まい、ガーデン

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儚い佇まいのシラがそこに 『シラの恋文』観劇

2024-01-24 08:27:38 | くらし

22日、日本青年館ホール『シラの恋文』マチネ観劇。

去年チケット取ってようやく観劇できた。
それが変、今までなら待ち遠しくて体調崩してはいけないとそれなりに
気を遣ってその日を心待ちにしてたのに。今回の舞台はそれがない、
淡々とその日を迎えたってな感じなの。
どうしようかな、とどこか躊躇するものがあったりして。
それがフライヤーの草彅シラの表情にやられて「ま、観てこようか」のなんとも
ファンとしてはあるまじき心がけで、熱烈さが足りない、ってそんな調子だった。

  パンフレット

それが、ああごめんなさい、草彅さん初めの役者さんたち。すっかり感激してしまった。
初演再演の2回観劇した『アルトゥロ・ウイの興隆』が、動の興奮冷めやらぬといった態なら、
今回の『シラの恋文』は静かにひたひたと感動が押し寄せてくる静の興奮といった感じ。
どんな話だったのと聞かれても困る。そうねえ分からないわ、訳わかんないのよ、としか
私のぼんくら頭じゃ答えられない。
ましてや、どんなテーマだったのかなんて小難しいことはなおさら説明のしようがない。

前に海が広がり後ろに山がそびえるサナトリウム。
そこへ一人の青年鐘谷志羅がテンガロンハットを被り現れる。このテンガロンハットには
大きな意味がある。
時はグレゴリオ歴2035年、サナトリウムには院長、医師で牧師の副院長、他の療養者たちが。
その中に野浦小夜がいた。ここで出会った志羅と小夜二人は「輪廻の恋」に陥るのか。
舞台は、突如間狂言が入りかと思うと草彅さんはギターを弾きながら歌う。
はたまた剣技があって、落語があって、コロナ、地球温暖化、戦争というテーマが盛り込まれていたり
何が何だかの世界。いったいどうなっているんだ、なんて。

 

(web拝借)

 

でもでもそんなことはどっちでもいいわ、サナトリウム、死と向き合っている毎日、そんな中にも
伝わる永遠の命、輪廻の恋といったものがひしひしと迫ってくるのよ。ゴーストライターになって
書いた志羅の恋文の美しいこと。
演出の寺十(じつなし)悟さんはパンフレットの中で書いている。
ー志羅の選択した道はごくシンプルなものでした。「どう死ぬべきか」は「どう生きるか」
に通じます。生きていると難しいことはたくさんあるけれど、自分の中にシンプルで確かな
ものがあれば、きっと生きていけるんじゃないか」ー
観終わった後、その時は言葉にできなかったが、感じられる何かがあって(それが寺十さんの
書いたことだったかも)ちょっと胸に迫ってきてこみあげるものがあったのよ。
その余韻は2日経った今でも蘇ってくる。

サナトリウムに来た志羅の佇まいは、今にも消えそうな儚さがあり、それでいながら強い
意志を秘めているようでもありで、草彅さんは舞台の上にいるだけでそれを表現していて。

段田安則さん鈴木浩介さんなどの根っからの舞台役者さんたちの達者なこと上手いこと、
もう目が釘付けになる、お見事。
間狂言で生き生きと演じる鈴木さん、段田さんが拍子木でリズムを討つと客席もそれに合わせて
思わず手拍子するといった具合ね。
それに比べれば、活舌の良くない剛君のセリフはいかにも物足りない、どこか不安げだ。
が、それがシラという役にぴったりと合って、儚げな佇まいが剛君の全身と重なって
剛君いうところの浮遊感があって、劇を深く盛り上げていくこれまたお見事、感激。
1時間45分がぐっと凝縮されて少しも退屈しなかった。もう一度見たいなと思わせる舞台だったわ。

3回くらい続いたカーテンコールのお客さんたちの拍手はあたたかい、(観劇後の拍手
にもいろいろある感じられる)また剛君の礼が丁寧なこと。彼の人柄がにじみ出ているわけよ。
私だって惜しみない拍手を送ったわ。舞台上に置かれたテンガロンハットにもスポットライトが
当てられたのにはやられたわ。
それにしてもなあ席運がない、志羅の表情をしっかりと見たいのにまたオペラグラス使用の席で。

【シラの恋文】公演ダイジェスト

コメント (2)
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