大町小学校からの帰り海岸沿いの橋のたもとに、ふと面白い形の常夜灯のようなものを見つけました。説明書きに「万燈台。慶応4年(1866)魚津町奉行が角川尻に建設した。この燈台は油代として油屋に360貫文を貸し渡しその利息で燈明をつけ消えることがなかった」とあります。
魚津港最初の燈台で、台中に地蔵菩薩を安置して海上安全を祈願しました。当時の魚津港は日本海航路(大阪行きの西回り航路など)の寄港地で越中米・新川木材・魚類・筵等を積み出して栄えていました。
こういう歴史の証人に出会うと、少し心が躍ります。
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魚津港最初の燈台で、台中に地蔵菩薩を安置して海上安全を祈願しました。当時の魚津港は日本海航路(大阪行きの西回り航路など)の寄港地で越中米・新川木材・魚類・筵等を積み出して栄えていました。
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