マチンガのノート

読書、映画の感想など  

発達「障害」と、ノーマライゼーション

2016-01-17 00:57:37 | 日記
社会においてサービス産業が占める割合が増えたため、
コミュニケーションや、その場の空気を読むのが苦手な人が
「発達に障害をきたしている」という、「障害者」として
析出されてきた、という見方をする人もいる。
社会の複雑化、日常で使う機器の高度化、制度の複雑化に
ついていけない人が「障害者」とされていくと、
どんどん「障害者」とされる人が増えるのではないのだろうか?
すべての人がそのような社会の変化について行けるわけではない。
これまで、身体的、知的にハンディキャップを持っている人に対して
ノーマライゼーションとして「ともに暮らす」「助け合う」というのが
言われてきたが、目立った障害のない人に対しても、
「助け合う」「ともに暮らす」というのを拡げていかないと
ほとんどの人が「障害者」とされるのではないのだろうか?

「オアシス」 イ・チャンドン監督 出演:ソル・ギョング、ムン・ソリ

2016-01-05 00:59:49 | 日記
何かと自己主張能力が低い主人公と、生まれつきコミュニケーション能力に
重い障害を持つヒロインの話だが、コミュニケーションや自己を主張する能力に
障害があると、いかに社会の中で差別されて、周囲から利用されるかについて
解りやすく描かれている。
周囲の親族たちについても、自分たちがなんとか生きていくためにハンディキャップをもつ
ひとを利用することについても描かれている。
経済発展してきた韓国でも、社会保障や福祉制度があまりないと、いかに障害者に
しわ寄せが行くかがよく分かる。
ヒロイン役のムン・ソリの演技が素晴らしい。
医療、福祉系の学生の教材に最適だろう。

私は絶対許さない 15歳で集団レイプされた少女が風俗嬢になり、さらに看護師になった理由 雪村葉子

2016-01-05 00:25:54 | 日記
15歳で不良少年達に集団レイプされた少女のその後のことについての自伝である。
本人も、そのようなことがなければ、中学、高校で蔑まれることもなく
平凡でそれなりに楽しい学校生活を送り、年の近い相手と恋愛をして、
結婚して家庭を築き、子供を持ち平穏な暮らしを出来ただろう。
そのようなことを全て奪われたのだから、「絶対に許さない」というのも
当然だろう。
和田秀樹氏の指摘しているように、「昔は不良だったが、今は立派になっています」
などという人物を、テレビなどのメディアが取り上げると、
被害者にフラッシュバックなどの2次被害を引き起こし、更に苦しめることに繋がるだろう。
その意味で、そのような人物を好意的に取り上げるメディアも加害者である。
被害者の人権について書かれるものも増えたが、テレビなどのメディアは
そのようなことを考えていないようだ。
被害者支援団体や人権派弁護士などが、そのようなメディアを批判する、
スポンサーに抗議をするなどの対応をすべきだろう。
この著者の場合、容姿と基礎能力に恵まれていたので、それなりに立ち直れ、
ある程度、生活に楽しみが在るようだが、殆どの場合、そのようなところまで
回復できないだろう。
病院や心理センターなどで、このような本人が言い出しにくいことを
待っているだけでなく、児童相談所、養護施設、保健所、警察などが
積極的に関わっていくことが必要だろう。

ニッポンのジレンマ 元日編 の感想

2016-01-02 09:57:19 | 日記
感想を幾つか。

1.科学史家と、政治学者のやり取りで思ったこと。

 科学史家:アジア人で移民予備軍と見なされる高校生としてフランスで
      イスラム教徒と過ごしていた体験で、移民、難民の子供の将来は
      3K労働がメイン。そこに、「イスラム教」という言葉を
      あまり入れてほしくない、という感じの発言。

 政治学者:政治的にはイスラムと西洋の問題、という感じの発言。

科学史家の言いたかったことは、将来3K労働にしか就けそうもない
移民、難民の子供に「イスラム教」という言葉を浴びせ続けると
現状への不満から、そちらに釣られるから配慮すべきではないのか、
と言いたかったのだろう。生活体験の違いから、噛み合わなかったのだろう。

2.IT企業のひとが、一般的な勉強よりプログラミングを教えたほうが
将来の就職、居場所作りに役立つとの発言をしていた。

しかし、プログラミングで教わるのは、ロジックの世界。
ロラン・バルトなどが指摘するように、欧米言語では、ロジックの流れで
物事を明確化していくが、日本語はかなり違う。
俳句を見れば明らか。日本語はロジックでなくて、物事を全体的に捉えている。
ロジックの方に行くと、日本では孤立しやすいのではないのだろうか?

3.人間関係も、データ解析で解っていくのではないのか、との発言が在ったが、
実際に接している相手の雰囲気、印象、輪郭の明瞭さ、不明瞭さは
データでは捉えきれないだろう。身体感覚を無視しては、他者との関係は
わからないと思う。