父が亡くなったとき、私や妹や弟は当然父のもとに駆けつけた。
父を裏切る形で家を出てはいても、私は父の子供で父を愛していたし、父の顔を見たいと思ったから、そうした。虫の知らせだったのか、偶然にも父の家のそばに居合わせた私。父は寂しがり屋だったから、たぶん私を呼んでいたのだろう。
次の日も私は父の家に行った。ある事情から、そこに父の体はなかったが、妹や弟に何か食べさせなければと、弁当を携えての訪問だった。継母のことを憎んではいても、夫を亡くした心の内を思えば優しくなれたから、当然彼女の分も持って。
彼女は20数年前と変わらず、ただ酔っ払って、わけのわからないことを言っていたが、それも事態を思えば許せた。ただ、彼女がお金の話を持ち出すまでは、の話であるが。
私がそこに滞在していた間、何度も金の話が出た。私には継母が何を言いたいのか、よくわからなかったが「私は一銭のお金もいらない」と言った。妹も弟もそれは同じ。子供の頃から、父の兄弟間の、しかも祖父が生きているころからの財産争いを目にし(しかし、祖父に並外れた虐待を受けて育った父とその姉たちがそうなってしまうのも仕方ないかも)、ある意味それも一因となって家庭が崩壊した我々にとって、金はただ、災いをもたらすものにしか思えなかったし、父が稼いだ金は、父が好きなようにするべきだと考えていたから。
が、私が父の家を辞するとき、継母は一通の通帳を差し出した。私名義の通帳だ。開いてみれば額面は13万円。それを私に手渡しながら、「これ、少ないけど私がerimaちゃんのために貯めてたの。昔のお詫び。ごめんね、昔のこと忘れてちょうだい」と言った。私は怒る気にもなれず、ただ黙ってそれを受け取り、ドアの外に出てから弟に「これ返しておいて」とそれを託した。怒ることすらバカバカしく、こんな女と結婚した父を、可哀想に思った。額面の問題ではない。金でカタをつけようとするその根性の卑しさ、そして私自身を見くびられたことに、心底嫌気がさしたのだ。私は、ただただ空しい気持ちを抱えながら、家に帰った。そして。
許せないことは、その後起こった。私が帰ってしまってから、継母は妹と弟に向けて、「お前らは金目当てで集まってきた!」と言い放ったらしい。なぜ私がいたときにそれを言わなかったかといえば、気の強い私に激怒されるのを恐れていたからだろう。私がもう、家出をしたときの小娘ではないことを、彼女はよくわかっていたであろうから。けれどそれは私に向けた言葉で、おそらく妹から私にそれが伝わると目論んでの発言であろう。妹からそれを聞いたとき、悲しんでいる心優しい妹や弟にそんな言葉を浴びせた継母を、私は殺したいほど憎んだ。が、父が争うごとを嫌う気弱な性格であったことを思って自身をいさめた。次いで、すぐに継母から「相続放棄をして欲しい」との申し出があったときも、私たち兄弟は即了承した。何を焦っていたのか知らないが、「早く早く」とせかされるのも、私たちには好都合だった。ただ私たちは、そんなことから早く解放されたかったから。お金など一円だって欲しくなかった。
その後、継母は葬儀全般、すべて我々に任せ、墓を建立する以外のことは何もしなかったが、それも好きにさせておいた。父の49日も、参列してくれた父の姉たちを放って「私は私で会社の人たちと飲むから」と、去っていった彼女。ただ、一周忌にあたっては何もせずに、当日になって会食には参加しようとしたので、私は断固拒否したが(そのときばかりは少しブチキレた)。
なぜ、こんな話をするか。
TVで若貴兄弟の話題を目にしたからなのだが...。
お兄ちゃんの相続放棄は正しいと思う。私はどちらの味方でもないが、親の死を悲しんでいる人間があれだけTVに出てベラベラ喋れるとは思えないから、弟を好意的に見ることができない。
しかしそれ以前に、兄弟が争うなど、私には究極の親不孝に思えて仕方がない(親不孝な私にそんなこと言う資格はないが)。
私の父は、自分自身が姉たちと争って生きてきたために、私たちにしつこく「兄弟は仲良く」と言い続けた。そしてそれにも増して、複雑な家庭環境が私たち兄弟の絆を強固にもしてくれたから、その点では、父の意に副うことが出来たと思う。ゆえに、私にあの兄弟の気持ちは理解出来ないが、きっと亡くなった親方は死んでも死に切れないだろう、とだけは思う。
我々が、相続をさっさと放棄して父の死を心ゆくまで悼んだように、若貴のお兄ちゃんも、これで静かにゆっくり、父親を偲ぶことが出来ればいいのだけど...。マスコミは放っておいてくれないだろう。
「分骨」なんて話も出ているが、それも相当大変な話。父の埋葬に関して、我々も祖父の骨を分けてもらったからよくわかるのだが...。祖父が亡くなったときから、父が希望していたという分骨。しかし、それもまた信じられない出来事ばかりでねぇ...私の一族もメチャメチャだから。
まぁそれも、いつか機会があったら話そうとは思うが。
