まい、ガーデン

しなしなと日々の暮らしを楽しんで・・・

ミモザの枯れ枝

2018-10-21 08:29:11 | 

秋晴れの爽やかな空。気持ちがいい。

このところ、怠け者の私もさすがに庭いじりをしている。
短時間、楽しんでいる。

大好きな植え替え。

 

あいている場所にあった*バーバスカムを右側に移動
その後に何を植えるか考え中

右の空いている場所に何を植えようか考え中

狭い庭に株間をあけなく植えているから後で始末に負えなくなる。
半日陰の時間が長くなってしまったから、どんな花がいいかなやんでいるところ。

 ここも半日陰だから葉物を植えた

と、下ばかり見ていたら上のミモザがえらいことになっていた。
そちこちに枯れ枝。
カイガラムシは、寒いから今のところついていないが、どうして?と思うくらいの枯れ枝。
細い枝だけじゃなく、太い枝まである。
見つけたからにはそのままにしておけない。身体を捻ってのこぎり使って切り取った。

薪に使ってもいいくらい。
切ってみたら枯れていない枝もあって、しまった、と思ったがもう遅い。


かわいそうなくらいスカスカになった。

今のところ葉も元気で新芽もついているから大丈夫なのだけれど・・・
やけに枯葉が落ちているからちょっと心配なのよ。

こうなったらと、*メラレウカもスカスカに剪定した。
やけのやんぱち。

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自慢の歯が欠けました。

2018-10-20 09:32:20 | くらし

日曜日の朝食、いつもと変わりなくぶどうパンを食べていたら。
あら?変。突如口の中に固いものが。
舌で手繰り寄せて取り出してみたら、なんとなんと歯の欠片。きれいなきれいなそれよ。
びっくり仰天。
りんごとかかじっていたのじゃないのよ、ただの柔らかいパンを噛んでいただけよ。
それなのに、ああ。いよいよきたかと。

「明眸皓歯」

美しく澄んだ目もとと、白く美しい歯並びの意から。
非業の死を遂げた楊貴妃 ようきひ をしのんで、唐の詩人杜甫 とほ が作った詩の語で、
もとは楊貴妃の美貌を形容した語。

だそうで。
「明眸」なんて、ましてや「美貌」なんて私の容貌辞書のどこをどう探しても出てこない言葉。
そんな劣等感に苛まされた容姿でたったひとつ自慢できるのが「歯」だったのよ。
今まで罹ったふたりの歯科医師から「きれいな歯だ、コンクールに出してもいいくらいだ(自慢)」と
褒められたくらいなの。
(ちなみに、今かかっている歯科医師はひとつも褒めてくれない)

その歯が何の前触れもなく突如ポロリだなんて。左上の奥歯。
私は欠けた歯をしみじみ見た。
この頃しみじみ見ることが多いけれど、ほんとに手のひらにのせて触るやらなでまわすやら。
わが身の分身かと思えば可愛いものよ。でもってそのくらい大きかったの。
そしてしみじみ眺めるは、それからも毎日続いたわ。
「捨てるべきか取っておくべきか」

ちょうど別の不具合で木曜日に、歯医者の予約を入れておいたから、ま、それまで待とうと。
別に痛くもなんともないからね。ま、いっかと。
で、その朝、歯医者に電話した。
「実は歯が欠けまして。欠けた歯は持っていった方がよろしいでしょうか?」と。
持って来てください、ですって。
夫はセメダインで貼ってもらって来いと言うけれど。

歯科医も持っていった歯を見て「これは大きいねえ」と驚くから、
「奥歯の半分くらいですかね」と聞いたら、そこまではいかないけれど大きいねと再び。
欠けた原因は噛みあわせの問題だとおっしゃるけれど、どうもいまひとつ納得できないわ。
その日は神経に触らないように金属をかぶせて、
次回に型を取って、
次々回に型を詰めて治療は終わりだそうで。3回もかと確認する。はああ。


