さて。
怒涛のペースで進むはずの5月4日の巡礼路。
前編では我が家に程近い十五番、十六番寺を出たあたりで、
『ガイドブック付録の地図では用が足りないと気づいた』と、そうお伝えしましたね。
新しい地図で調べてやってきたのは.....
十七番【龍雲寺】<開創天文二十四年>(1555年)
三十三所、ご開帳の観音像の中でも最大(195cm)の美しい観音様は、
開創当時の領主梶川家内室により寄進されたもの。
(ちなみに三十三所の中には、5cmぐらいの小さな観音様もおられた)
この鐘楼堂は今も周辺に夕刻を告げているそうです。
何しろ、ここから先のお寺があるのは、その大部分が丘陵地帯です。
予備知識として申し上げれば、横浜市には18の区がありますが、
この先我々が向かうのは、横浜一農家数が多く、
また、横浜一、住民の平均年齢が若いという、いわゆるニュータウンの、
わかりやすい道はわかりやすいけれど、
そうでない場所はそうでないという(笑)
複雑な区域なのです。
境内にある樹齢450年といわれる菩提樹の足元には、
修行時代のお釈迦様の像も。
お顔立ちがオリエンタルなのが非常に印象深かったです。
で。
コンビニで地図を買って作戦会議をした、と。
前回は、そうお伝えしたわけです。
「ああ、これで安心!」と。
ちなみにこの虫さんは、後に見える壺(?)の中で溺れていたところを
ゴンザに助けてもらい、一息ついているところです。
こういうのも出会い、ですねぇ。
次からは水に気をつけるんだよ!
.....ですがね。
私は大事なことを忘れてました。
地図をパッと見ただけじゃ、その高低差はわからないってこと。
(特に私は『地図の読めない女』なので)
自転車で丘陵地帯へ踏み込むのは、非常に危険だということを。
汗びっしょりでやってきたのは.....
十八番【観音寺】<開創年代不明>(334年前に中興開山とも)
このお寺には昔々、孫娘が神隠しにあった老婆が
「孫が必ずかえるよう」蛙の絵を奉納し、
無事その娘が帰ってきたという言い伝えがあるとか。
ええ、それはもう、非常に厳しい道のりでした。
急勾配を登ろうとしては挫折し、仕方なしに自転車を降りて押して歩く。
下りでひととき元気を取り戻すも、
再び立ちはだかる登りにひたすらペダルを踏みまくり、
坂を下ってはまた、くり返す、という。
そっかぁ、だからカエルさんがいるんだね。
このカエルの石像は、なくし物、人探し、子供の成長を祈る人が、
優しく頭を撫でるとご利益があるのだそうです。
こちらのご近所には『カエル公園』というのもあるんですって~♪
それでもね。
人間不思議なもので、そんなことを何度もやっていると、
自然とハイになるっていうんでしょうか?(笑)
『登りのあとには下りがある』
そう思うと、なんだかそれも楽しくなってきました(爆)
また、こちらの『おさすり不動尊』をさすると、
様々な身体の痛みがとれるらしいです。
ああ、私もさすって腿の痛みをとっていただけばよかった...
ノーブレーキで坂を下りながら、全身に風を受け、爽快さのあまり♪
「わ~っはっはっ♪わ~っはっはっはっ♪」
ええ。
その姿こそが、ゴンザに私の新しいあだ名『下り番長』を思いつかせたのです。
(ちなみに登りは「ひいひい」言ってます・笑)
ニュータウンにふさわしい外観の
十九番【壽福寺】<開創大同年間>(806年)
女性がご住職のこちらは、
『行基菩薩が諸国行脚の途中、夢のお告げによりお堂を建立した』のが始まりとか。
境内から徒歩10分の高台にある観音堂は、ガラス張りで明るく、
いつでも拝観できるそうです。
ちなみにこの高台まで、我々はお寺の外側を通って、
チャリで登りました(泣)
まあ、その野太い笑い声に驚いて、ビクッと振り向いた多くの周辺住民の方々には、
非常にご迷惑をおかけしましたが(笑)
あの高低差は、そんな勢いでもつけなけりゃ、到底乗り切れるもんじゃありません。
こちらでいただいたお茶の美味しかったこと!
八ツ橋も嬉しい~♪
辛いことがあるときは、何でもいいからその中に面白いことを探さなけりゃ.....
ま、人生も坂道も、おんなじってことでしょうか。
......ってなわけで。
まだまだ続きます。
そういえば十八番さんから十九番さんへ向かう途上では、
この地域の特色を象徴するかのようなイベントを見つけました。
JA横浜の資材センター『メルカート』内の農産市で買ったのは、
横浜産のしいたけ・まいたけ♪
(よって、この日の夕食はきのこのフライときのこパスタ)
...しかしゴンザよ、なぜにあなたはカメラを向けられるたびに変顔をする?
