日々是好日

懐かしき過去、期待の未来を希んで!

海の日の前日、家庭のお祝ひ事全てを終えて!

2014年07月21日 | Weblog

 昨夜は一家皆揃って、雅叙園の渡風亭の日本料亭で、盛大な家族会が開催できた。二人の7月のお誕生祝いと、一人の教授昇進祝いとであった。この日午前から夕頃まですっかり晴れていたが、夕方6時の開会少し前に、小雨が降って来た。しかし家族会は園内の日本料亭なので、全く天気の影響を受けなかった。渡風亭での、嬉しい祝福と楽しい歓談の時間が過ぎて、午後8時頃お祝いの会がお開きに近くなり、新幹線、ハイヤーなど、それぞれ玄関からハイヤー4台に分乗して自宅へと向かった。お祝いのお酒と爽やかな歓談の連続で、楽しい約2時間の家族会があっと言う間にお開きとなった。帰宅して皆で、また、メロンなどを食べて更に談笑の時間を過ごした。

  そう言えば、今日は、何と海の日である。息子夫婦家族は、全員学校のクラブ活動や、友人との交流やスポーツの会などに、早朝6時頃から順次出発して行った。天気予報では、愈々今日から梅雨明けで、今後待望の、晴天の夏日が続くとの事である。海や山は、さぞ多くの人達でにぎわいを示す事となろう。


二人の誕生祝いと息子のお祝い

2014年07月20日 | Weblog

  今日は一家揃ってのお祝いの日である。曇りで天気が予報出来ない様であったが、メイの散歩から帰って来てから、晴れてきた様な気がする。メイは、家の中でのボール投げも済んで朝飯も終わり、今はソフアーで小憩している。予報と違って、天気も段々霽れ上がって来て、今は、屋上にも干し物がかざしてある。此の分だと午前中は固より、午後だって霽れ上がる気がする。そんな天気である。これからの午後3時過ぎには、一家の皆が揃って下馬に参集するであろう。そこから時間を見計らって、目指す料亭へ午後6時頃には、それぞれ参集する事になっている。兎に角とても楽しみである。今日から夏の土用である。


何と言っても文月は下旬、晴天定まらず

2014年07月19日 | Weblog

 もう12日ばかりで今月文月は通り過ぎ、明後日は大暑で夏の土用も此の季節に入る。そんな季節でありながら、まだ梅雨も明けず。季節感が薄れて、日本列島の味が出て来ない。こんな不定・不順な天気だと、人間も駄目になってしまうかも知れないなと思われる。自然と共にこの国の文学も、こんな状態では、埋もれて今後生まれ来ないかも知れない。元々、自然文学の情景描写やそこに発生する象形や「ロマン、侘び、寂び」などは、今後は消滅して、人間の性格が矢鱈に物理科学的にのみ先行し、ぶつかり合いなどを繰り返す事になるかも知れない。味気ない地球人だらけとなり得よう。日本の文月、そんな意味で来月の葉月と同様、人の心のゆとりを回復させる、絶好の夏の憩いの機会であるであろうに! と思う。明日は都内の旧料亭で、一族での歓談の集会日である。楽しみや期待で、喜びが時を刻むに従い大きくなってくる。


霽れて文月も半ばを過ぎ、20日は家族会

2014年07月18日 | Weblog

 何度も此のブログをにぎわした今年の梅雨、天候不順で予報も役立たずに右往左往し、ポイント情報も当てにならず、人間の社会生活が、自然のリズムと噛み合ずに推移して行く。季節感も無く人智も働かずに無感動な人間社会、何と此の悪天候に苛まれ続けた今年の梅雨の無常感は哀れというより他は無い。今朝のメイトの散歩は公園でボール投げを2回程で道草を喰って仕舞い、止むなく街角散歩へと歩を進めた。湿気が強く、帰宅して汗が肌着に滲む。ボール投げは此の不順な天候では、メイも流石に好まないのか知れない。雨は降らずに霽れてはいるが、曇天の今日である。これから地下室の片付けなどに時間を振り向けようか!と思う。雨は降っていないが今夜はまた驟雨になるらしい。明後日の20日は家族会の楽しみが待っている。


亡姉の旧住居を売却、子弟は夫々の子供達の近辺へ居を移す

2014年07月17日 | Weblog

 亡姉の息子娘達が長年住んだ家を売却し、夫々の子供達の近くへ引っ越しをするため、今日がそのお別れ昼食会だそうだ!その亡姉の弟である私たち夫婦の二人が、招かれていわば親子兄弟会が今日午前11時半、近々引っ越し予定の旧宅を懐かしんだ後近所で昼飯解散会に臨む事となる。思えば、姉は交通事故で施設に7−8年リハビリを兼ねて病臥し、昨年12月初旬逝去したものである。92年の人生を、子供達に支えられて最後は療養生活を全う出来た巡り合わせを、草葉の陰から感謝しているかも知れない。旧住居宅とも今日でお別れとなる。昼食を挟んで亡姉を偲んで散会する予定のようである。曇り時々晴れの天候で、甥が迎えに来てくれる事になっている。一家の主が亡くなるとやがて家族編成が変化を示す。私の田舎の実家、叔母の実家ももう無い。人生のある期間だけの棲家だけであったという事なのであろうか!はかなく愛おしい。


文月も半ばを過ぎて! 爽快な夏の気分が!

