この著作の中には、「母親の肉体」「おぞましい」などの
表現が出てくるが、今で言う「母子カプセル」「共依存」などの
症例から、自他未分化の状態を診ていたのだろう。
そこから、「父親による切断」ではなく、父親に対する愛情から、
父親に象徴される象徴秩序に入っていくところを描写しているのだろう。
それにしても、今から30年も前に、「主体の生成」を描いていたところが
すごいと思う。
最近、発達障害の臨床において、「主体の生成」というものが取り上げられているが、その場合は、象徴秩序に入っていく前に、
養育者から限りなく遠い所から、
「母子未分化」、治療者や養育者との、「融合」「絡み合う」という所に近づくことが、「主体の生成」に必要なのではないだろうか。
表現が出てくるが、今で言う「母子カプセル」「共依存」などの
症例から、自他未分化の状態を診ていたのだろう。
そこから、「父親による切断」ではなく、父親に対する愛情から、
父親に象徴される象徴秩序に入っていくところを描写しているのだろう。
それにしても、今から30年も前に、「主体の生成」を描いていたところが
すごいと思う。
最近、発達障害の臨床において、「主体の生成」というものが取り上げられているが、その場合は、象徴秩序に入っていく前に、
養育者から限りなく遠い所から、
「母子未分化」、治療者や養育者との、「融合」「絡み合う」という所に近づくことが、「主体の生成」に必要なのではないだろうか。