(佐渡から送っていただいた おけさ柿)

欠けた歯?歯医者から帰っておさらばしました、さすがに。

追)10行で終わるつもりが書いているうちに長くなってしまって。あらま。

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茅ヶ崎美術館開館20周年記念 『小原古邨展』 ー花と鳥のエデンー 

2018-10-19 09:06:24 | くらし

まさか自分が花鳥画の世界に惹かれることがあろうなんて思いもしなかったわ。
分からないものだ。

これは行かねばと馳せ参じた茅ヶ崎美術館は、駅南口をから徒歩8分とまことにアクセスが良い。
高砂緑地の松林の中を歩くアプローチもいかにも茅ヶ崎。
いいなあこじんまりとして、と入口に来ると並んでいる方々。思わず「えっ?」とびっくり。
すぐ後に来た地元の方が「こんなことない、いつもゆったりしてのんびり観覧できるのに」と驚いていた。
エレベーターの中の女性も「テレビの影響って凄いですね」と。
「私もそのテレビ影響の口なんですよ」と言うと、その方たちも「私たちもです」って。
そうよね、「小原古邨」さんと言う画家がいたなんて初めて知ったもの。

それもそのはず、パンフレットによれば実業家原安三郎が収集し所蔵していたのですから。
作品は海外への輸出を念頭に置いて作られたというのですから、そして実際海外で有名だそうで。
今回の展覧会は国内初の原安三郎コレクションによる『小原古邨展』。貴重だ。

 

このくらいは混んでいるうちに入りません。充分ゆったり観覧できます。
この美術館は太っ腹。
撮影OK、前へ出るな、止まらないで歩けなんて指図がましいことは何も言いません。
こじんまりしてとても素敵な美術館です。

  
こちらはwebからお借りしました。
なぜか。せっかく撮影okなのに私が撮った写真が観るも悲惨なのです、泣きたいくらいです。
照明やらカメラやら人間やらが映り込まれていてもうもうと歯噛みしました。
それできれいな写真を、ね。
でもでもしつこい私は、記念写真として残しておきたいから涙を呑んでフォトチャンネルも作りました。

比較的よく撮れた作品からも、古邨がいかに超絶技巧の持ち主が分かります。

 

 

 部分です

 

全て木版画。
こんな精密な絵を、描くも描いたり彫るも彫ったり摺るも摺ったり3者の共同作業。
版画は凄いなとつくづく感心感嘆するしだいです。

私も多分こんな姿勢で観ていたと思います。
ちょっと離れてぐっと近づいて四方八方から観て、絵が醸し出す日本の美しい情緒に浸りたくなるのです。
その後「はあ」とか「ほほう」とか「よくもまあ」なんて独り言が出てくるのです。 

写真はまことに不出来ですが、お時間があるときにご覧いただけると嬉しいです。 

小原古邨作品 花鳥画版画

コメント (3)
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茅ヶ崎市美術館のある「高砂緑地」

2018-10-18 08:51:20 | 自然・風景

16日火曜日、心躍らせて茅ヶ崎市美術館へ。
前の晩、録画しておいた日曜美術館「小原古邨展」の作品を観て、
「おっ!これは私好みだ行かねばなるまい」と誰に頼まれたわけでもないが気持ちが急いたの。

で、行ってきました。もう大満足です、はい。
展覧会そのものの感想はまた後日にして、その前に美術館が建っている「高砂緑地」の紹介を。
といっても、ホームページから引用させていただいて。

JR茅ヶ崎駅より南へ約200メートル、静かな住宅街の中、松を中心とする緑豊かな高砂緑地は、
明治の有名な新派俳優である川上音二郎の別荘でした。
その後は原安三郎氏(元日本火薬・会長)の別荘となりましたが昭和59年に茅ヶ崎市が購入して
日本庭園を構えた高砂緑地として昭和59年に開園しました。

