徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

清正公の想いがこもる本丸御殿

2011-03-01 20:29:29 | 熊本

本丸御殿・昭君の間

 加藤清正が築城した熊本城は、城づくりから城下町づくりに至るまで全てが実戦を想定していた。想定した戦いの相手は徳川家康。城下町にはやたらと鉤形状の道が多いのもそうだし、外堀として利用した白川にも橋は長六橋一本しか架けなかった。城が実戦向きであることは、彼が没して266年後の西南戦争で実証された。その清正が内心、主と仰いだのは、秀吉の子・秀頼唯一人。いずれその秀頼を擁して、再び天下分け目の戦いに挑むことを想定し、熊本城の本丸御殿には「昭君(将軍)の間」を設けた。
 400年が過ぎた今、因縁の地、韓国で「ザ・わらべ」が舞う「本丸御殿」を清正公はどんな想いで見ただろうか。