きんちゃんの観劇記(ネタバレだよ)

思いつくまま、適当に。

ペガ子GET!

2006年10月01日 | 宝塚(専科、スケジュール、雑談等)
本日発売の朝海ひかる退団グッズのペガ子ちゃんを買っちゃいました。
け。ちゃんの分も合わせて買ったので
並べて記念撮影をば。


羽が開きますのよ。

♪ああ~ 我が名は~ オスカーーール、と歌ってみる


プリンセスちゃんが乗ると辛そうだね

この白ウサはプリンセスちゃんと命名。
ジェイクが名付けたビアトリスの娘の名前ね。


本日は映画の日でしたので、
頑張って4本見てきました。
 ・「フラガール」
  青春物、バックステージ物、というよりはプロジェクトX。
  笑いつつ、何箇所かで泣いちゃったよ。
  新しい波に覆われる部分を「古い」で切り捨てることなく
  「現実」として描いていたのが良かった。
 ・「キンキー・ブーツ」
  町工場の再生と、自己の再生と。これも面白かったよ。
 ・「ハチミツとクローバー」
  いまどきの青春映画ってこんなカンジなんだ。
  普段見ない分野なので新鮮だった。良く言えば。
 ・「red letters」
  監禁モノだと思ったら「トータルリコール」+「メメント」でした。
  松田さんと筧さんの楽しい前説があるので着席はお早めに。

詳しい感想は後日。もう寝るよ。
コメント (4)
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「red letters」

2006年10月01日 | 映画
 松田さん主演映画です。前3本はこれを見るための時間潰し。作品HPをチラ見したかんじでは「いつもの監禁モノ」というイメージだったので、千円以上で見たくないなあ、と思ったので、本日見ることにしたのです。

 見てみたら、あらま、違った、監禁モノじゃなかったよ。プチビックリ。事故により、眠り目覚めたら、事故から寝る前までの記憶が無くなる男。彼は眠る前に「なにか」したらしい。そのことを「問いつめる男」が登場。記憶喪失の男は「目覚めたあとの自分」に対し、手がかりを残していた。そのひとつひとつを辿るうちに、二人の関係が明らかになっていく。

 と、どちらかと言うと、密室型のサスペンスでした。記憶を無くす(無くした)自分に対し手がかりを残し、それを辿るのは「トータルリコール」、記憶が長時間保たないのは「メメント」。そんなイメージ。

 自分への手がかりだけあって、実に的確な指示になっております。
  ・コーラを飲めと指示
  ・コーラを飲んで腹を下す
  ・トイレに行く
  ・トイレットペーパーに自分宛のメッセージ
なんて狙いどおりな。最後は「上を見ろ」で、
見たら
「バカが見る~~」と書いてなきゃな、と
友人がかつて某所で考えたネタを思い出す。

 すごくすごく頑張って、会話だけで芝居を成り立たせようとしたけれど、うまくいかなかった一部が説明台詞になっちゃったのは残念。暗転が長いのはなぜなのか。「幕前芝居を!」と心の中で叫ぶくらい。

 色のトーンを押さえた映像は面白いし、伏線もそれなりにうまく張ってある。思っていたよりはずっと良かった。また「映画以前」かなあ、と、ちょっくら不安だったの。

 映画として成り立ったのは筧さんのおかげかなあ。筧さんの存在感が映画を締めていた。

 松田さんも良かったよ。台詞は少ないんだけど、
  ・女性を監禁するときの事務的な表情
  ・すべてを忘れて目覚める表情
  ・人を殺すときの冷たい表情
  ・好きな女といるときの安らいだ表情
同じ人ではあるけれど、一人の人間の中のいろんな面を、うまく演じ分けていました。なかでも、目覚めたときの
無垢な表情が、素晴らしい。
なんにも知らない。
なんにも覚えていない。
頭の中がまっさらな状態。
それをあらわす瞳が、実に実に、素敵。
監督さんは、彼のためにこの映画を作ったそうだけど
なるほどなーーー、というくらい
松田さんの魅力は満載でした。
ファンにはオススメです。
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「ハチミツとクローバー」

2006年10月01日 | 映画
 映画の日、3本目。前2本は見たかった映画だけど、これは時間的に合うからってのが選んだ理由。原作好きだしね。

 原作との相違点をあげるつもりはありません。別物だとわかっているから。それでも思っちゃったのは
修ちゃんに
堺雅人はないだろう

う~ん、あの笑顔は嫌いだ。

 はぐちゃんは、本日2回目の蒼井優ちゃん。「フラガール」とは全然違う。芝居の上手い子だ。彼女がはぐ役に選ばれたのは「天才が才を垂れ流している雰囲気があったから」ってのをどこかで見たことがあったように思うけど、大納得。彼女の絵は、私にはさっぱり理解できないけれど、描いている場面は、「天才が才能をキャンパスに焼き付けている」図になっていた。非情に説得力があった。

 その反対に、伊勢谷くんの森田先輩はムカつくなーーー。天才ってリアルだとムカツク存在なんだな。蒼井ちゃんほどの「天才性」が感じられないからムカツクのか?彼を見るのは「キャシャーン」以来2度目な気がするけれど、やっぱ長めの台詞はテンションが持続しないな。

 みんなが片思い。それは別にいいんだけど、なんか話にまとまりがなかったような気がする。普段見ないジャンルだから、よけいにそう思うのかな。レンタルだったら早送りしまくりだったな。
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「キンキー・ブーツ」

