クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

新・三角点にタッチ (9) H-21-12-25

2009-12-25 12:57:05 | 三角点・宮標石その他標石
(平成21年10月13日より21年12月24日までのコレクション) 三等 點名・高尾 883.85m  N-36-27-20-3 E-138-44-12-2    高崎市倉渕  四等 點名・嶺 218.06m N-36-19-09-9 E-138-50-58-5    安中市嶺字大持場  四等 點名・原 221.42m N-36-18-14-51 E-138-51-0 . . . 本文を読む
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安中市三角点探訪(4) H-21-12-23

2009-12-23 20:27:52 | 三角点・宮標石その他標石
何となく、今年も息災で終わりそう。 後期高齢者夫婦の二人暮しでも年末は何かと雑用が多くなるので 出歩きは今日が最後。で、山かと言えば左にあらず、今年の 活動を象徴する極めて安直な三角点探訪。 (11) 四等 點名・嶺 218.06m N-36-19-09-9 E-138-50-58-5    安中市嶺字大持場  R-18で西進、碓氷病院前の信号を右折してR-125をそのまま 直進。左 . . . 本文を読む
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新町宿界隈散歩道(1) H-21-12-20

2009-12-21 16:31:39 | 伝説・史跡探訪
かっての宿場町で高崎市と合併した新町の史跡探訪。 1600年の関ヶ原の戦いに勝利した家康は翌年には街道と宿駅 の整備に着手したが東海道と中山道は特に幹線道路としての 整備を急いだ。 そして1604年には宿場制度がほぼ整った。だか、この新町は この時点では未だ宿場ではなく、その後の中山道の発展と共に 次第に開ける様になり、1644年頃に加賀の前田氏が参勤交代の 折に従来の倉賀野・玉村・本庄ラインを . . . 本文を読む
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新町宿界隈散歩道(2) H-21-12-20

2009-12-21 16:29:30 | 伝説・史跡探訪
(11)一茶の文学碑 高瀬屋跡 車に戻って駅入り口信号の群銀に駐車。少し西へ戻った 県道に面して記念碑。 1810年、新町宿に泊った一茶は石灯籠建設の寄進を求められる。 懐中乏しい一茶は一旦は断ったが、遂に12文を寄付させられた。 「手枕や 小言いうても 来る蛍」 蛍とは多分夜半に依頼に来る者の提灯の事かも。 (12)行在所  群銀から東南へ一ブロック、公園の中。 明治11年の明治 . . . 本文を読む
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藤岡の三角点探訪(1) H-21-12-14

2009-12-14 21:26:16 | 三角点・宮標石その他標石
先日の神流合戦跡の探訪に繋がって今日は藤岡の三角点を 一回り。藤岡市の管轄三角点は鬼石町との合併で49ヶ所だつた。 だが、一ヶ月前に爺イが国土院リストの間違いを発見して指摘した ので正確には48ヶ所と修整されている。以下の文書。 「ご指摘の二等三角点「大桁山」について、調査した結果、 ご指摘のとおり富岡市が正しい結果でした。 ご指摘につきましては、早急に修正をさせていただきまたので、 ご案内を申 . . . 本文を読む
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藤岡の三角点探訪(2) H-21-12-14

2009-12-14 21:21:31 | 三角点・宮標石その他標石
(6)二等 點名・藤岡 N-36-13-39-8 E-139-03-37-7     藤岡市藤岡字北山 そのままの道を東進して庚申山を目指して丘に登っていく。 庚申山の真南辺から山手に乗り入れて峠風の頂点に駐車。 右手にアンテナ。 左手に数枚の道標。 遊歩道はなだらかな登りで散策の人たちがチラホラ。 峠から260m程で広場風の庚申山頂上。 ここにも大きな庚申 . . . 本文を読む
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史跡探訪・神流川合戦(1)(改) H-21-12-12

2009-12-12 18:44:38 | 伝説・史跡探訪
10/25の「箕輪城まつり」の記事を見直していたら武者行列の中に 「滝川一益隊」と寄居の「鉢形城三鱗会」の姿があったのを思い 出した。共に一時期は長野氏の後、箕輪城に君臨した勢力である。 この両者は永禄九年の長野氏滅亡から16年後の天正10年、武田が 滅んだ3ヵ月後の本能寺の変から15日後に神流川河原で決戦をして、 敗れた一益は伊勢に逃げ帰っているので祭りでは呉越同舟である。 鉢形城は北条氏邦の居 . . . 本文を読む
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史跡探訪・神流川合戦(2) (改) H-21-12-12

2009-12-12 18:40:06 | 伝説・史跡探訪
(1)首塚八幡宮 高崎市新町 R-17を東進し新町駅前信号を過ぎて二つ目の「笛木町」をR-40へ 右(南)折、JR線を潜って進んで左に堂前郵便局を見ながら尚も南進、 高速手前のこの看板で左(東)折して約200m。 新興住宅地の間に首塚八幡の鳥居。 八幡の石碑と 文化財の首塚。北条方が戦死した兵の首を埋葬して菩提を弔った 場所とされている。 (2)胴塚稲荷 藤岡市岡之 . . . 本文を読む
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安中三角点探訪(3) (改) H-21-12-6

2009-12-06 17:58:50 | 三角点・宮標石その他標石
今日も飽きずに三角点、但し午後は多忙につき午前中のみ。 多忙と言ったつて何処かに出かけるわけではない。二時からは ラグビーの関東大学対抗戦で母校の優勝を見届けなくてはならないし 三時からはゴルフ日本シリーズでの遼クンの賞金王決定シーンを 見たいだけのこと。 (6)三等 點名・新山 278.09m N-36-18-05-1 E-138-56-58-8  安中市大谷字新山 先日と同 . . . 本文を読む
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安中三角点探訪(2) H-21-12-4

2009-12-05 05:32:20 | 三角点・宮標石その他標石
(2) 四等 點名・岩野谷村205.76m N-36-19-26-1 E- 138-55-42-9 安中市野殿 安中の三角点探訪第二日目は12/4午後の出発。 安中管内には「村」の付く點名が四ヶ所あるがこれがその一つ。 R-18で西進し岩井信号を左折してR-10で富岡方面へ。 「大谷入口」を左折して吉井に向かうR-171。数キロ先の 山手への二本の道の内、東側の小道に登り上げ . . . 本文を読む
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安中三角点探訪(1) H-21-12- 1

2009-12-02 09:15:34 | 三角点・宮標石その他標石
三角点探訪の季節がやってきた。今冬は先ず安中市管内の総浚い。 安中市は松井田町を吸収したので管内の三角点は76ヶ所。その内、 15ヶ所は過去の登山でタッチして画像に撮ってあるので残りは 61ヶ所。但し、喜寿を超えた上に肺気腫患者の爺イでは絶対に 到達できない場所がある。 相馬ヶ岳・谷急山・天狗山(御岳)・五臨(五輪岩)・中尾山・水谷・ 霧積山・霜焼平・南砂板などであるが、これらは後日の整理上 画像 . . . 本文を読む
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