美も醜も、それぞれともに、対象から距離を置いたところからの認識であり、
対象と未分化ならばそこまで明確な認識は生じない。
本書ではクリステヴァの「恐怖の権力」などで触れられている未分化の状態から
考察している。
何かを認識するには、北山修が「共視論」で取り上げている「共に並んで眺める」ことなどで
別の対象を共に感じることにより、言語や象徴の基盤となるものを共有して、
内的基盤を生成することがまず必要なのだが、最近はそのような内的基盤自体が無いために、
語ること自体が困難なケースも多いようである。
当事者の語りや表現を重視する態度は、土台のない人に飛ぶように促してしまうことが
あるのかもしれない。