家に帰ってインターネットで調べて、驚きました。このあたりの陶器の歴史は古く、平安時代すでに須恵器の職人の村があり、戦国大名が愛知県の瀬戸から陶工を呼んで一大産地に成長、「越中瀬戸焼」として陶器・磁器ともに焼き120の窯場を数えたこともあったと言います。「越中瀬戸焼」は北陸の近世窯としては最古で、北海道でも知られていたようです。
しかし、近世に入って衰退し、近代大正年間には廃絶、昭和初期に復興し一時は数十の窯場になったが、現在は越中瀬戸を継ぐ窯元は3軒だけということです。写真はその中の一軒の窯元が焼いている「雷鳥徳利」というものです。(インターネットからとりました)
もう一度出かけていって、しっかり見てきたいと思っています。
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しかし、近世に入って衰退し、近代大正年間には廃絶、昭和初期に復興し一時は数十の窯場になったが、現在は越中瀬戸を継ぐ窯元は3軒だけということです。写真はその中の一軒の窯元が焼いている「雷鳥徳利」というものです。(インターネットからとりました)
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