夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

池に浮かぶ月170【6月24日】

2018年06月24日 18時58分07秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は火事と半鐘のお話。
火事が起きると半鐘が慣らされる。これは誰でもが知っていることですが、今の社会は半鐘を鳴らすから火事が起きるとへんてこな理屈を立てる人々がいる。
公文書をそのまま出すと国会が混乱したり国民が騒ぐ。そこでのり弁状態にしたり、隠蔽や改ざんまで行う。そして下手をすれば「先生」をかばおうとする。
火事は拡大をして社会を焦土化させる人々。。。。。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」

「6月24日という日」

【2017年】ツイッターつぶやき誰もが、普通、火事を発見したから火の見やぐらに上って半鐘をたたくものと知っている。しかいこの社会にでは時より半鐘を鳴らすから火事が起きると言い出す......

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2018年 6月24日(日)「宗教」

2018年06月24日 17時10分50秒 | 「思うこと」
ツイッターからです。
宗教ってなんでしょ?本来は人間世界を住みやすく平和にそして平等にしようという思想ではなかったでしょうか?もちろん同時に自然に対する人間の営みに深く関連したものです。自然に感謝したり恐れたり。そこに神を見る。
自然の中に神を見る時に森羅万象一つの神がそのすべてを支配するといった宗教もあるでしょうし、自然界には八百万の神々が存在をするという宗教もあるでしょう。初めの宗教は八百万の神々がいたはずですが。
八百万の神々は素朴に人々の心に結びついて存在をしていましたが、だんだんと一つの神の支配下に組み込まれていく。この流れは神は人間の観念ですから人間社会が変化すれば神の姿も変化をします。原始共産制には八百万の神々でよかったでしょうが、人間社会に王様が生まれると神の中にも王様が必要に。
もちろん王様が生まれる過程に宗教が絡んでいたことは間違いありませんが。絶対的王様には絶対的な神が必要になります。多くの富を蓄えるには、そしてそれを正当化するためにも。実はこの時、富が絶対的になっているのです。神は物神性の前にひざまずく。
唯一の神がいるとしても、人類すべてが認める唯一の神が存在するわけではない。それは当たり前のことであり、唯一の王様が存在するわけではないのだから。誰が唯一の王様なのか、ここに唯一の神が現れる。神を支配した物神性は神を語りながら平和や自由を脅かし始める。唯一の神が争いはじめる。
同じ唯一の神を持ちながらも王位継承争いがあれば宗派が闘争をはじめる。宗教社会は逆立ちをする。
神を語る人々が平気で花を踏みにじる。
神と悪魔は同一のものであることが証明をされる。仏とマーラは同一のものと証明される。
灯のように神と仏を守る人々が花を守る。八百万の神々に感謝をしながら
人々は神や仏でなくとも絶対的なものを求めはじめる。ぞの作り上げられた神のような絶対的なものを感情と誤った誇りと現世利益で守ろうとすることはある意味絶対的な王様を必要とする。無条件な神への追随。人間は物神性に支配される。
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