2014年07月16日 | Weblog

  漸くにして天気が落ち着いてこれから安定しようとしているかと思いきや、明日からまた崩れそうである。しかし只今のところカンカン照りである。学校までの徒歩はかなりの日照りで、日傘が必要な位でじりじり陽射しが強い。普通よりも少し遅れて着校したが,流石に月曜日に殆どの懸案を片付けているので、今日の案件は無いそうである。お昼で他の理事にも帰って貰う事とした。夕方には、プライベートな小懸案の会議を約束しているので、それまではゆっくり校務を検証し、片付けて参ろうと言う心組みである。今日は幸いメイは元気があって、足取りも軽やかに我々夫婦と一緒に街角も散歩できた。ただボール投げだけは公園への人の出入りが気になって気力を削がれた感じで完全に出来たのは2回位であった。暑さが尋常でなく暑すぎたせいもあってか、さほど精一杯の運動は出来なかった。私も息子も組織での長となり、肝心の会で表明できた事は何よりの幸運であり、世間の評価も上々であり、改めて組織の各位に感謝の誠を捧げたい。夏の到来とともに、一家一族の爽快な気分の盛り上がりが何より嬉しく、感謝感激最高である。

 

 


盂蘭盆の最中の7月15日

2014年07月15日 | Weblog

 お盆の最中の今日は丁度月半ばである。後5日後には家族で会える日が来る。天候も回復基調に在るし愈以て本来の夏のイメージが迫って来て、学校も世間も夏期休暇の体制になる事であろう。メイは今日も比較的元気で公園でのボール投げも数回出来て街角の散歩もこなし帰って来た。家の中でのボール投げは余り気が乗らない様子であった。家内の尾骨痛がまだ回復していないので、パットを当てたり、いろいろ工夫して治癒回復に向けて、取り組んでいる。早く治癒に到る事を望んでいる。お盆の最中の今日は、丁度その真ん中で、16日には送り火の日であるが、地方と違って東京では、お盆の風習が生活に繋がっていないので、実感が希薄である。今メイは無心にベットで寝ている。


依然として天候不順、仕事は順次機嫌良く!

2014年07月14日 | Weblog

 弟子がお中元と称して、息子娘を連れて挨拶に来た。約2時間ばかりいろいろ話し合って歓談が続いた。矢張りどうしても、先月の私の米寿の話が糸口となって、あれやこれや、それらに引き続いて楽しい話が展開された。私は努めて、ご一緒の息女息子の身の上話をしようと務めたが、その辺りは家内の出番で、ソフトで相手家族の気持ちを汲んでの話し方や進め方で、大分助かり、間が持てた次第である。今日は月中の勤務である。公園でいつもの通りメイの散歩と、鞠投げを実施して帰って来た。ゴミ出しの日なので昨日整理したゴミを11袋玄関脇に並べて、ゴミ屋さんの収集を待った。月半ばを過ぎたので、後半月も元気で機嫌良く勤務して来ようと、覚悟して玄関を出掛けた。天気が依然としてすっきりせず、気分も晴れ難い。が、昨日の訪問客への礼状と、その他の分も含めて、昨日の日付けで、今朝早くプリントアウトしてポストに出して置いた。


盆の迎え火の日

2014年07月13日 | Weblog

 今日はお盆の迎え火つまり盂蘭盆の日である。田舎では丁度一月遅れの行事である。仏壇を綺麗に飾り付けて、仏様を迎える日なのである。菩提寺に伺って先祖様を灯明に仕立て、灯りを頂いて自宅の仏壇に、灯明を点す事となる。今朝は涼しいものの、それだけ空は曇り空そのものである。メイは久し振りに、よそのワンコが公園を通り過ぎただけなので、お陰でボール投げを5回ばかり実施する事が出来た。写真はメイの今朝のボール投げのその姿である。娘からの便りが届く事になっており、楽しみに待っているところである。PCがバージョンアップしたせいか、スカイプが出ないので今操作中である。


69年前の今日、健康診断書を提出せよとの通知

2014年07月12日 | Weblog

 陸士将校生徒試験常置委員会から大きな角封筒の通知が来て、「月末25日までに開業医の健康診断書を提出せよ」との内容であった。さぁーこれで、どうやら陸士の合格の目鼻が着いたのでは!?と、一息つきホットした69年前の、記念に残る憶い出の今日であった。5月末の入学試験の1次通過と、その後の2次試験の結果が良かったのであろう。最後の合格発表は、大凡9月8日大詔奉戴日の当日であろうと分かっていたので、後一ヶ月半ばかりが、とても待ち遠しかった。それまでに実際二人の憲兵が、8月初旬頃調査に内田屋旅館へ来た由である。父親が自然体で十分に対応し、問題は無かったようであった。それらが報告された後、恐らくスムーズに万事異常なく経緯して、9月の合格発表に漕ぎ着けた訳である。此の年昭和19年は、吾が不動岡中学(当時埼玉県では県立中学は5校しか無かった)からは、たった一人、私だけが陸士の合格者であった様だ。今もって嬉しく誇りに思っている。それが今日までも我が人生の頑張りに繋がっているものと思う。今日は、午前中快晴であったが、午後からは雲が出て来て、晴れ時々曇りの天候となった。さて午後からはゆっくり身の周りを片付けて、小憩をしようと思う。