季節に先取りしてパソコンや新聞などでも鯉のぼりの鯉が、空高く泳いでいる姿が象徴的なのである。国際情勢が、ややホッとしたニュースを今朝は届けてくれた。これが本当で時正に持続的なら良いがと、喜んでしまう。
季節に先取りしてパソコンや新聞などでも鯉のぼりの鯉が、空高く泳いでいる姿が象徴的なのである。国際情勢が、ややホッとしたニュースを今朝は届けてくれた。これが本当で時正に持続的なら良いがと、喜んでしまう。
天気こそが人間の気分を高揚もしてくれるし、また憂鬱にもさせてしまうので、今週の連続の好い天気こそ、有り難く勿体無いことだと思う。早朝に起きて諸々の準備を実施して、9時半過ぎには、家を発って、昨日果たせなかったデパートでの買い物をして来ようかと、楽しみにしている。今、持参品の品目を一覧表にまとめている最中である。9時45分に出発して新宿で色々お買い物をして、午後2時過ぎに帰宅して今昼食を摂った所である。さて、この22日の日曜日こそが30℃を越える真夏日になるそうである。京都では贅沢や我儘を愼むことが大事であると、今から自分に言い聞かせている次第である。ゆっくり静養して5月の連休明けには帰郷する予定である。
新聞の社会時報を見るたびに、つくづく嫌になってしまう。役目の大事な人たちが、次々に身の程を顧みずにパワハラなどを密かに行ってしまう。人間性の弱体化や動物化などに就いて、ついぞ考えてしまい勝ちになり、残念無念な社会事象である。さて気温が高くなって、今日から本当に初夏の装いになるらしい。気温が27度Cほども上がり、5月半ばか下旬の気温近くになって、夏日が続くらしい。今日は午前中デパートとに行って、京都行きのお土産品の品定めや、メイに対する返礼品の見定めをして来ようかと思う。その予定がお花とか色々の準備に急かされて午後は午後1時半まで実施して休憩し入浴して家中綺麗にした。明日は午前中に、今日できなかったことを実施して濟ませり積りである。週二回の配達弁当が今日で終わりである。配達人が居ないらしい。こっちも3周の休暇を取ることで、お休みしたいことが自然に一致して、無理なく配達便廃止となったのである。
晩春を経て今日から夏日が続くそうである。いよいよ「夏は来ぬ」に入るらしい。私は夏生まれだから!こよなく夏が大好きなのである。佐々木信綱作の夏は来ぬの情景が、何時もありありと、抒情詩のごとく走馬灯の絵のごとく、生まれて来るのである。卯の花、水鶏、橘、時鳥、五月雨、卯の花、早苗、楝(栴檀)などなど、故郷の情景が今すぐそこに現れてくる様である。今朝の雨が霽れ上がってからは愈々初夏だ!これから湘南新宿ラインで一路北下して、故郷の父母や先祖の墓参りをして淑子が鬼籍に入ったことの報告を、してくる積りである。その折暇があり分かったら、小学校の同期の金子・峰岸君の墓参も実施してきたい。 さて、今週末には京都の娘からの招きで、約二週間ばかり京都に逗留する予定なので、この日曜日から東京を後にする積りである。
天候が今一はっきりせず、気分も晴れやらず憂鬱な天気である。正9時に故郷の商工会館に電話を入れて、明日駅頭から徒歩でそちらへ伺う旨を話したところ、心地よく承知して下さって、お待ちしておりますとの返事、大いに快気感発し楽しくお話しできた。ところで明日の天気は大丈夫であろうかと、若干心配である。今週木曜日からは、すっかり晴れて、その後は気温も上がり夏を迎える気候になるとの由、嬉しく楽しい。それまでに田舎の墓参を済ませて、今週の日曜日娘の居る京都へ出かけることになっているので、天気の変化が気掛かりなのである。今日午後から今夜にかけて大雨との予報なのである。写真はハルジオンである。
