夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

2018年 3月 1日(木)「俳句はその遺産から何を引き継ぐか。俳句の伝統とは何か。(3)」

2018年03月01日 21時31分23秒 | * 俳句 *
俳句はその遺産から何を引き継ぐか。俳句の伝統とは何か。(2)の続きです。
俳句が持つ「大衆性」ですが、これをどのようにとらえるべきか。
有馬朗人さんはユネスコ無形文化遺産登録に向けてでこの俳句の大衆性につて次のように書いています。
「俳句の大衆性……短いという俳句の持つ簡潔さゆえに誰もが俳句を簡単に作ることが出来るのです。 当協会の俳句コンテストへの海外からの応募は49か国に及びます。」
また、「俳句の普遍性」としても次のように書いています。
「一方俳句が短いことによって、一般の人々が俳句を作る楽しみを知り始めました。 こうして俳句によって詩人の数が急激に増えつつあると言えます。」
「短いという俳句の持つ簡潔さゆえに誰もが俳句を簡単に作ることが出来るのです」そして俳句が短いという事で「俳句によって詩人の数が急激に増えつつあると言えます」とありますが、これは世界遺産登録に向けてのリップサービスではないでしょうか。また、誰でもが作ることができたり詩的になったりできるのは何も俳句ばかりではないでしょう。詩や小説やエッセイや。。。。文学だけではなくて絵や写真や様々な分野において多くの人々が参加をしています。特にインターネットの時代ですから、本や雑誌に投稿して載せてもらうような壁はなくなりブログやツイッターやもちろんホームページでも簡単に参加できるようになっています。それに対して俳句は季語があり17文字という短い詩であるからこそとっつきにくさもあるのではないでしょうか。「詩人」は自由詩が多いでしょう。ですから俳句にも自由を求めていく傾向が強いと思います。「簡潔」や「短い」という事から俳句を世界遺産にという論点はやはりリップサービスであり、下手をすればポピュリズムになってしまいます。
たしかに正岡子規も多くの初心者を歓迎しており、心に浮かんだ句を即興的にもたくさん作れと何かに書いていたと思います。ですから俳句は難しいものと見て大衆の句を排除するものではないでしょう。多くの初心者を歓迎しながらも中休中級そして俳人へと昇っていくことを言っているのではないでしょうか。この正岡子規の考え方と、簡潔だから短いのだからとすることは少し違いがあるでしょう。
次は俳句の持つ自由さについて書いてみたいと思います。

俳句と自由につづく
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池に浮かぶ月60【3月1日】

2018年03月01日 18時52分24秒 | 「池に浮かぶ月」
無秩序と言っても力を持つ人たちが無秩序になってき、力のない人々は力のある人々のために秩序的になるというのが悪い国家の典型です。
今の日本はどうでしょうか。
先日も衆議院において働き方改革が数の力によって採決されました。もちろん政治家などは力を持つ人々です。この働き方改革で秩序(法的)的に働かされるのですが、過労死をはじめ無理な働き方が起きるのではないかともいわれています。
社会の名で経済的にも生活面でもどうなっているのかを見る必要があります。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「3月 1日という日」

【2017年】ツイッターつぶやきカオス。。。。無秩序。 同時にこの無秩序はその場しのぎともなる。 共謀罪が審議されているが、はじめはテロ対策だとしてこの法案が通らなければ安全......

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