それではまず美術館までの道をどうぞ。

 松林の中を

 ゆるやかな坂を上って

 カーブがいくつか

 上りきると美術館

たっぷりじっくりと観た後に公園内の日本庭園散策。

  

 

花鳥画の繊細な世界の余韻に浸るにはぴったりの庭園でした。

 

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映画『モリのいる場所』と熊谷守一さん

2018-10-17 09:09:57 | くらし

 ようやく空の青を見た今朝

樹木樹林さんの訃報を受けて、ちょうどのタイミングで隣駅の小さなシネサロンで上映されていた
『モリのいる場所』を観たのが9月の19日。明日10月18日で上映終わりとのこと。
3月に近代美術館で、没後40年の熊谷守一さんの展覧会を観賞した時にフライヤーもいただいたが、
私は、たぶん観ないだろうな、と思っていた。
絵だけでいいや、と。圧倒されたからね。それと、熊谷さん役の山崎勉さん苦手だからね。

映画は熊谷家の、ことが起きているような起きていないような1日を温かくユーモラスに描いているのだが、
なにかちょっとピリッとくるものがなさ過ぎて物足りない。
熊谷さんご夫婦と、そこに出入りする方たち(池谷のぶえさん、加瀬亮さんはじめの実力俳優さんたちがいいのよ)
のごくごく日常の佇まいはとてもよかったのだけれど。

なにかなあ、とつらつら考えて。的外れかもしれないし私が観ていなかっただけだかもしれないけれど。
ない頭で、しかも生意気な上から目線で「そうだわ」と。

「昼間は自宅の庭で1日中アリや石ころをぼーっと観察していたり、
長年連れ添った奥さんと囲碁を楽しんだりした後、夜になると一転して厳しい画家らしい顔つきになり、
アトリエに篭りきりになって1日1時間~2時間絵を描く毎日だった。」

ここが描ききれていなかったから、熊谷さんがただの好々爺に見えてしまったのかもしれないと、
ひとり合点した次第で。

もう上映は終わっているけれど、今後テレビで放映されるかもしれないので。
映画紹介のホームページは  こちら

 

熊谷守一さんの展覧会で200点余りの作品をを観賞した後、それまで持っていたシンプルで平面的な
色と線の絵の画家、いわば仙人と呼ばれていたというイメージとは、ずいぶん違う印象を受けた。
若い時から壮年までの絵は力強くダイナミックで風景や裸婦が多く、ひゃあそういう面があったのかと
びっくりするやら感嘆するやら。

キャプションの中に、
「景色を見てゐるでせう。そうすると、それが裸体になって見えるのです。
つまり景色を見てゐて、裸体が描けるんです。同じように裸体を見てゐて、景色が描けるのです。」
とあったのを見つけ、そうだったのかと。

自宅の庭だけで30年近く過ごし、植物、昆虫、猫を主題に絵を描いていたのは、
76歳の時に身体を壊して遠くに風景を描きに行くことが難しくなったからかと納得。

 しわがひどいパンフレットで

 
「ヤキバノカエリ」いちばん切なくなった作品

展覧会の出口近くに書いてあった熊谷さんの言葉、メモしてきた。

生きていたいと思いますね
私ってしみったれですから いくつになっても命は惜しいですね
命が惜しくなかったら見事だけれど 残念だが惜しい

享年97歳。

なお、熊谷さんは岐阜県中津川市のお生まれ。そこに「熊谷守一つけち記念館」
豊島区千早町のご自宅に「熊谷守一美術館」がある。

 

 

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天袋収納はやめて!

