徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

加藤清正 生誕450年記念シンポジウム

2012-07-29 20:05:37 | 熊本
 今日は午後から、くまもと県民交流館パレアで行われた「生誕450年記念シンポジウム ~加藤清正 伝説と真実~」を聴講しに行った。会場のパレアホールは立見も出るほどで、おそらく300人は優に超えていただろう。相変わらずの“せいしょこさん”人気だ。基調講演とパネルディスカッションが行われたが、僕自身は初めて聞くような話は少なかった。
 その中でちょっと面白かったのは、加藤家が改易になり、代って細川忠利公が小倉から入封した時の話だ。息子の光尚公へ宛てた書状が残っていて忠利公の清正評がわかる。

【その1】
「我こと、十二月九日に熊本へ城入り申し候、心安かるべく候、ことのほか広き囲いにて候、城も江戸の外にはこれほど広き見申さず候(寛永9年12月10日)」

 私は12月9日に熊本城に入った。安心するよう。思いのほか城郭が広く、江戸城以外でこれほど広い城は見たことがない。
 ※忠利公は江戸城住まいが長かったが、その江戸城と比べても熊本城のスケールの大きさに驚いている。

【その2】
「今年、来年つつしみ申し候はば、我々は金持ちになり申すべく候(寛永10年2月5日)」

 今年、来年と慎ましい生活をすれば、私たちは金持ちになりますよ。
 ※一国一城のお殿様がちょっと下世話な話で微笑ましい。


昨年の秋のくまもとお城まつりの風景