「紅旗渠」(こうききょ hong qi ju)です。これは多分ご存知ないと思います。私も、大学生の時に聞いたことがあるような気がしますが、今回安陽に来るまで忘れていました。1960年頃に革命精神で突貫工事、人海戦術で、築いた灌漑用水路です。
革命精神を学ぶという意味で、歴代の指導者は皆来ているそうです。江沢民、胡錦涛も然りです。クリントン大統領も訪中の際、見にきたそうです。そういえばそうだったかなと思い出す程度の記憶ですが、中国人には安陽というと紅旗渠と連鎖反応する程の教育だったようで、安陽に行って紅旗渠に行っていないと後で後悔するかもしれないと思い、行ってきました。大変な道のりで、当日後悔が始まりましたが、なんとか安陽にもどれました。
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王宮後でついてくれたガイドさんです。殷墟博物館は周囲との調和から半地下形式で作られており、その入口で撮りました。隣の模様は「子」の象形文字です。朝一番8時オープンと同時に着いたので、客は殆どなく、入口でガイドはどうかと尋ねられ、古代のことを中国語で早口で語られても聞き取れないと一旦断ったのですが、殆ど予備知識もないまま来てしまったので、疑問点を問い合わせたり、見どころを見逃さない為にもガイドがいた方がよかろうと思い直し、頼むことにしました。客は殆どいないので、ガイドさん達は、遠くの所を箒で掃除をしていましたが、ガイドの親玉のようなおばさんが一人を見繕って呼び寄せてくれたのが、この写真のガイドさんです。因みにガイド料は50元でした。
こんな奇麗なガイドさんがついてくれたので、びっくりしました。途中ですれ違った小学生らしき女の子達が、あのガイドさん奇麗ねと言っていたので、中国人からみてもきれいなんでしょうね。
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中国の歴史の初めの方、まだ青銅器時代のころ国家(政府)らしきものが生まれました。その証拠がはっきりと見られるのが「殷墟(いんきょ yin xu)」で、もちろん世界遺産です。河南省安陽にあります。安陽河の南岸に王宮址、北岸に墳墓が残されています。世界史で中国の王朝を「殷(商)・周・秦・漢・・・」と覚えた、あの殷です。
古代では、安陽河のことを「えん水」(えんすい huan shui)と呼んでいたようです。「えん」は「さんずい遍」に「亘」と書きます。 しかし、「えん」は中国語発音から「かん」ではないかという疑いを持っております。「えん」は日本語読みでは「えん」ですが、中国語読みでは「huan]と発音です。この川の名前にしか使わないとのこと、安陽河=えん河(えん水)は流れ流れて「海河」となり天津市内を通り、海に注ぎます。黄河には合流しないそうです。安陽の地図では安陽河と記されてれています。
王宮は殷墟博物苑、墳墓は王陵遺址と地図には記されています。写真は南岸の殷墟博物苑の入口です。
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王宮は殷墟博物苑、墳墓は王陵遺址と地図には記されています。写真は南岸の殷墟博物苑の入口です。
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