母親は戦前の日本企業のソウル支店長の末娘として産まれ、産んだ祖母は、
すぐに亡くなったので、おばさんに育てられたとのこと。
母の姉は学校に行かずに、教師が家に来て教えていたのとのことで、
かなり裕福な家だったようだ。
家も大きかったようで、母親は「家の外に出るとさらわれるで」と言われたり
していたとの事だ。
その後、敗戦ですべて失い、カバン一つで帰って来たそうだ。
帰国後に日本で高校を出て、しばらく働いたのち、父親と結婚したそうだが、
多分、父親の学歴と勤め先で決めたのだろう。
しかし父親が両親や兄弟と住んでいる家に行ってみると、がらんとしていて、
本しかない家だったそうだ。
父の親や兄弟と暮らすと、すごく苛められたそうだが、父親はかばっても
くれなかったとのこと。
そのため自分の子供二人を連れて出ていこうと思ったが、自分の父親ももう亡くなっていて、
行き場所が無かったので、しばらく我慢したが、それも耐え難く、
子供を置いて出ていこうとした時に、父親の転勤が決まり、
そこから離れられたそうだ。
そのような経緯があったので、自分の子供に関心を持ち、何かを教えたり、
世話することも思いつかなかったのだろう。
女性が十分な収入を得られる働く場所が多かったり、社会保障がしっかりしていれば、
出て行けたのだろう。