僕が見ている範囲ですが、ツイッターなどを見ていると社会的な地位のある方々の慰安婦問題に関しての朝日新聞攻撃はいわゆるネトウヨ的範疇を出ないものに見える。国会に呼ぶ、廃刊すべきなどのような謝罪しろ。。。。。論理。慰安婦問題の根本にある議論抜きの批判のための批判。情緒的訴えに終わっている。戦前の日本のイメージづくりもまた情緒的である。
こういったものが安倍政権が目指す政治面での戦後レジームからの脱却を”応援”しているのでしょう。
もちろん安倍総理自身が多くの外遊の中で発言しているものも情緒的公約では?
情緒的なものは国民に「期待」を持たせたり表面的な自信や誇りも持たせるのですが、しかしそれはやはり情緒的範疇を出ない。
情緒的な”応援”が愛国心とすり替わっていく。
情緒的”応援”は言葉だけでどうにもなるものですから大きな強い声を出せばその範疇世界では勝ちであり尊敬をされる。こうして日本像というものが現実から乖離をしていく。
それが政策一般から経済にも及んでいく。
つづく
こういったものが安倍政権が目指す政治面での戦後レジームからの脱却を”応援”しているのでしょう。
もちろん安倍総理自身が多くの外遊の中で発言しているものも情緒的公約では?
情緒的なものは国民に「期待」を持たせたり表面的な自信や誇りも持たせるのですが、しかしそれはやはり情緒的範疇を出ない。
情緒的な”応援”が愛国心とすり替わっていく。
情緒的”応援”は言葉だけでどうにもなるものですから大きな強い声を出せばその範疇世界では勝ちであり尊敬をされる。こうして日本像というものが現実から乖離をしていく。
それが政策一般から経済にも及んでいく。
つづく