世間の情勢も政治も全てがすっきりとしない中で、今朝の天気もまたも花曇りの天気らしい。5月になれば、「杜若昼は日照りの朝曇り」と言う語句がぴったりだが、春爛漫と言い、春風駘蕩と言っても、今年は夏日の暑さが早めに訪れているらしい。それ故に、約半月早いが、5月の杜若の季節を彷彿とさせる季節かなとも思わせる。4月の医学会の総会等が先週済んで、いよいよ医学の研究活動も本番に入るものと思われる。息子夫婦も昨日学会から帰ってきたと思ったら、今朝はもう大学へ早朝行ってしまっている。若さと言うものは、大したものである。私も恰っての、現役の医学部教授時代を思い出しながら、このブログを記述している始末である。今日は予定通りの午前中の散歩を続けようと思う。
静かな降りであったが起きてみれば昨夜は大雨であった。それはまた久しぶりの雨であったのである。昨日は丹念に、家の周囲の草花の水遣りを行って、その上の大雨。植物も植木も、皆喜んでいたことであろうと思われる。昨日玄関へ植えた植木は、今朝は皆生き生きとしている。今午前9時20分丁度、陽光が差してきた。これからの春の日差しで、植木類も益々生気を増すことであろう。先ほど娘からの電話で、学会で京都へ出張の息子一家は、今朝早く京都を発って午前中には東京へ着くであろうと言って来た。学会出張も京都に自分の家があって、本当に今回幸せであったと思う。今度の日曜日は、家内の追悼・供養の為、私が京都へ出張する番なので、準備おさおさ怠りない様にしたいと、今から用意している。パソコンで記述し一覧表にしてあるので、まず大丈夫、持参品に取り零しがない様にしたい。昨夕コロちゃんの母に玄関で会いメイの話をした折、残念がっておられた。今夕コロちゃんをつれて、母子が弔問のお花と弔意の但し書きを添えて、“メイちゃん安らかのお眠りください“との哀悼の言葉を下さった。感謝の涙が頬を伝わった。勿論家内の霊前にお見せして供えた次第である。
連日の毎日の行動を習慣化して、規則正しい日常を送りたい。これが最近の行動規範である。毎日の散歩と休息は定期的に実行しているものの、予定表を確り立てて継続し、それを実行したいと思う。良い習慣化である。天候の変化でそれが実行できない時には、その代替の行動を考えて置けば良いと思われる。行き当りばったりでは、良い習慣を積むことは土台無理かと思われる。徒歩での散歩、これは必ず毎日実行したい。事実これまで行ってきている。唯演りすぎて続かなくては駄目であろうと思う。さて、棕櫚竹に水を上げようとして、土に空気穴を開けようとしたが、固くでどうにも先へ進めない。来週から、京都の娘のところへ出かけて観光と休養をしたいと考えているので、連休明けに帰京したら、鉢から取り出して植え替えを実施したいと思う。
三寒四温とは昔から言われていた不順な天気の、季節的な謂れだが、大荒れの春の嵐が今夜から明日には、ここ関東にもまた訪れそうである。国内外にも政治や国の争いが絶えずに久しく続いているので、本当に残念至極である。人間は文化が進むにつれ、利害関係が複雑化して、この様な予期しない事柄が起きてしまうのかしらと、佇んで思ってしまう。自然の成り行きだと思えば、仕方がないと考える節も無いとは言えない。相克のない世界が望まれる所以である。願わくば風雨が静かに通り過ぎることを願う。
一日の人間の行動はお天気次第かと思われる。明日から曇って明後日は雨模様であると言う。天気に左右されない職業の人には天気は埒外であるとも言われよう。が、人の行動や気分は、多分に天気次第だとも言われてもいる。今日はこれから又緑道を遡って町外れのところで街中へ出て、それからデパ地下でお買い物をして、帰ろうかと目論んでいる。