徒然なか話

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山頭火が世に出たワケ

2014-03-10 17:19:56 | イベント
 今日は毎年恒例の「種田山頭火供養祭」が山頭火ゆかりの植木町・味取観音瑞泉寺で行われた。法要や講演会、俳句入選作の表彰、托鉢体験などが行われた。僕の楽しみは「うえき山頭火の会」の中尾末義さんによる講演。今回の主なポイントをまとめてみた。

▼山頭火が世に出たワケ
 同人仲間でもあった大山澄太という人は物心両面で山頭火を支えたが、昭和40年代に山頭火を紹介する著書を数冊出した。これがマスメディアの目にとまり、新聞各社が山頭火を取り上げるようになり、一気に山頭火の名が全国に知れ渡った。この、大山澄太氏の存在がなければ、山頭火が世に出ることはなかった。なお、瑞泉禅寺、報恩禅寺、大慈禅寺に建てられている山頭火の句碑は大山氏の寄贈によるもの。

▼雲水であったことが幸いだった
 熊本市で事件を起こし、報恩禅寺の望月義庵に預けられ、大正14年得度したことが、後の雲水としての行乞の旅や、俳句の評価にもプラスに働いた。ただの放浪者だったらはたしてどれだけの支援や評価を得られただろうか。

▼名家育ちのお坊っちゃん
 山頭火は多くの人たちに支えられていた。しかし、山頭火自身は「人の迷惑顧みず」的なところがあったが、それは山口の名家のお坊っちゃんとして育ったことが影響していると思われる。

▼味取観音堂でも落ち着かず
 得度した3ヵ月後、望月義庵は山頭火の自立再生を期し、味取観音堂の堂守をさせる。しかし、山頭火がここに在籍した1年2ヵ月足らずの間も、故郷山口に帰ったり、亡くなった知人のお参りに佐伯に旅行したりして、実質的に堂守を務めた日数は少ない。