モザイクかけるのがもったいないぐらい変な顔~(爆)
十七番 【龍雲寺】 横浜市都筑区東方町1300
十八番 【観音寺】 横浜市都筑区池辺町2565
十九番 【壽福寺観音堂】 横浜市都筑区茅ヶ崎東3-25-21
この日のスタートは、再び我が家にほど近いお寺から。
真っ直ぐな参道の先にあるのは.....
さて。
ぼちぼちとお送りしてきました、十二年に一度の、大イベント。
『旧小机領子年観音霊場』巡りの様子ですが。
実は前回書いた十四番寺までは、そのペースは、
二人がそれを思い立ち、巡礼を実行し始めてから十日あまりの間に、
ちょこっと時間を見つけては各お寺をポツポツ訪れるという、
そんなスローなものでありました。
十五番【西方寺】<開創・鎌倉時代初期>
新羽と呼ばれるこの地には、もともと観音堂があって、平安時代より、
守り本尊として信仰されていたとか。
鎌倉時代に鎌倉の極楽寺が兵渦に遭って焼失した際、同寺の塔頭寺院であった
西方寺も巻き込まれ、そこから逃れた僧が、この地に寺を移築したらしい。
山門、本堂、鐘楼共に見事な萱葺き屋根のこちらは、横浜市の文化財。
本堂は平成19年に解体修理を終え、創建当時の姿に復元された、とのこと。
が、GW後半突入と共に、その様子は一変。
5月4日、5月5日、そして6日と、
愛用の自転車を駆っての強行軍は、ペダルを漕ぐ腿の悲鳴を無視し、
怒涛のペースで進むのでありました(笑)
ちなみにこの本堂内には、
300年前に狩野派の絵師によって杉戸に描かれた襖絵があって.....
そこに初めて足を踏み入れた我々は、一瞬にしてその美しさに圧倒され、
鳥肌が立ったまま、しばし動けなくなってしまいました。
天女の絵ももちろん美しかったけど、
何より感動的だったのは、描かれた鳥たちの姿の生き生きしたこと!
襖絵だけでなく、天井も見事!
何から何まで美しい
幸い、その大部分は暑くもなく、寒くもなく、陽射しも強くない、
ちょうどよいお天気に恵まれた(一部雨)こともあって、
これはもしかすると観音様が「まったくこの二人は仕方がないのう」と、
そんな風に見守って下さったからなのかもしれません。
そういえば、この旧小机領近辺には、横浜市指定の名木や、
樹齢の想像もつかないような古木も多く見られました。
この樹もすご~い!
十五番さんに名残を惜しみつつ、向かうはほど近い十六番。
とにかくこの、走行距離が60キロにも及んだ5月4日は、
その道中に勾配が多かったことも含め、非常に厳しく、
またそれだけに楽しいものであったのです(笑)
十五番から自転車で3分。
こちらもまた長い参道が続くのが.....
十六番【専念寺】<開創天正十二年>(1584年)
一番寺泉谷寺の六世により開創されたこのお寺は、緑多く、
それは山や畑の多いこの地域を象徴するかのよう。
開創当時はもう少し小机寄りの亀甲山にあったという話も。
ちなみにこの亀甲山、かつてあの太田道灌が陣取り、
小机城を睨んだという、そんなエピソードも持っています。
旧小机領三十三所観音霊場の分布は、北は川崎市麻生区まで、
東は横浜市鶴見区、南は西区....
西は神奈川県町田市までと、自転車で周るには結構広く、
各お寺のある場所は、大きな街道添いから、細いあぜ道、山道まで、様々です。
お寺には、木造建築の宿命である火災による被害を受けたところも多く、
こちらもまた、天保八年に堂宇を焼失してしまったとか。
その後、天保十四年に再建され、
昭和四十五年には天保八年以前の位置に移築復元。
時に、人と車の往来を縫って、時に川沿いをひた走り、
地図を出しては(←ガイドブック付録)「あっちだ!」「いや、こっちだ!」と、
時に寄り道したりなんかしながら、旅路は続きます。
あれ....?
何か手に持ってる。
この日、目指すのは、我が家から程近い場所にある十五番寺から、
十六、十七、十八、十九、二十、二十一、二十二、二十三、二十四番のお寺まで。
番号順とルート、お寺の閉門までの時間を考え合わせて、
横浜市港北区、都筑区、青葉区、川崎市麻生区、そしてまた青葉区と抜けるのに、
それがベストに思えたからです。
小ぢんまりしてきれいな観音堂
......が。
予定というのはあくまで予定に過ぎないわけで....(笑)
この日我々は、旅&巡礼の醍醐味というものを、思いっきり味わうのであります。
ちなみに、十六番さんを出たこのときになってようやく我々は、
納経帳の付録ガイドブックの地図では、
あまりに心もとないことに気づきます(爆)
と、いうことでここで横浜市の地図を買って...
持参したおにぎりを頬張り、作戦会議(←今さら!?笑)
こちらがそのガイドブック付録の地図。
細かい記載はないけれど、各お寺の位置関係を把握するにはこれが便利!
