夕螺の一言日記

毎日心に浮かんだことなどを書いてみたいと思います。。。(2014年3月13日開設)

池に浮かぶ月173【6月27日】

2018年06月27日 18時36分40秒 | 「池に浮かぶ月」
去年は路地裏散歩について。
車も通れないような路地に迷い込みそこにたくさんの花などが植えられているとほっとしますね。
東京の路地も少なくなっています。
たしかに消防車も入ってこれない路地ですから防災上危ないのですが、なくなっていくのも寂しいです。防災上だけではなくて花をたくさん植えることがなくなっていくのは世代交代もあるのでしょうか。。。。。

「池の上に月が昇る
その池に写る月は現実の月ではない
しかし現実の月を写したものであることでその池に浮かぶ月も現実である
人間の過去もすでに現実としては存在しない
しかし過去の時間の中で現実であった」
「6月27日という日」

【2017年】ツイッターつぶやき時々散歩に出かけます。あまり通ったことのない表通りを歩いていると細い路地があります。路地の奥を覗いてみると好きな路地の花が見えます。先日は車......

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2018年 6月27日(水)「資本主義的自由と民主主義」

2018年06月27日 11時41分58秒 | 「思うこと」
に反日本はもちろん、アメリカやヨーロッパなど先進国の中で自由や民主主義という言葉が聞かれなくなっている。新聞やテレビそしてネットもそうだが、ここでも自由や民主主義という言葉が少なくなっている。
自由や民主主義に代わって何でも有りと力による政治が台頭してきている。もちろんこの政治的自由や民主主義の衰退は経済関係からきている。日本を見ても、というよりも日本が典型だといったほうが良いと思うが、経済の混迷の中伝経済的自由は富が少ないところから高いとこれへと所得移転がされて格差は広がるばかりである。搾取強化のために労働時間規制は撤廃され続けている。ここに富裕層や企業の自由はあっても国民全体の自由は損なわれた。民主主義に代わってこれらの経済的政策は数の力を含めた何でも有りという形で民主主義は形骸化されている。
資本主義は封建制国家を倒すために自由や民主主義・博愛を高く政治的スローガンとして掲げた。しかし資本主義は当初から国民には自由を与えず民主主義は力のある者にだけに問われた。その後は社会主義の台頭とその後の冷戦の中で社会主義に対抗するための国民のための国家が言われはじめ、社会保障や労働の規制そしてそれを自由や民主主義の拡大としてきた。
しかし今や資本主義は昔帰りをはじめた。
と言っても単純な昔帰りではない。
資本主義も発展の初期あるいは産業革命という急速な発展の中で資本主義システムも発展途上であった。労働者への搾取や収奪の結果が社会の不潔さなどからのコレラの蔓延、そして度重なる恐慌。ここから労働者保護なども生まれて資本主義も発展していく。その中での自由や民主主義の形骸化でしたが、今や資本主義が発展したにもかかわらず自由や民主種を邪魔なものとするような退化としてあらわれている。資本主義も行き詰ってきている。
資本主義的自由や民主主義も人類の社会発展には欠かせないものでしたが、資本主義自らがこの自分が作り上げた自由や民主主義を放棄する。これは資本主義の限界を示しています。
しかし資本主義はまだまだノビシロを持っているはずなのです。それは社会民主主義です。
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