2018-10-16 08:54:50 | くらし

もう半袖は仕舞って長袖を出そうと押入れをしみじみ見た。
ってちょっと変なこと言うようだけれど。
押入れをしみじみ見るなんて、ね。そんなことふつうしないわね。だけど、したの私は。
我が家の天袋は2間が奥行半分、1間半のクローゼットと和室の1間の押し入れが全面奥行。
奥行半分は大正解だったなあとほっとしているわけよ、
物は7分目しか入れないは素晴らしいことだと自画自賛しているわけよ。

 (ネズミの額ほどもない庭)

それというのも、8月に引き続き9月も実家の天袋を整理してきてくたびれ果てた、心底。


(空間にはバラがあったがこれも整理 楽しみに見ていたのにとマサチャンママに怒られた)

私、いずれ実家を処分しなければいけないとは思っていたけれど、
その時は一切合財潰して更地にすればいいと考えていた、だから天袋の整理はいいのよ、なんて。
が待てよと。もしかしたら家はそのままで、という奇特な人が現れるかもしれない、その時には。
と思い至ったら、こうしてはいられないと。
私の体がまだ動くうちにやらねばいけないと、固く決心したわけ。
夫は指図してくれればやるというけれど、その指図が面倒だから丁重にお断り。

ぎっしり詰め込んだ天袋からいやあ出るわ出るわ。
打ち出の小づちから出てくるのはお宝だけれど、実家の天袋から出てくるのはゴミばかり。
思い出す限り並べ立てます。

○茶色に変色した新聞紙の束、市広報の束、パンフレットの束・・・これらが天袋半分
○使い古しのカーペット、茣蓙、旅行鞄、
○丸いちゃぶ台、赤い長丸の電気がついた電気炬燵、お釜、おひつ、アルミの大なべ
○ビニール袋が一抱え、父が仕事にしていた漁具

その他、賞状、額縁、掛け軸などなど

もう、何でこんなの仕舞ってるんだ!というものばかり。
燃えるごみの日に出せるものは出したけれど、後は取りあえず降ろして部屋にほっぽりっぱなし。
そのまま帰って来た。
薬局ご主人に「体がきくうちに出せるものはみんな出しとけ」ってアドバイスもらったからね。

実家は狭くて納戸など作れなかったから収納はすべて押入れか天袋(自宅もそうだけれど)。
昔人間だから、何でも大事にとっておいて捨てられないのね。
父は背が高かったから、何もかも天袋に押し込んだのね。
引っ張り出すことは苦労だけれど、押し込むことは簡単にできるものね。

まだ2間分の天袋があるの。見るのもいや!
そして私は知っている、台所床下に母が作った梅干しがいくつもあることを。どうしようかしら。

 (ロシアンセージも引っこ抜いたはず)

ヨーコチャン実家は姉妹や子や孫や使うから10年はそのままでいいって、わりあいに気楽。
それでもご両親が使っていたいらないものはだいぶ捨てたと言ってたな。
木曽に実家(空き家になっている)のある友人は、帰るたびに車でクリーンセンターに持ち込むと言ってた。

次の佐渡行は3月の彼岸だ。
くたびれ果てると言いながら、整理好きの娘は手ぐすね引いて待っている。

 

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ちゅっぱ、公園で遊ぶ

2018-10-15 08:26:52 | くらし

それにしても、日曜日美術館司会の「小野正嗣」さんの記事閲覧が途絶えることがない。
7月24日に書いたのにね。他の記事でそんなことないから不思議でしょうがない。
こんな片隅ブログに来て読んでいただいているのだから、小野さん、やっぱり大人気。
日曜日は特に多い。閲覧数50を超えることがあるのだから。
あっ、でもでも心の狭い私は、昨日の電車事情の記事も結構苦労して書いたのだから、
こっちの記事が1ばんになってほしい、なんて。小野さんに嫉妬する。

ままま、それはさておいて。
土曜日、久しぶりにちゅっぱが娘と来た。
9月は、娘の仕事が猛烈に忙しくて倒れるところだったわ、なんて言ってたのよ。
間が空くと、ちゅっぱの恥ずかしがりようは1に戻って、なかなか声を聞くことができない。
その反動で、家に帰るとしゃべりっぱなしだそうだ。

それでも、すぐに食卓に着いてお昼ご飯を食べたから少しは成長したか、とばあばは己を納得させる。
二階から大きな声で「ばあば!」と呼んでくれたから良しとしよう、なんて。