この大きさだと文字が見えづらいので、写真にあらためて番号をふってみました。
これを見れば、各お寺を番号順に周ろうとすると、行ったり来たり、
または回り込んだり、というくり返しになるのがよくおわかりになるかと...(笑)
ちなみに白い点が我々の拠点です。
そう。
ある意味、旅はまだ、始まったばかり(笑)
ってことで、まだまだ続きます。
十五番 【西方寺】 横浜市港北区新羽町2586
十六番 【専念寺】 横浜市港北区新羽町1578
さてさて。
毎度色んなことを書いて、なんだかまとまりのない、巡礼報告記、ですが(笑)
十一番【松蔭寺】<開創建武二年>(1335年)
非常に静かな高台にあるこのお寺には、
その葉に傷をつけると黒く浮き上がることから『葉書』の語源となった、
タラヨウの木もあります。
我々が巡った、三十三所のお寺がまたがる、三つの市(横浜・川崎・町田)、
多くの区(横浜市内=港北・神奈川・緑・都筑・保土ヶ谷・旭・鶴見・青葉、川崎市内=麻生)
で感じたのは、町というのは様々な顔をもつのだなぁということでした。
「八犬伝」の里見家に縁のあるこのお寺の境内にあるお堂には、
お入道様と慕われ、即身成仏した里見義高公が祀られている。
仏門に帰依して鶴見のこの地で隠居した公は、
病苦の民衆を救うため、即身成仏して果てたのだとか。
こちらの仁王様は見事な造形。
妙にリアルで、なぜかユーモラス♪
例えば繁華街を持ち、労働者に溢れる町が、
一歩裏手に入れば、古い歴史と文化財を持つ、奥の深い場所だったり。
またはきれいに整備された西洋風の商店街に、
緑深く、由緒正しきお寺がデンと、あったり。
静かで、穏やかな時間が流れるお寺の境内では、
よく、猫の姿を見かけました。
そして、いつでもゴンザは、彼らによくモテる(笑)
ひと頃流行った『馬鹿の壁』ではありませんが、
興味を持って見なければ、何事も見ていないに等しいのだと.....
そう、見慣れた町に、見慣れないものを次々発見しては、
強く実感した巡礼路でもあったわけです。
十二番【歓成院】<開創永禄三年>(1660年)
東急東横線・大倉山駅前にある、ギリシャ風の建物が並ぶ商店街(笑)
にある、このお寺には、タイやスリランカ、チベットの仏像も安置されています。
こちらにはラジウム鉱泉が湧き出し、境内には珍しい、
上に向かって花が伸びる、白い藤がありました。
また、三十三所を巡る旅を通じては、訪れるお寺ごとに、
素晴らしい仏教美術に接することが出来たわけですが、
その中では、日頃美術館や博物館で遠巻きに眺める際より強く、
仏像のお顔立ちと、その造形に、各国からの影響を感じることが出来ました。
苔も汚れも欠けも、なにひとつ無駄のない美しさ
お寺さんの中には、タイやスリランカ、チベットの仏像をお持ちのところもあり.....
それぞれの特徴には、その地域が何を美としているのかがはっきり表れて、
それが芸術オンチ&美的センスゼロの私にさえも、
よくわかる距離で観察出来たからです。
(各お寺で色々と丁寧に説明して下さった皆様、本当にありがとうございました!)
十三番【園應寺】<開創年代不明>(墓石としては1644年が最古)
ご祈祷のお寺として有名だというこちらでは、
体育の日に行われる柴燈護摩(さいとうごま)が、
横浜市の無形文化財に指定され、
山伏による火渡り修行も行われるとか。
ちょっと変わったお地蔵様。
元の形はどんなだったのかな?
そして、やはり我々には、日本で生まれた仏像が一番に美しく見え、
それはまごうことなく、自分たちが日本人であるということを、
その自然の中で生きているということを、
再確認させてくれることでもありました。
この後もあちこちで見かけることになるかえる像。
これにはちゃんと意味があったんですね。
そういえば山門前の池には、おたまじゃくしもたくさんいました♪
詳しい知識はなくっても、見て、感じて、心が震えること。
そこには確かに、見えないルーツがあるということなのでしょう。
十四番【正福寺御霊堂】<開創年代不明>
鎌倉権五郎景政が戦で負傷し、この地で没した(1085年頃)際に、
その御霊を御霊権現としてお堂を建て、祀ったことが始まりとか。
こちらの観音様は武人の守り神と言われ、
願望が成就することが多かったと伝えられているそうです。
明るく、真新しい本堂は大きくって豪華!
緑と祈りと、命に満ちた、三十三所。
馴染み深く、目新しい、町の顔。
こちらの山門前には、左右に閻魔様とお地蔵様が並んで建っています。
これは非常に珍しいのだとか。
さて。
旧小机領三十三所観音霊場巡礼記。
まだまだ続きます。
十一番 【松蔭寺】 横浜市鶴見区東寺尾1-18-1
十二番 【歓成院】 横浜市港北区大倉山2-8-7
十三番 【園應寺】 横浜市港北区新吉田町4098
十四番 【正福寺御霊堂】 横浜市港北区新吉田町4569