最初の地図南側にある明文化広場に掲示のある明祖陵の古図です。
明祖陵は明創始者朱元璋(太祖)の四代先の朱百六(玄皇帝)、曾祖父朱四九(恒皇帝)、祖父朱初一(裕皇帝)を葬った陵墓です。本名に数字が多いのは農民だったからでしょう。諡(おくりな)である括弧内の称号と対照的です。
明祖陵は1386年に工事が始まり、1413年に竣工しましたが、1494年に黄河の流れが山東半島に南側に流れるようになり、それ以来淮河が黄河変流の影響を受けて流れが乱れ、1680年(清康煕十九年)に明祖陵は淮河の水位上昇により水没しました。
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明祖陵は明創始者朱元璋(太祖)の四代先の朱百六(玄皇帝)、曾祖父朱四九(恒皇帝)、祖父朱初一(裕皇帝)を葬った陵墓です。本名に数字が多いのは農民だったからでしょう。諡(おくりな)である括弧内の称号と対照的です。
明祖陵は1386年に工事が始まり、1413年に竣工しましたが、1494年に黄河の流れが山東半島に南側に流れるようになり、それ以来淮河が黄河変流の影響を受けて流れが乱れ、1680年(清康煕十九年)に明祖陵は淮河の水位上昇により水没しました。
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今朝の上海は曇りです。予報は雲が多めの晴れ、最高気温は15度、最低気温は10度です。
今日は江蘇省クイ県の明祖陵です。まず明祖陵の見取り図です。入場券をスキャンしました。図の中央に南紅門の表示がありますが、ここより上(北)が正式な敷地です。南紅門から東側に道が途切れますが、ここから先(東側)は淮河です。東側に縦書きで「水下城牆」(すいげじょうしょう)と書かれているのは、淮河に水没したままになっている東側の牆壁(しょうへき)です。
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今日は江蘇省クイ県の明祖陵です。まず明祖陵の見取り図です。入場券をスキャンしました。図の中央に南紅門の表示がありますが、ここより上(北)が正式な敷地です。南紅門から東側に道が途切れますが、ここから先(東側)は淮河です。東側に縦書きで「水下城牆」(すいげじょうしょう)と書かれているのは、淮河に水没したままになっている東側の牆壁(しょうへき)です。
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