でもそんな話、もう若貴の話で充分、だよね。
父を裏切る形で家を出てはいても、私は父の子供で父を愛していたし、父の顔を見たいと思ったから、そうした。虫の知らせだったのか、偶然にも父の家のそばに居合わせた私。父は寂しがり屋だったから、たぶん私を呼んでいたのだろう。
次の日も私は父の家に行った。ある事情から、そこに父の体はなかったが、妹や弟に何か食べさせなければと、弁当を携えての訪問だった。継母のことを憎んではいても、夫を亡くした心の内を思えば優しくなれたから、当然彼女の分も持って。
彼女は20数年前と変わらず、ただ酔っ払って、わけのわからないことを言っていたが、それも事態を思えば許せた。ただ、彼女がお金の話を持ち出すまでは、の話であるが。
私がそこに滞在していた間、何度も金の話が出た。私には継母が何を言いたいのか、よくわからなかったが「私は一銭のお金もいらない」と言った。妹も弟もそれは同じ。子供の頃から、父の兄弟間の、しかも祖父が生きているころからの財産争いを目にし(しかし、祖父に並外れた虐待を受けて育った父とその姉たちがそうなってしまうのも仕方ないかも)、ある意味それも一因となって家庭が崩壊した我々にとって、金はただ、災いをもたらすものにしか思えなかったし、父が稼いだ金は、父が好きなようにするべきだと考えていたから。
が、私が父の家を辞するとき、継母は一通の通帳を差し出した。私名義の通帳だ。開いてみれば額面は13万円。それを私に手渡しながら、「これ、少ないけど私がerimaちゃんのために貯めてたの。昔のお詫び。ごめんね、昔のこと忘れてちょうだい」と言った。私は怒る気にもなれず、ただ黙ってそれを受け取り、ドアの外に出てから弟に「これ返しておいて」とそれを託した。怒ることすらバカバカしく、こんな女と結婚した父を、可哀想に思った。額面の問題ではない。金でカタをつけようとするその根性の卑しさ、そして私自身を見くびられたことに、心底嫌気がさしたのだ。私は、ただただ空しい気持ちを抱えながら、家に帰った。そして。
許せないことは、その後起こった。私が帰ってしまってから、継母は妹と弟に向けて、「お前らは金目当てで集まってきた!」と言い放ったらしい。なぜ私がいたときにそれを言わなかったかといえば、気の強い私に激怒されるのを恐れていたからだろう。私がもう、家出をしたときの小娘ではないことを、彼女はよくわかっていたであろうから。けれどそれは私に向けた言葉で、おそらく妹から私にそれが伝わると目論んでの発言であろう。妹からそれを聞いたとき、悲しんでいる心優しい妹や弟にそんな言葉を浴びせた継母を、私は殺したいほど憎んだ。が、父が争うごとを嫌う気弱な性格であったことを思って自身をいさめた。次いで、すぐに継母から「相続放棄をして欲しい」との申し出があったときも、私たち兄弟は即了承した。何を焦っていたのか知らないが、「早く早く」とせかされるのも、私たちには好都合だった。ただ私たちは、そんなことから早く解放されたかったから。お金など一円だって欲しくなかった。
その後、継母は葬儀全般、すべて我々に任せ、墓を建立する以外のことは何もしなかったが、それも好きにさせておいた。父の49日も、参列してくれた父の姉たちを放って「私は私で会社の人たちと飲むから」と、去っていった彼女。ただ、一周忌にあたっては何もせずに、当日になって会食には参加しようとしたので、私は断固拒否したが(そのときばかりは少しブチキレた)。
なぜ、こんな話をするか。
TVで若貴兄弟の話題を目にしたからなのだが...。
お兄ちゃんの相続放棄は正しいと思う。私はどちらの味方でもないが、親の死を悲しんでいる人間があれだけTVに出てベラベラ喋れるとは思えないから、弟を好意的に見ることができない。
しかしそれ以前に、兄弟が争うなど、私には究極の親不孝に思えて仕方がない(親不孝な私にそんなこと言う資格はないが)。
私の父は、自分自身が姉たちと争って生きてきたために、私たちにしつこく「兄弟は仲良く」と言い続けた。そしてそれにも増して、複雑な家庭環境が私たち兄弟の絆を強固にもしてくれたから、その点では、父の意に副うことが出来たと思う。ゆえに、私にあの兄弟の気持ちは理解出来ないが、きっと亡くなった親方は死んでも死に切れないだろう、とだけは思う。
我々が、相続をさっさと放棄して父の死を心ゆくまで悼んだように、若貴のお兄ちゃんも、これで静かにゆっくり、父親を偲ぶことが出来ればいいのだけど...。マスコミは放っておいてくれないだろう。
「分骨」なんて話も出ているが、それも相当大変な話。父の埋葬に関して、我々も祖父の骨を分けてもらったからよくわかるのだが...。祖父が亡くなったときから、父が希望していたという分骨。しかし、それもまた信じられない出来事ばかりでねぇ...私の一族もメチャメチャだから。
まぁそれも、いつか機会があったら話そうとは思うが。
でもそんな話、もう若貴の話で充分、だよね。