きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

「頭文字<イニシャル>D  THE MOVIE」

2005年10月10日 | 映画
 藤原拓海(ジェイ・チョウ)は、一見普通の高校生。だが、豆腐の配達で磨かれた運転技術はピカイチ。噂を聞きつけた、中里毅(ショーン・ユー)や高橋涼(エディソン・チャン)らに、「バトル」を挑まれる。


 私は原作は読んだことがないのですが、出演者目当てで観に行きました。東京まで行って、映画1本しか観ないで帰るのも悔しかったし(笑) 日本のマンガを、日本ロケで、香港映画界が、各国アジアのスター達を使って映画化した、という、この作品。観た瞬間、こういうテがあったか!と目から鱗でした。日本の若い俳優って、ジャニかモデルあがりかで、中性的と言うよりは無性的な子が多いじゃないですか。だから食指が動かないんだけど、こんなふうに、アジア系の、しかもスターを使ってくれたら、話も面白くなるってもんですよ。私は時間の都合で吹き替え版を見たのですが、出演者が違和感なく日本の風景に溶け込んでいました。

 車関係の話は素人の私でもわかりやすかったですし、車の「バトル」も迫力がありました(カースタントは日本の高橋レーシングだとか)。拓海くんの甘酸っぱい初恋話も、ほのぼのしてイイですね~。

 一昨日観たショーン・ユーとエディソン・チャンに再会。ショーンはヒゲがちょっと似合っていないかも。ははは。エディソンは、真っ向からイケメン扱いっていうのか。ターボの情けなさは一切無く、正々堂々と勝負を挑む好青年でした。主役のジェイは可愛いね~~。肘ついて運転しているときの表情が特に良かったです~~。この3人、コンビニにいたりするんですよ。日本・群馬が舞台なので、もちろん日本のコンビニ(ローソンとか)なんです。
ちょっと、ちょっと
そこ、何処よ~
教えてくれたら
おばさん
すぐに行っちゃうよ!

と、唸りまくり~。しかし、さすが香港映画、と、いうのでしょうか。日本だと、炭酸飲料はコカ・コーラとのタイアップが多いと思うのですが、こちらはペプシ・コーラでしたね。青い缶が珍しい。杏ちゃんの水着は全然セクシーじゃないっすね。ミニスカの方が色っぽいです。

 そして。なんといっても!拓海の父、文太の
アンソニー・ウォン
すごい!素晴らしすぎる!!酔っぱらいオヤジ。女の子好き。家業:豆腐屋で、日本家屋内をウロウロしたり、外は下駄で歩き回る。何気に腕を見せている。が、実は伝説の「走り屋」なのだ。ありがたい、あまりにも、ありがたい姿だ。もう拝むしかないです。ウィンクに悩殺されちゃったよ~  この演技で「アジア太平洋映画祭」の「最優秀助演男優賞」を受賞したそうです。
おめでとう!
渋いウォン警部も好きだけど、こういうオヤジも大好きです。オヤジっていっても1961年生まれで、小山さんより年下なんだよなあ・・・。
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「クレールの刺繍」

2005年10月10日 | 映画
 17歳のクレールは、スーパーのレジ係で自活しながら、刺繍職人を目指している。スーパーの同僚(既婚者)との不倫の末、避妊に失敗し、妊娠してしまった。母に相談できないクレールは「匿名出産(産婦人科で出産したら、母親の名前を隠してただちに里子に出す制度?)」をすることにした。周囲の人にも妊娠していることを言えないため、スーパーを辞め、刺繍職人メリキアン夫人の元で働き始める。
 
 
 どこかで予告を見て、刺繍があまりにも美しいので観に行きました。予告の印象では、

  希望しない妊娠をしてしまった若い女性が、   
  「手に職をつける」ために刺繍職人に弟子入りして、
  そこでの厳しい修行の結果、独り立ちし、
  子供も自分で育てることを決心する。

だったのですが、実際はそんな通俗的な話ではありませんでした。クレールは、もともと刺繍職人希望のようで、昼間のアルバイトで生活費を稼ぎ、作品を作っている、という、いわば芸術家志望なんですね。それを、おそらくなんですが、母親は反対したんじゃないかな。実家は農家のようでしたから、彼女の芸術家気質は、家族には理解されなかったのでしょう。クレールの母が、クレールの家を訪ねる場面があります。外から帰ってきたばかりのクレールは、コートを脱ぐとお腹が大きいのが母にバレてしまう、だから躊躇したのを、意を決して脱いだのに、母は「なに?」と、彼女のお腹に気が付きません。クレールは、母には、自分がこれほどまでに「気にかけられていない」のだと、泣きます。

 一方のメリキアン夫人は、事故で息子を亡くしたばかり。ついには自殺未遂をします。しかし、妊婦のクレールが来たことで、生きる希望、なんて強いものではないのですが、なにかを取り戻したようです。自分を含め、人生というか、時の流れが連綿と続いていくのを感じたのかな。クレールの作品をパリのデザイナーに見せ、仕事を受けてくるのです。

 これから望まぬ子供を産む若い女性と、子供を亡くした女性が、同じ部屋で刺繍をする。最初は同じ部屋でありながら、別々な仕事をしていた2人ですが、最後は2人並んで、一枚の布に刺繍をします。クレールは、メリキアン夫人に、母に妊娠のことを告げ、産んだ子は自分で育てることにした、と、言います。おそらくメリキアン夫人のように、自分を受け入れてくれる人がこの世にいるのを実感したのでしょう。ある意味、自分の殻に閉じこもっていたクレールが、外の世界に踏み出す。そんな世界が、少ない台詞で淡々と綴られていきます。いろいろ考えて、こんな話なのかなあ、と、結論づけてみましたが、どうでしょう、合っているかしら。

 刺繍はそれほど出てきませんでしたが、やっぱり綺麗でした。それよりも「刺繍職人」がいる、ってのがビックリ。さらには、家内制手工業の現場であっても、バッチリ化粧して、網タイツ&高いヒールの靴を履いて仕事をするフランスのおばさまにとってもビックリしました。
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