もう3日ばかりの豪雨、如何にも身動きができぬ!台風17号は日本海沖へ。されど未だ18号が日本列島の東側に迫り前線を刺激しつつある。それらの豪雨が連続して関東南部から北関東へと連なっているから、始末に負えない。昨日朝から夜中までの台風の驟雨、今日以降茨城・栃木地方が、大変な洪水や崖崩れ、川の氾濫、家屋の浸水へと大童であり、被害甚大である。激しい記録的な豪雨に依る災害甚大である。孫の栃木の住居が心配である。今朝は大雨の中、メイを抱っこして公園へ連れて行き、排泄を終えて急ぎ帰宅した。傘を射ていても、上っ張りやシャツが濡れ鼠である。着替えて洗面所に吊るして明日洗濯へ出すことにした。それ程大雨であった。メイは何時ものその後の行動は自ら実施して、今日は5回程の往復善力疾走であった。午後には少しずつ回復の兆しが出て来ることとなろう。午後は病院での検診とその後同門会への役員会がある。早く霽れてくれれば良いがなと、それのみ願っている次第である。午後息子の病院へ検診に出掛けた。帰宅して小憩の後午後6時半からの同門会幹部会へ雨中のなか出発、早めに着いて成子天神へ参詣して、会議に臨んだ。同門会へ教室員も参加する一体化の具体策が、中心議題として相談決定された。
もう二日ばかり続いて、台風二つの余波と言うより影響が出始めている。先日からは一日中激しい雨続きであった。もうこの状態があと3日ばかり続いて、やっとこの土曜日頃には霽れ上がり、秋の晴天が戻ってくるらしい。今朝はメイとの朝の散歩が2日間できなかった為、雨中乍らも傘をさしてメイと二人?で出掛けて、急ぎ公園で朝の行事を全て済ませて帰って来た。メイもこれでさっぱりしたことであろう。帰宅して沢山朝の食事を食べて、例の「往復善力疾走」を6回程行い、その後玩具の運動をも実施していた。その後も私たち二人を相手に遊んで、やっと今落ち着いた所である。きっと、生理機能がさっぱりして、元気が出たことであろうと此方も安心している。今日は早めに登学して、書類を検認してから午前11時までに、日本学術会議の医歯薬アカデミーの役員会への出席である。その為8時20分には傘を差して出掛けた。雨脚は繁く激しく休み無く雨が降り注いでいる。今後益々強く降り続くであろう。気象予報に由れば、未だ雨は2~3日益々激しく降り続くことであろうと言う。
戦時中の昭和19年9月8日のこの日、午前9時20分、教育総監から陸士採用の合格電報を受け取った。欣喜雀躍して早速2階の新館で待機していた父に、階段を掛け上がり手渡し、嬉しく読んで貰った。勿論折り返し母校の中学へ駆け足で持参して、教頭、配属将校、担任教諭、教練の教官等に囲まれて代わる代わる読んで貰って、嬉しさを嚙み締めた次第である。山上教頭からは、陸士の物象の教官や某区隊長など教えられ、電報の裏に鉛筆書きして頂いた。教員室は喜びと私への祝福とに包まれ、陸士入校に向けて、今後の覚悟と修練の気概を、激励された次第である。誰もが行きたい入試難関の陸士、嬉々としてその出で立ちに皇国陸軍将校生徒として、多くの恩師からの激励こそ、正に天にも上る喜びの気持ちが高揚したことは言うまでも無い。今でも70年前の喜びや気概が、その当時の感激其の儘に、発奮興起し生々しく蘇って来るのである。
