日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

姉二人の懐かしい思い出、夫々に、今でも感慨感謝新た!

2019年05月21日 | Weblog

 昨日は父母と長兄の思い出を綴ったが、今日はその続きである。日付けが一々早いので文章を完成させて置き、明日になってから投稿すればよいと思って記述している。二人の姉のうち上の姉は、昭和の10年過ぎに近在の農家に戦時中に嫁いでいる。それまでには花嫁修業を兼ねて日本橋人形町の親戚で、務めながら家事全般を修行していたのであった。私の実母の妹が嫁ぎ先のT家の、生まれた長男の所へ、従妹同士で結婚した訳なのである。近親婚姻であるだけに、2度も早産や早産を繰り返し一子を中毒死で失なうなど、後継者を生むのに大変な苦労を重ねた。そしてやっと長男が授かった喜びの経緯がある。この長姉、この時人生の喜びを最高に享受したと思う。未熟児であった為に、小児科医と共に約2週間毎朝静注を実施し生育したのであった。その後順調に育ち高校卒業後会社に就職を果たした次第である。その姉の思い出は自然と共にであり、学校の花園で紫色の矢車草を具に一緒に観察したこと、そのほか秋の道端に咲いていたコスモスを一緒に移植し、可憐な花びらを心行くまで観賞したことなどは、今もって強く視野の記憶に残って、心を安らげて呉れている。下の姉は、旅館の当時の女中さんを、親切に補助し内田屋旅館の発展の礎を作ってくれた。私が小学5年生の時の夏休み。うっかり寝過ぎてラジオ体操が済んでしまいそうな時、私を抱え込んで手を引っ張りながら、公園の池畔と築山を越え役場を通って、小学校の会場へ引き渡したのであった。その日体操も終わりに近く、やっと間に合った功績は、真に偉大で絶大であった。そのお陰で小学校は6年間無遅刻無欠席の、完全皆出席となったのである。これは全て姉のお陰なのである。その他大好きな田圃弄りである。田植え前の水田で田主捕りが上手であった。大きなタニシ(田主)を掘り探して、その晩夕食で頂いた美味しさは今も忘れられない。今もなお脳裏に深く刻み込まれており時折回想している。父母兄姉全部が鬼籍に入り、故人となった父母、兄、姉を思い出深く追・懐想している。


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