マチンガのノート

読書、映画の感想など  

発達障害の時代とラカン派精神分析:上尾真道 牧瀬英幹 丸山明 池田真典 松本卓也 河野一紀 渋谷亮 小倉拓也 

2019-08-14 20:06:38 | 日記

京大の臨床心理の発達障害に関するものは、近代と個人と言うものへの考察や、

臨床で未成立な境界を作っていくことや、融合と分離などに関して日常的言語で

書かれているので解り易い反面、理論としての位置づけなどが解りにくいです。

本書においては、ラカン派からの見方で、どのように主体が未成立の状態であるのか、

また、そこに対して、いかなる姿勢で関わるのが治療的になるのかについて考察しています。

脳の特性として思考停止し、心理的援助自体を考察しないならば、

内的世界や主体の生成にもつながりにくいでしょう。

マイケル・バリントは、重症例に関して、アクティングアウト自体を意味のあるコミュニケーションとして

捉えることが治療的としていましたが、それの拡大版と言う感じの一冊でした。 

下の目次ははてな匿名ダイアリーからの引用です。

『発達障害の時代とラカン派精神分析――<開かれ>としての自閉をめぐって』

はじめに
第Ⅰ部 歴史を振り返る
第1章 「発達障害」の問題圏――歴史的・精神分析的考察(上尾真道)
第Ⅱ部 発達障害を「聞く」――ラカン派精神分析臨床の視点から
第2章 発達障害における「生」と「死」の問い――発達障害児と母親との間で何が分有されているのか(牧瀬英幹)
第3章 学校×発達障害×精神分析――発達障害と「自我の目覚め」(丸山明)
第Ⅲ部 現代ラカン派の「自閉」論
第4章 ベルギーのラカン派による施設での臨床について(池田真典)
第5章 ラカン派精神分析における自閉症論(松本卓也)
第6章 言語(ランガージュ)に棲まうものと知――デビリテから発達障害へ(河野一紀)
第Ⅳ部 <開かれ>の空間――思想史の視点から
第7章 とぎれとぎれに結びつく――発達障害から関係性を考える(渋谷亮)
第8章 可能的なものの技法――「自閉」のリトルネロに向けて(小倉拓也)
おわりに

 


マイル22:監督ピーター・バーグ 出演 マーク・ウォルバーグ イコ・ウワイス

2019-08-11 21:48:57 | 日記

始まりからチームプレーでの何らかの敵のアジトへの強襲シーンで、襲撃して敵の持っている

ハードディスクをどんどん集めていきます。

組織的に計算された襲撃方法で、必要となれば18歳の少年を含む敵も拘束後にあっさりと射殺します。

ドローンを含めた味方のバックアップチームが様々な方法で情報を集めながら支援して、

地元の消防や警察が来る前に片づけるようにします。

その後、いかに主人公のジェームス・シルバ(マーク・ウォルバーグ)が知能が高く優秀で、

どのような経緯でその職業に就いたのかが説明されます。

全部白のジグゾーパズルをするところなどは、「ザ・コンサルタント」に着想を得たものでしょうか。

その後、赴任先の東南アジアの架空の国で、放射性物質の捜索をしていますが、

地元の警察のリー・ノアー(イコ・ウワイス)が情報と引き換えに米国への亡命を要求します。

さらに大使館内の医務室にも刺客が来て、イコ・ウワイスさんの格闘シーンが展開します。

そして冒頭のチームで輸送機の来る空港まで22マイルを護送することになります。

バックアップチームも他のどこかに陣取りスタンバイします。

車二台での護送なので、道路沿いにストーリーも進むのかと思っていたら、

結構早い目に、集合住宅へ舞台は移動してゆきます。

感想

 地元民の子供が爆弾を仕掛けたり、投げたりしてくるのはやはりイラクなどでも実際に

米軍などが体験したことを基にしているのだろうか、と思いました。

護送チームはどんどん敵を射殺しますが、チームメンバーも撃たれて死んでいくのは、

やはりこの20年の米国の経験に影響されていそうです。

最初の襲撃シーンはいいのですが、その後の主人公の背景説明が、いろいろ詰め込みすぎな感じでした。

道路の戦闘でであっさりと車を破壊されて、集合住宅へ舞台を移しますが、道路沿いでストーリーを

展開させたほうが、スピーディーで解り易い映画になっただろうと思います。

バックアップチームについてですが、どこにでもネットから簡単に侵入して、いろいろ操れるのが、

ご都合主義的に思えました。

退屈はしませんでしたが、やはり素材を生かし切れていない感じは大きかったです。