宋朝政府が金の圧力から南方に逃げて行く変遷を示しています。
面白いのは、その当時の河川図です。黄河が随分北の方を走っています。黄河の南に大きな川として済水があります。現在も山東省の省都に済南という地名がありあますが、この名は済水の南岸という意味です。現在は済水はなくなっています。多分現在の黄河に流れを奪われたのだろうと思います。そう言えば、河南省洛陽の北方に済源という地名があります。済水の水源という意味だと思います。済源は現在の黄河の北側にあります。
淮水(わいすい)という河が山東半島南側で海に入っているもの面白いですね。現在淮河は洪澤湖に入って、最後は高郵湖から揚子江に入り、直接海には注ぎませんが、当時は直接海に入っていたのがよく判ります。
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面白いのは、その当時の河川図です。黄河が随分北の方を走っています。黄河の南に大きな川として済水があります。現在も山東省の省都に済南という地名がありあますが、この名は済水の南岸という意味です。現在は済水はなくなっています。多分現在の黄河に流れを奪われたのだろうと思います。そう言えば、河南省洛陽の北方に済源という地名があります。済水の水源という意味だと思います。済源は現在の黄河の北側にあります。
淮水(わいすい)という河が山東半島南側で海に入っているもの面白いですね。現在淮河は洪澤湖に入って、最後は高郵湖から揚子江に入り、直接海には注ぎませんが、当時は直接海に入っていたのがよく判ります。
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