立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

立山・剱岳に初冠雪か

2007年10月19日 | Zenblog
 昼前、接骨院に行こうと家を出て立山の方を見ると、ぼんやり霞んでいるのですが剱岳の様子が違います。どうも頂上近くが白く見えるのです。写真に撮るのは無理だろうと思い、帰りにでもと思ったのですが、帰りは雨が降っていて何も見えませんでした。
 あれが幻でなければ、昨夜積雪があり下から見える「初冠雪」のはずですが・・・

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湖州外国語学校・・・JingShang君、湖州へ行く(13)

2007年10月19日 | JingShang君からの上海レポート
 これは鉄佛時のすぐ近くにあった湖州外国語学校です。こんなところにも外国語の専門学校があるので驚きました。

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鉄仏寺の掲示板・・・JingShang君、湖州へ行く(12)

2007年10月19日 | JingShang君からの上海レポート
 鉄佛寺で見かけた掲示板です。白板にフェルトペンで書かれたものですが、鉄佛寺の行事が書いてありました。こんな掲示を見たのは初めてです。内容は、仏教用語が多く難解ですが、だいたい次のようなことでしょう。

               お知らせ
 当寺は農暦7月12日(太陽暦8月24日)から7月15日(8月27日)の間、啓建報恩法会を開き、《地蔵本願功徳経》を念じます。7月15日の仏歓喜日には、《盂蘭盆経》を念じます。

 茲に功徳を積み、世界平和、国泰民安、正法久住、法輪常転を祈願し、七世父母、孤魂亡霊が苦海を脱離し、得度極楽往生されることを祈願し、生者の承恩獲移、業障消除、善根増長、諸仏菩薩慈悲の力により、共に解脱の門に登り、共に菩提覚道に入らんことを願います。  南無阿弥陀仏  鉄佛寺     2007年8月12日
 法会欲設功徳 大人50元      小人10元
 盂蘭盆経法会   10元

 適当に訳しましたが、実は意味不明で、そのまま書いたところもあります。漢字のメリットです。種明かし的に解説(言い訳?)を書きますと、
・ 啓建とは何のことか不明です。建を啓くという意味で、仏殿の再建でも考えているのか。
・ 正法久住は正しい教え(佛法)が何時までも続くことか。、
・ 七生父母は何代も前の祖先ではないか。
・ 孤魂亡霊はいわゆる祭祀されない死者の霊、即ち所謂「餓鬼」か。
・ 承恩獲移はお手上げです。「移」は漢字の読み間違えかもしれません。
・ 業障消除は仕事の障害が無くなることか。
・ 善根増長は、人間の善性が伸びることか。
・ 欲設はお手上げです。「説」は他の字かもしれません。
 如何でしょうか。間違い或いはヒントがあればご教示賜りたく。でもなんとなく、言っていることは判るような気がします。(JingShang記)

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鉄仏寺のお参り・・・JingShang君、湖州へ行く(11)

2007年10月19日 | JingShang君からの上海レポート
 鉄佛寺の中殿です(これが本殿かもしれません)。この前で子供が二人中殿に背を向けて小生の方向を拝んでいますが、これは、線香を焚いて仏様だけでなく、四方にお辞儀をするためです。子供をつれた人が、子供にお参りのやり方を教えていました。こんな風景は初めてみたので、写真をとりました。

 中国人は、普通、人に対してはお辞儀はしませんが、仏様やお墓の前ではお辞儀をします。まず何度もお辞儀をして、それから跪き、頭を地面に打ち付けんばかりに下げ(叩頭)、お尻を上げて(イスラムの作法と似ています)お参りします。

 お参りには、線香、蝋燭等をあげ、お金やお供物を供えますが、通常大部分の人は線香或いは蝋燭とお金のようです。線香は日本では考えられない程、太く長く、どぎつい色(赤が多い)をしています。建物内で焚くのは禁止されれているので、外で焚きます。(JingShang記)

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鑑真ゆかりの湖州鉄仏寺・・・JingShang君、湖州へ行く(10)

2007年10月19日 | JingShang君からの上海レポート
 鉄佛寺は湖州をぶらぶら歩いて偶然見つけました。観光スポットになっており、入場料5元(80円相当)とりましたが、お寺にいたのは観光客より参詣客の方がずっと多かったと思います。鉄佛寺は、現在も宗教生活が営まれる活きたお寺でした。
 写真は鉄佛寺の本殿です(後殿というのかもしれません)。この中に鉄佛がおわします。鉄佛は、錆びて、鉄ゆえの造形の難しさからか、美しいとは感じませんでした。

 中国語のインターネットで調べると、
・ 設立は唐開元年間(713年-741年)で、元々の名前は開元寺。日本の奈良時代です。
・ 鑑真和上が日本渡航3度目も失敗して、出発地の寧波(にんぽー、ning po)から湖州に来て、開元寺で鋳鉄観音建立を祈願したが、それも失敗。
・ 宋の天聖3年(1025年)に鑑真の遺志をついで鉄観音を建立。
・ その後幾多の兵難に遭ったが鉄観音は残る。
・ 文化大革命の時代に同寺は、湖州鎮蔬菜大隊耐火廠となり、同寺の仏像は溶解されたが、鉄佛のみ残った。
 という物凄い歴史のあるお寺でした。

 見学をした時は、こんなこととは知らず、漫然と見ただけでした。でも逆に、そこで現代中国人の宗教観についていささか観察をすることができました。(JingShang記)

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