家内の誕生日が今日7日である。ずぅーと明日8日ばかりと思っていたが、それが今朝は正確にお目出度うと言えた。混同の理由は、戦時中の昭和19年9月8日が陸士の合格電報を、生家で嬉しく受け取った日であったからである。家内と結婚する12年前の電報受領日と一日違いであるからであろうと思惟する。娘から早速祝賀のメールが入った。今朝は朝の内は雨でメイの散歩時には晴れ上がって、傘無しでお散歩の全てが出来た。帰宅してのいつもの「全力往復疾走」は5回であった。そのうち雨が完全に止んで明るくなり、この分だと登学に傘は不要位の天候となって来た。学校内では、今日は明るいニュースが待ち構えているであろう。先週末に事務部長から予報が入っていたからである。さぁー勇んで服装を整えて出掛けようと思う。学校に到着して早速、事務部長から報告を受け、事柄が円満に遂行された由を伺い、安堵した次第である。
秋分前の15日目頃の白露の日である。24節気の一つで、陰気が積もって露を結ぶと言う意味らしい。今年は何度も書くが、本当に天候不順でこれでは、陰気もその通りに、人々の心に矢張り積もることになるらしい。丁度今年の季節は正に人心が露を結ぶが如くに、落ち着いてしかるべきだが、左にあらずで人心が荒み喧騒錯倒して止まる所を知らずの体である。残念で季節感も味わえない霖雨で、今後一週間も雨続きの週間になるらしい。も少し国の行く先が衆議一決とまでは言わないが、纏まった形で多くの人々の力になって欲しいと願う。メイは今朝も公園で作業を済ませて、一目散に我が家へ帰宅した。そして、絨毯の廊下と居間を舞台に、なんと「往復力疾走」を11回も行った。昨朝も11回程の疾走を繰り返したばかりであるのに。元気その物だが、夕方になるとどうもいけない。動物の本に依れば、認知症はこんな症状らしい。毎朝はこんなに元気一杯なのにである。午後には昨年医師になった孫が帰省し親との歓談や小運動(テニス)へ出掛けた。メイがとても喜んで一少時間一緒に戯れたり玩具で遊んだりして、その喜びの様子は、メイや周囲の関係する皆が一様でなかっただけで無く、格段であったことは言うまでも無い。
昨日一昨日と晴れた関東地方。今日も晴れてこれが珍しい晴れの日であって、明日から亦暫くの間、曇り雨の不順な天候が続くようである。従って今日こそが、最近での珍しい”洗濯日和“の絶好の日となるそうである。早朝急いで洗濯物を仕上げて、屋上にこれから干そうと思う。今日は2回にわたって干せそうなのである。天気予報士がTVで盛んに「今日こそがチャンスです」と、盛んに強調していた。昨日家に新たな車が納入された。斬新な色彩で元気で頑張れる色であり、これで息子孫達皆が、夫々自分の車を所有し、日常の生活や活動に奮起一番頑張れる!と言うものである。一家揃って皆が健康で、更に一層の活躍が出来るよう期待し、楽しみにしている。天候不順と言う言葉は今年になって耳にタコができる程聞いたし、TVで見せつけられた。矢張り今日の天候も期待外れで、残念だがお陽様は顔を見せず、曇り空で予報は当たらなかった。時間を掛けて干しておけば、どうにか洗濯物は夕方までには取り込めるであろうと、僅かばかりの期待を寄せている。千葉の博物館の研究員が120年振りに上・下蜃気楼を、この8月5日九十九里浜で撮影に成功したそうである。写真はそれである。
三日早朝メイの散歩を済ませて、何時ものスーツで家を発ち、タクシーで山手線の品川から田舎へと出発した。前日もそれ以前も不順天候であった為に、この先一二日どんなものかと、天候を危ぶんでいた。田舎へお昼近くに着きスーパーで2食分の食材を求め、郷里の自宅に落ち着いた。流石庭は草茫々で見る影なし!と言えよう。隣家の栗の木の枝が当方の屋敷内に出端っているので、待ち合わせの植木屋さんと相談し、伸びている部分を剪定する了解を求める文書を認めて、発送した。夕べには曇りから俄雨が降って来たが、それまでに庭の雑草は全部引き抜いて、明日からの植木屋さんの仕事に委ねた次第である。幸いに天気予報を覆えして一応晴れとなってしまった。夜分に至り衣服を整え就寝したが、雷鳴と雷雨に見舞われて突然目覚めた程であった。