立山日和。

立山連峰の山々を眺め富山県内を徘徊する日々を綴ったフォト日記。2014.11.3.までは友人の中国旅を毎日掲載した。

越中瀬戸の歴史は古く・・・立山町瀬戸

2010年12月22日 | Zenblog
 家に帰ってインターネットで調べて、驚きました。このあたりの陶器の歴史は古く、平安時代すでに須恵器の職人の村があり、戦国大名が愛知県の瀬戸から陶工を呼んで一大産地に成長、「越中瀬戸焼」として陶器・磁器ともに焼き120の窯場を数えたこともあったと言います。「越中瀬戸焼」は北陸の近世窯としては最古で、北海道でも知られていたようです。
 しかし、近世に入って衰退し、近代大正年間には廃絶、昭和初期に復興し一時は数十の窯場になったが、現在は越中瀬戸を継ぐ窯元は3軒だけということです。写真はその中の一軒の窯元が焼いている「雷鳥徳利」というものです。(インターネットからとりました)
 もう一度出かけていって、しっかり見てきたいと思っています。

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陶器のための窯を作っている・・・立山町瀬戸

2010年12月22日 | Zenblog
 ところが陶農館の隣で、どうも陶器を焼くための窯を作りつつあるようなのを見ました。確かめてはいませんが、そういう気配でした。しかし人気が感じられず、なんだか気疲れしてしまって、いろいろ謎を残したまま首をひねりながら帰ってきました。

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陶農館には立派な窯が・・・立山町瀬戸

2010年12月22日 | Zenblog
 陶農館の本館には、外から覗いてみると温室があったり、研修・体験のための電気窯やガス窯と思われるものが設置してあり、近くには焼く前の作品のようなものが並んでいました。
 そして、写真の別棟には本格的な木で焼く窯も見られました。使っているのかどうかは分かりません。

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陶農館に行ってみたが・・・立山町瀬戸

2010年12月22日 | Zenblog
 県道沿いに「陶農館」というのがあります。残念ながら定休日と書いてありますが、そういえば以前にもここに来たことがあって定休日だったことを思い出し、営業している気配もなく、ずっと休んでいるのではないかと思いました。またしても外された感じです。

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廃屋に新しい瓦?・・・立山町瀬戸

2010年12月22日 | Zenblog
 村の中を走ってみると、廃屋のような家の横に積んである瓦が新しいもののように見えます。そして別のところでは「・・・瓦工業」とかなんとか、瓦を扱っているらしい車庫の文字も見えました。どうも陶器・焼き物には関係あるらしいと思いました。しかし瀬戸物とは違うしなあ、と思いながら匂いを嗅ぐようにうろうろしてみました。

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越中瀬戸焼の里・・・立山町瀬戸

2010年12月22日 | Zenblog
 スーパー農道の南の突き当たりの山の上に立山カントリークラブがあります。その山裾に「越中瀬戸焼の里」という看板が上がっている集落がありました。しかし、もう一つそれらしい雰囲気はありませんが、陶神社とか陶公園などの標識も見かけました。

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明中都の位置、鼓楼と鍾楼・・・JingShangの安徽鳳陽県への旅

2010年12月22日 | JingShang君からの上海レポート
 最近インターネットで見つけた地図です。明中都の位置が示されています。赤い四角の線が引かれていますが、一番小さい四角が昨日2枚目の地図で示した跡地です。南側に午門、北側に玄武門と書かれている線です。鼓楼が現在の市街地の中心やや南側にあるのがわかります。その鼓楼から西側に対称する位置に鍾楼が書かれているのが判りますか。説明者の折った小指の下の位置にあります。そうです、さすが中都だけあってここには鼓楼と鍾楼が並立しています。寺院でも小さいながら鼓楼と鍾楼が並立していることもあるので、当たり前かも知れませんが。

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台基から見た鳳陽県の町並み・・・JingShangの安徽鳳陽県への旅

2010年12月22日 | JingShang君からの上海レポート
 台基の上から見た鳳陽県の町並みです。西側を見ています。

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楼閣の庇部分にある太鼓・・・JingShangの安徽鳳陽県への旅

2010年12月22日 | JingShang君からの上海レポート
 楼閣の庇の部分の置かれている太鼓です。このような太鼓を叩いて時を告げたのでしょう。

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台基の上の楼閣・・・JingShangの安徽鳳陽県への旅

2010年12月22日 | JingShang君からの上海レポート
 台基の上の楼閣です。これでも1998年の建築だそうです。昔からここに残っているような古さですが、安普請とメンテナンスの貧しさと塵埃でこのような惨めな姿になっています。

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明の中都について・・・JingShangの安徽鳳陽県への旅

2010年12月22日 | JingShang君からの上海レポート
 写真は鼓楼への登り口です。鼓楼の北側にあります。

 明の中都について、もう少し説明します。明の創始者は朱元璋で、最初南京に都を定め応天としました。そして北上して版図を広げるとともに、現在の河南省開封に北の都を置き、ここを北京としたのですが、南京と北京(今の開封)の間に中都をおくことにしたようです。結果として、明朝は更に北に拡大し、元の大都とされていた今の北京に遷都するのですが、それまでは三都体制だったようです。朱元璋の父親の陵はこの中都、鳳陽県にあります。

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鳳陽県の鼓楼(つづき)・・・JingShangの安徽鳳陽県への旅

2010年12月22日 | JingShang君からの上海レポート
 今朝の上海は晴れで、靄っています。予報は晴れ、最高気温は14度、最低気温は7度です。

 今日は安徽省鳳陽県の鼓楼です。写真は東側から見た鼓楼です。鼓楼は城門ではなく、市街地の中心にあります。鍾で時を告げる鐘楼が代替することもあります。この鼓楼は普通の田舎町にある高楼に比べて遥かに壮大なもので、明の中都と呼ばれる地にふさわしい大きさです。この鼓楼は明洪武八年(1375年)に建設された中国最大の鼓楼だそうです。
 しかし、この鼓楼は台基だけ当時のもので、上の建築物は1998年に再建されたものです。

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