その近くに魚津市教育委員会が建てた天神山城跡の説明板がありました。
魚津市街北東の天神山(標高163m)の山頂に本丸と二の丸をもち、土塁や竪堀が残っています。魚津市街にあった魚津城と密接な関連があり、ここから魚津城を望むことができました。
戦国末期、越中の支配をめぐって織田信長方(富山城の佐々成政や前田利家、柴田勝家)と越後の上杉が争ったのが天正10(1582)年の魚津城の戦いでした。上杉の守る魚津城を織田方に包囲されたとき、救援に駆けつけた上杉景勝が陣を布いたのがここ天神山城でした。
また、山頂から弥生土器が発見され、2世紀後半の「倭国大乱」に関連する弥生時代の山城跡とも考えられています。
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魚津市街北東の天神山(標高163m)の山頂に本丸と二の丸をもち、土塁や竪堀が残っています。魚津市街にあった魚津城と密接な関連があり、ここから魚津城を望むことができました。
戦国末期、越中の支配をめぐって織田信長方(富山城の佐々成政や前田利家、柴田勝家)と越後の上杉が争ったのが天正10(1582)年の魚津城の戦いでした。上杉の守る魚津城を織田方に包囲されたとき、救援に駆けつけた上杉景勝が陣を布いたのがここ天神山城でした。
また、山頂から弥生土器が発見され、2世紀後半の「倭国大乱」に関連する弥生時代の山城跡とも考えられています。
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