ツイッターからです。
宗教ってなんでしょ?本来は人間世界を住みやすく平和にそして平等にしようという思想ではなかったでしょうか?もちろん同時に自然に対する人間の営みに深く関連したものです。自然に感謝したり恐れたり。そこに神を見る。
自然の中に神を見る時に森羅万象一つの神がそのすべてを支配するといった宗教もあるでしょうし、自然界には八百万の神々が存在をするという宗教もあるでしょう。初めの宗教は八百万の神々がいたはずですが。
八百万の神々は素朴に人々の心に結びついて存在をしていましたが、だんだんと一つの神の支配下に組み込まれていく。この流れは神は人間の観念ですから人間社会が変化すれば神の姿も変化をします。原始共産制には八百万の神々でよかったでしょうが、人間社会に王様が生まれると神の中にも王様が必要に。
もちろん王様が生まれる過程に宗教が絡んでいたことは間違いありませんが。絶対的王様には絶対的な神が必要になります。多くの富を蓄えるには、そしてそれを正当化するためにも。実はこの時、富が絶対的になっているのです。神は物神性の前にひざまずく。
唯一の神がいるとしても、人類すべてが認める唯一の神が存在するわけではない。それは当たり前のことであり、唯一の王様が存在するわけではないのだから。誰が唯一の王様なのか、ここに唯一の神が現れる。神を支配した物神性は神を語りながら平和や自由を脅かし始める。唯一の神が争いはじめる。
同じ唯一の神を持ちながらも王位継承争いがあれば宗派が闘争をはじめる。宗教社会は逆立ちをする。
神を語る人々が平気で花を踏みにじる。
神と悪魔は同一のものであることが証明をされる。仏とマーラは同一のものと証明される。
灯のように神と仏を守る人々が花を守る。八百万の神々に感謝をしながら
人々は神や仏でなくとも絶対的なものを求めはじめる。ぞの作り上げられた神のような絶対的なものを感情と誤った誇りと現世利益で守ろうとすることはある意味絶対的な王様を必要とする。無条件な神への追随。人間は物神性に支配される。
宗教ってなんでしょ?本来は人間世界を住みやすく平和にそして平等にしようという思想ではなかったでしょうか?もちろん同時に自然に対する人間の営みに深く関連したものです。自然に感謝したり恐れたり。そこに神を見る。
自然の中に神を見る時に森羅万象一つの神がそのすべてを支配するといった宗教もあるでしょうし、自然界には八百万の神々が存在をするという宗教もあるでしょう。初めの宗教は八百万の神々がいたはずですが。
八百万の神々は素朴に人々の心に結びついて存在をしていましたが、だんだんと一つの神の支配下に組み込まれていく。この流れは神は人間の観念ですから人間社会が変化すれば神の姿も変化をします。原始共産制には八百万の神々でよかったでしょうが、人間社会に王様が生まれると神の中にも王様が必要に。
もちろん王様が生まれる過程に宗教が絡んでいたことは間違いありませんが。絶対的王様には絶対的な神が必要になります。多くの富を蓄えるには、そしてそれを正当化するためにも。実はこの時、富が絶対的になっているのです。神は物神性の前にひざまずく。
唯一の神がいるとしても、人類すべてが認める唯一の神が存在するわけではない。それは当たり前のことであり、唯一の王様が存在するわけではないのだから。誰が唯一の王様なのか、ここに唯一の神が現れる。神を支配した物神性は神を語りながら平和や自由を脅かし始める。唯一の神が争いはじめる。
同じ唯一の神を持ちながらも王位継承争いがあれば宗派が闘争をはじめる。宗教社会は逆立ちをする。
神を語る人々が平気で花を踏みにじる。
神と悪魔は同一のものであることが証明をされる。仏とマーラは同一のものと証明される。
灯のように神と仏を守る人々が花を守る。八百万の神々に感謝をしながら
人々は神や仏でなくとも絶対的なものを求めはじめる。ぞの作り上げられた神のような絶対的なものを感情と誤った誇りと現世利益で守ろうとすることはある意味絶対的な王様を必要とする。無条件な神への追随。人間は物神性に支配される。