田舎の雷は恐いものと、改めて実感した次第である。4日の今朝は夜来の雨の雫が木々の枝葉に残っていたが、軈て晴れて来て、植木職人二人が来て作業する頃にはすっかり晴れ上がり、作業も順調な様子であった。私は新潟に単身赴任していた時から、“晴れ男”の別名を巫山戯て頂いていた程であった。それらからそれが、昨日今日の天気の「希望や占い」に見事に合致した事に、吾ながら吃驚している。今日は義兄の28年前の死去の日である。気持ちの上で哀悼の意を表し、墓標の下で亡き夫婦共に語り合っていることであろうと、改めて冥福を祈念した。
昨日は予報」に反して午前中から雨が止み、それからと言うものは、天候はすっかり晴れ渡り、真夏日の気温までになった。気温が31℃程にもなり、暑く今までの天気とは打って変わって、快晴となって仕舞った。正に、起死回生の心機一転の上天気となった。オリンピックのエンブレムが白紙撤回された影響も有って、世間や世情が残念乍ら行く先が見えない状態であろう。政治も停滞をしており、日本丸は中々に碇を上げ、進路を見定めて力強く出発せんとしているものの、エンジンが掛かって来ない状況下にある。昨日と今朝の天気のように、一転回復して力強く出発を敢行して欲しいと、心から強く願っている。今朝の天気は快晴で幾分暑さを感じる。これからタクシーと伊豆急行で田舎に向けて出発である。朝のメイとの散歩も済んだし、植木職人からのいろいろな手続きを教わり実施したい。そうは言っても大したことではない。隣家から伸び出た栗の枝木の伐採の、事前了解を取り付ける為だけのものである。さぁー出掛けて来よう。
2百10日も事無く済んで今日は長月二日目の朝だ。昨夜来からの驟雨も一頻り止んで、これからメイの散歩が出来そうである。雲の少しの切れ間を縫ってメイトの散歩を実施した。途中で雨が降ったり止んだりしたものの、驟雨にはならずに済んで用事を済ませて、何時もの通り家路へと急いだ始末である。これだけ不順な天候だと、登学も学務も家庭の仕事も、予定と慣習通りの進行が侭ならない。誰でもそうであろうと思われる。今日はこれから午前10時のバス券の更新交付を受けに、時間を見計らって出掛け、その脚で登学と言うことになる。今は雨脚も疎らになって、雲間も若干覗けるようになって来た。今日の早朝には田舎の植木屋さんへFAXを送り、明日頃からの作業の打ち合わせを行いたい旨の用紙を送り届けて置いた。明日は早く田舎へ出掛けて面談をしてくる積もりである。
今朝は曇り空から8時過ぎにはもう雨が降って来た。カッパを着けて散歩を急いだ。全ての用事を済ませて何時もの通り急いで帰宅したメイ。今日は獣医さんへ行く日なので脚も綺麗に洗い清拭を済ませた。廊下での「往復全力疾走」を7回程実施できて、朝食を半分程食べて今はベットで寝ている。雨が止んだりした時に、抱っこして獣医さんへ連れて行こうと思う。便が少し柔らかで量も少ない、だが元気である。今日は昔流に言えば二百十日でもある。台風や豪雨などは此処関東では心配は無いが、不順な悪天候が未だ10日も続くらしい。先般まで元気に人々が酷暑と敢闘していたと思っていたが、此処3~4日は一気に失速して寒くなって仕舞った。この寒さも8月末としては異常で12年振りだと言う。さて、雨の霽れ間を待ってメイを検診に連れて行こうかと思う。傘をさして、私はバックにメイを入れて、夫婦で連れて獣医さんを訪問、雨のため誰も居らずすぐに爪切り、尻摘み,肉球の間の毛切りなど済ませた。これで連休の赤沢では気持ちよく娘のワンコ達と遊んでくれるであろうと。今日の雨、不意乍ら一区切り着いた喜びは大きい。お昼前突然雷鳴が轟いた。メイは左程驚ろか無くなった。