徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

熊本民謡「ポンポコニャ」にまつわるお話

2012-02-21 18:07:15 | 音楽芸能
 わが京町が登場することもあって、以前からその歌詞について調べていた「ポンポコニャ」だが、熊本市歴史文書資料室の佐川さんがそれを気にかけていてくれて、「熊本市史」の中に研究論文があることを教えていただいた。それは郷土史家の鈴木喬先生がまとめられた「熊本民謡『ポンポコニャー』と熊本名所地名考」という研究論文だった。鈴木さんは今日一般的に歌われている歌詞だけではなく、今日では歌われることのない源流とも言うべき歌詞まで掘り起し、その歌詞の中に歌われている地名などの固有名詞を手掛かりに、この唄がいったいいつ頃から唄われ始めたのかを考察している。そしてそれは幕末期にほぼ間違いないと結論付けているが、その微に入り細を穿った分析は驚くばかりであった。そんな論文の中でもとくに興味深い一節があった。その部分だけを下記にご紹介したい。
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 この唄は早くから熊本の芸妓連の間に歌い継がれ、祝事や宴席・酒席の演し物として好評を博していたが、第二次世界大戦中に戦意高揚につながらないことと曲のむずかしさから敬遠されて次第に歌われなくなってしまい、戦後になって民謡が歌番組として取り上げられるようになっても、なかなか表に出てこなかった。しかしたまたま昭和五十三年の日本民謡大賞の県予選を経て、中国九州予選で西村直子が全国大会の出場権を得、その年の全国大会で特別賞を授賞してからその存在がアピールされ、金沢明子と原田直之が中心となって全盛を極めたNHKの「民謡を尋ねて」にも彼女が此の唄を携えて出演し、その後暫くこの番組のアシスタントとして勤めていた。
 ところがこの唄は声の高低・抑揚の変化が多く、相当の習練を積まないと容易には歌いこなせない。歌手として著名な水前寺清子が、西村直子よりあとに「民謡を尋ねて」に出演してこの曲に挑戦したことがあるが、出だしの音の高さを間違えたために散々な結果に終わったことがある。歌の専門家でも歌い損なう位であるから、素人の歯が立たないのも当然であろう。そのせいか、いろんな会合の演し物に、芸者衆もなかなかこの曲を披露してくれないのである。
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※写真は最近の西村直子さん(もう何度も舞台で拝見しているが、そんな凄い人だったとは・・・)