夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

池に浮かぶ月68【3月9日】

2018年03月09日 18時02分31秒 | 「池に浮かぶ月」
夏目漱石「夢十夜」
内田百閒「東京日記」
川上弘美「東京日記」
銀色夏生「夕方らせん」
この不思議な物語が「夕螺の東京日記」へ(笑)
冗談はともかく、これらの作品は好きです。心の世界を表現するのですから不思議な世界となります。心は自分のものであっても自由にはできない。自分の心の動きに戸惑うことがあるでしょう。それを文字に表せばいいのかなと思う。もちろんそうは赤裸々に履けない弱さが多くの人にはあるのでしょうが。
(ちなみに僕のハンドルネーム「夕螺」は、夏生さんの「夕方らせん」を「夕方螺旋」と漢字にして「夕」と「螺」をお借りしました。)

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

3月 9日という日

strong>【2017年】ツイッターつぶやき昨日か書きました「東京日記」の続きです。 内田百閒は夏目漱石の弟子です。 漱石からはいろいろなものを吸収したようです。 奇妙な......

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2018年 3月 9日(金)「俳句のユネスコ無形文化財登録に向けては討議の方法論ではない」

2018年03月09日 13時13分10秒 | * 俳句 *
先日書いた俳句はなぜ自由であり得るか(2)の続きです。
「俳句はなぜ自由であり得るか(2)」の最後は
次は福田さんへの批判について見てみましょう。【3月8日追記:これについては複雑ですなぁ】
としました。
なぜ福田さんへの反論が複雑なのか?それは俳句とは何か、定型有季など肝心な議論がそらされてしまったからです。この肝心な議論がなくなって世界遺産登録に反愛反対する方法論になってしまったからです。ですからすでに「福田さんへの批判について見てみましょう」とはならなくなりました。
言えることは肝心な議論がなぜどこかに消えてしまったのかです。
福田さんの有馬朗人氏に反対するーー俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐってに対して、小津夜景さんという方が福田若之「有馬朗人に反対する 俳句の無形文化遺産登録へ向けた動きをめぐって」について思ったこと。」としてその思いをお書きになっている。
小津さんは
「ん? だったらネットで有志を募って、さっさと四協会に公開質問状出しちゃいなよ♡」ってこと。(引用)
と、冒頭に書いて俳句の定義づけなどはパスして、福田さんの有馬さんへの批判の方法論になってしまっている。言葉悪く言えば、論理のすり替えです。福田さんもご自身の俳句の定義づけはあやふやですからこの方法論での議論に巻き込まれる。ですから、小津さんからしてみれば、福田さんの俳句の定義のあやふやさを見て反批判のようなことはできかねたのかもしれません。小津さんの優しさからしても?
これに対して福田さんは滑って転んじゃった話において方法論的なものでの反省の弁ともいえる返事を書いてそこでも俳句の定義づけをせずに俳句が世界遺産になることで定型有季の自然詩が俳句という定義になってしまう心配と怖さをお書きになっている。そして2018年に入って、俳句を遺産としてしまうことについて新たな見解に向かう。
そして西原さんという方は、
週刊俳句に、福田さんが今回の記事を書いたことに大きな意義がある。最初に言ったように、これが要点。アクセス数も多いようで、たくさんの人が、有馬インタビューを知ることになりました。
福田記事のダメなところについては、また後日。

と。
結局肝心なところの議論はそのままに。。。。。これでは俳句自体も発展しませんし、世界遺産に向けての議論も深まりません。多数派結集が力となって俳句のためと言って猪突猛進するのかもしれません。。。。。
うん?僕も最後は方法論に(笑)

HAIKUにつづく

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