2006年10月01日 | 映画
 産業構造を転換しなければいけなかった「フラガール」を見た後だと、町工場再生の話は、ちょっとスケールが小さいように思っちゃった。ごめんね。

 お話は靴工場を継いだ2代目。一生物の革靴をベテランの職人が作ってきたが、いまや八ヶ月で履き潰ダメになる「クロアチア製」の安い靴を履き回す時代。ただでさえ価格競争で厳しいのに、死んだ父が「発注中止」に気が付かず、問屋に対して靴を作り続けていたことから工場は大赤字で倒産寸前。職人達ひとりひとりに解雇を告げる2代目。「僕になにができるって言うんだい?」。職人の一人が、特化した商品でニッチ産業を狙えばと提案。そこで2代目はロンドンで出会った「服装倒錯者(ドラッグ・クイーン)」の男性を思い出す。サイズの合わない女性用の靴を履くしかない彼女ら、靴がすぐ壊れると言っていた・・・。保守的な田舎町の2代目が、起死回生に打って出る!

 話はよくあるパターンだし、最後はうまく行くとわかっているけれど、心温まる作品でした。「自分はなにをすればいいのか?」。作品中何度か出てくる問いかけですが、それには、まず、自分を信じて、自分から行動しなければ。いずれは家業を継ぐけれど、まだ「その時」とは思っていなかった2代目。工場と職人は、父の世界であり、自分の世界ではなかった。それが思ったよりずっとずっと早く自分がその世界の中心にならなければ行けなかったのだから、気後れするのも当然でしょう。でも、親から継いだものは守りたかった。たとえ何%かの職人を切ったとしても、工場は守りたかった。工場を続けるためには、どうしたらいいのか?その結果は「行動」でした。新しいプランを練り、職人達に作らせる。その姿に、定時が来たらさっさと帰っていた職人達も、ミラノの見本市出展に間に合わせるため、進んで残業し、質の高い靴を作ったのです。2代目の行動が、彼らにも「自ら進んで動く」ことが伝わったのです。

 「服装倒錯者」は、自分のアイデンティティが定まりにくく、家族から拒絶される。それでもマッチョな職人に見せる気遣いは、女性だから、ではなく、人間的に優しいから。男だからとか、女だからとかではない。

 自分に言い訳することなく前進しよう!がテーマかな。テンポ良く話が進むし、画面の作り方もうまい。最後まで楽しかったよ
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「フラガール」

2006年10月01日 | 映画
 女の子達の青春物に常磐ハワイアンセンター(旧称)のPRかなあ、と思っていたのですが、甘かった。泣かされまくり。とっても素敵な映画でした。

 見ながら、いろいろ思い出した。いまハワイに行こうと思ったら、10万円もあればOKだけど(時期に寄るけどね)、20年以上前、1ドルが200円台の頃にハワイに行った祖父母は、1人50万円ぐらいかかったと言ってた。「アップダウンクイズ」の優勝賞品もハワイ旅行だった。ハワイっていうのは、それくらい遠いところだった。ましてや昭和41年。東北にハワイなんて、想像外だっただろうなあ。

 総じて、役者全ての演技がうまかった。邦画を見てると一人や二人や三人は、なんじゃこりゃ、と言いたくなるぐらい下手な人が混じっているけれど、この映画にはいなかった。しずちゃんの演技は拙いけれど役柄にハマっていた。キャスティングした人はエラいなあ。

 ダンサー誕生の話も良かった。松雪さんはダンス歴が長いのかな?見事な動きだった。私は松雪さんの演技は殆ど見たことがなかったけど、うまい人だなあ。SKDでスポットライトを浴びていたのに、なんでいまここに、と言ったときの表情が切なくて泣いてしまったよ。蒼井優ちゃんのダンスも良かったよ。特訓したんだろうなあ・・・。ダンスを教えてくれていた先生が帰京するとき、フラの踊りで気持ちを表すところ。ベタなんだけど、ベタなんだけど、、、、涙がポロポロよ。絶対ココは泣かせの場面だよなあ、って、わかっているのに、泣いちゃったよ。ああ、私もトシを取ったものだよ。

 この作品がよくあるサクセス・ストーリーにならなかったのは、「炭鉱」の描き方が良かったからだと思う。かつては文明社会の大元だった。産業の基盤だった。それなのに、構造転換を迫られている。その様子を、「古いこと」「もう必要ないもの」とは描いていない。まぎれもない「現実」として描かれていた。ここが丁寧に描かれていたから映画に深みが増した。よくある映画なら、フラガールになりたいのを反対する親は、あたまでっかちで、子供のことをよくわかっていなくって、子供の自由に対する障害にしかならなかっただろう。でも、町を、炭鉱を捨てようとしているのは、フラガールの方なのだ。どっちが正しい、どっちが間違っている、なんてことはない。それぞれの世界は重なり合い、二つとも正しくこの世に存在しているのだ。富司純子が、夫も自分も息子も炭鉱で働いてきた、炭鉱によって生かされてきたが、人を楽しませる職業があってはいいんではないか?と呼びかけるところ、どこも否定していないところが良かった。

 炭鉱の町、卓袱台での食事、洗濯板での洗濯、当時が甦ったような世界だった。東北の寒くて乾いた風を体感できるような映像もイイ。

 うまくまとめられないけれど、とりあえず。

 
 
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