身体を動かすことが大好きなちゅっぱ、近所の公園で。

 ブランコもひとりで

 お母さんとかけっこ

 上るのはなかなか難しい

 つばめ のポーズ

落ち葉投げて ジャンプ

昨夜、広島に住む婿のお母さんから「お米が届いた」との電話。
「電話しても少しも声が聞けないのよ、押しかけようかしら」と言ってた。
どちらのばあばも、ちゅっぱとお話ししたいのよ。その夢がかなうのはいつになるかしらね。
もうちょっと待たなきゃね。辛抱強く待て、とまたもや言い聞かせる。

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それぞれの電車諸事情

2018-10-14 08:53:41 | くらし

○湘南新宿ライン

 たてもの園

武蔵小金井駅に行くとき、8時2分発の横浜駅を利用した。
まあ混んでる混んでる、吊革に摑まるのがやっとなくらい。それでも体の自由はきいていたのよ。
それが。
新川崎、武蔵小杉、西大井と進むにつれて乗って来るわ乗って来るわ、降りる人なんかいるのかしらと思うくらい。
武蔵小杉の駅辺りでは駅員さんが乗客を押し込めてる気配がするの。ほら昭和の山手線テレビ映像みたいに。
勤めの人は朝からこんなストレスを抱えているのね、と。
西大井まで来ると、私は前の若い女性の背中にへばり付いてしまった。
そうしたくなくても勝手に押されてそうせざるを得ないくらい混んでるの。
「ごめんなさい」といちおう、あなたの後ろにぴったり張り付いているのはおばあさんですよのアピール。
「大丈夫ですから気にしないでください」のお返事。そのままの格好でご一緒。
でもね、困ったことに、その女性のお団子ヘアの先っぽが電車の揺れに伴って、
私の高い鼻先を擦るのよ、くすぐるのよ、気持ち悪くて。
でもそんな小言は言えない、我慢するしかない。顔を横に向けることもできないんだから。
もうひとり前のお若いお嬢さんなんか、知らない男性と真横に互い違いに顔が向き合っているんだから。
それでも身動き取れない。
大崎の駅で乗客がどっと降りて、息する空間ができたときはほんとにホッとしたわ。
通勤時間帯に遊びに行く人が乗って来るなと言われそうだけれど、私ももう絶対乗らない。

○中央線

江戸東京たてもの園見学して、予定時間より早いけれどさて帰ろうとバスで武蔵小金井の駅まで。
すぐに中央線の東京行の電車が入ってきて、まことにラッキー。
新宿駅まで来たらアナウンス。
「人身事故があったので、上下線とも運休します、作業が終わり次第運行します。
お急ぎの方は他の電車を利用してください」のような内容。もちろん他の電車、山手線を利用。

 佐渡

いやあよかった。新宿駅まで来ていてよかった。
私は新幹線に乗らねばならぬ。そして遅くとも16時の船を利用したい、18時半に佐渡に着く船よ。
たとえば三鷹辺りで止まったらどうやって東京駅まで行けばいいのか分からない。
運行再開まで待つしかないのだろうな。
となると、新幹線も乗り遅れ、最終の船新潟19時半発両津港22時着という結末になっていただろう。
せっかちにたてもの園を早く出ていたよかった、まことにラッキー。せっかち万歳!
それにしても、中央線は人身事故が多いというのはほんとうなのかもしれない、わ。

○特急ひだ号 高山線から東海道線

 高山本線車窓

懲りずに帰りもまたバスで新宿までなんてヨーコチャンが言い出したのを、
「あなたが名古屋城を見たいって言ったんでしょ」と説得して乗った特急ひだ号。
右に左に移り変わる飛騨川・木曽川とその周囲の田園風景を楽しんで。
うん、磐越西線の阿賀野川沿いの風景にも似ているな、なんてのんびりしていたら岐阜着。

