおルーラ(Luiz Inacio Lula Silva)とは2003年に始まった労働者党政権の最初の大統領で、ルセフ(Dilma Rousseff)はその後継者である。
モロ判事は起訴ありきの訴訟指揮をしていた事実がその後明らかになった。すなわち同判事と検察の電話会話が2019年に発表されたのである。発表は、オルタナティブなマスメディアIntercept(
インターセプト)と『VEJA』誌の共同調査・取材によるものであった。判事はボルソナロ大統領によって、2019年1月の政権発足時に法務大臣に任命された。あたかも「報償」人事にもみえたが、その後大統領との見解の相違が生じて2020年4月にモロ氏は法務大臣を辞任した。2016~19年にかけての政治の激変は、「市民vs腐敗政権」というよりも、司法を巻き込んだ右派からの強力な左派政権潰しであったといえる。
これに米国の力はどう関与したであろうか。少し前にもどると、2013年頃からブラジルでは政権批判の抗議運動がふえ、一部が暴徒化していたが、当時これはきわめて珍しい現象であった。それ以前は20年間以上ブラジルでは過激な運動がなかったので、突発的であった。ブラジルの労働組合は、ストライキが多いが、組織率は徐々に低下している。未組織の労働者も多い。大学生は静かになってきて、革命思想でなく、中には日本のアニメやコスプレに関心を寄せている人も多い。そういう中で内外のブラジル研究者で予期した人は皆無か、少なかったと思われるが、13年6月ごろから激しい抗議運動が急に始まった。きっかけは前年、2012年のリオデジャネイロ市での、バス料金の僅かな値上げであった。それは13年FIFAコンフェデレーションズカップ開催、14年サッカーワールドカップ(世界選手権)開催。16年オリンピック開催への抗議と重なりあいながら、全国展開していった。ブラジルの中には、こうした「市民運動」の展開に米国による関与があると疑う向きがある。とくに労働者政権の腐敗を追及しようとしていたモロ判事と米国のつながりが、報じられ始めている。すなわち、ラバ・ジャト事件(数千億円以上規模の巨額汚職事)の捜査について、FBIの研修に参加し、組織犯罪との戦いのための条約に署名したという事実である。報道の一例は、『VEJA』誌の2019年3月18日の記事である[VEJA 2019年3月18日]。今回の労働者政権の下野と米国の関わりについては、「時間」に期待することにしたい。
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