なにやらアナウンスがあったなと思ったらいきなり電車がバック状態で走り出した。
あれあれあれあれ、いったいどうしたの。まさかスイッチバックじゃあるまいね。
電車はそのまま後ろ向きでびゅうーっと走っている。二人掛けの特急電車。
ヨーコチャンは、私こんなのだめなの、酔うと言いながら名古屋まで固く目を閉じていた。

いやあびっくりしたわ。
岐阜で高山本線から東海道本線に変わるのね、それで前向きに修正されることなく名古屋まで行ってしまうんだ。
こんな電車初めて。面白かったわ。

 名古屋駅前

電車事情もいろいろある。

 

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わたし酔いました *酔芙蓉

2018-10-13 08:40:57 | 植物

酔っぱらっているのはあなたじゃないの、と言われそう。
赤面しています。9月中旬に撮った写真を今頃になって載せているから。
でもね、酔芙蓉がどうしても私の酔っぱらった色気のある様を見ていただきたい、とせっつくのよ。
申し訳ない、その声を聞いてくださいませ。

対称的なお二方

こちらは 夕方じゃまだ酔えない と言っております

私もまだまだいけると 言っております

もうだめこれ以上は飲めません なんてたったそれしきで情けなや

さしつさされつ とことんいきましょ とやっております

明日が楽しみ 人生はまだまだこれからよ と夕日を浴びて意気軒昂 高揚しています

酔芙蓉の戯言、お粗末さまでした。見ていただきお聞きいただきありがとうございました。

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お葬式のかたち

2018-10-12 08:20:41 | くらし

下呂温泉旅行の前日、2番目の職場上司の告別式に参列した。
今年は親しい人の葬儀が多くて、参列するたびに切なくなりもう行くのは止そうと決心していた。
今回も散々迷ったが、やはり最後のお別れはして来ようと逗子の葬儀場まで出かけた。

2番目の職場は、自宅からは遠く、少人数で若い人が多いから、子育て中で保育園のお迎え時間がある
私にはつらい職場だった。
元上司は身体と同じように温厚で懐広く、途中転入の私もすぐに馴染むことができた。

葬儀はすべて無宗教だという故人の遺言のもとに執り行われた。

お通夜はなく告別式のみ。
参列者は親族とその2番目の職場の職員のみ(亡くなったことを知らせるのはその職場だけにとの遺言)
式場は当日の天気をそのままに明るく、祭壇は遺影とそれを取り囲むお花と少しの遺品。
棺の上にも個人愛用の品々が置かれて。

最初に故人が好きだったという中島みゆきの♪糸の曲が流れた。
曲が終ると、参列者ひとりひとりが思い思いの言葉を遺影に向かって話しかけた。
出会いの時のこと
いろいろ指導していただいたときのこと
趣味のこと・・・等々。
中でも職場結婚して仲人をしてもらった二人の言葉が印象的で。
2年前に奥様を亡くしてひとり暮らしを続けていた上司に、
家に来るなら卵が切れているからついでに買ってきてと頼まれたこと、一緒にスキーを楽しんだこと
など日常が窺われるエピソードを披露してくれて。何とも言えない気持ちになった。

14人の参列者が話し終ると、甥御さんが故人の亡くなるまでの様子をほんの少し伝えてくれて、
最後に喪主の方の挨拶があった。
「故人に子供がいたことは知らなかったと思いますが」と切りだし、
実は私は幼い頃両親が離婚した時の娘で、それ以来2回くらいしか会っていない、でも今日は自分の知らない
いろいろな父を知って嬉しかった・・・これからもがんばって生きていきます。と。
90歳で亡くなられた人生の大先輩にも、胸の内に秘めていたことが多々あったのだなと感慨深いものがあった。
もしかすると別れた娘さんに向けての告別式だったのか、と穿ったみかたもした。

火葬場へと向かう車のお見送りをして、お茶を飲むという皆と別れて家に帰った。
葬儀の後は気持ちがざわついてどうもいけない。

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