徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

「こむらさき」 の はなし。

2014-03-13 20:41:43 | 熊本
 初めて熊本ラーメンなるものを口にしてからやがて60年近くが経とうとしている。最近では前ほど食べなくなったが、やはり熊本ラーメンは好物の一つだ。僕にとっての熊本ラーメンのお初は、熊本ラーメン元祖の「こむらさき」だ。しかし、僕が初めて「こむらさき」の暖簾をくぐった時、既に最初の広丁から上通り(現在の上通本店)に移っていた。「こむらさき」が上通りに店を出した頃、僕の母は近くの幼稚園に勤めていたが、当時の園長先生の昼食は、毎日「こむらさき」のラーメンだったと、よく昔話をする。
 ところで、「こむらさき」という店名の由来だが、開業した昭和29年当時、既に鹿児島に「こむらさき」という人気のラーメン店があったので、それに倣ったのだという何とも安易なネーミングの話を聞いたことがあるが、本当にそうだったのかどうかはさだかではない。ラーメン店に限らず、およそ「こむらさき」と名のつくものはほとんどが、歌舞伎の「権八・小紫」もので知られる実在した吉原一の花魁、三浦屋小紫にあやかっていると言ってよい。江戸時代前期の延宝7年、愛人の白井(平井)権八が辻斬りなどの罪で死罪となったあとを追い、権八の墓前で自害したと伝えられる。以来、「小紫」という名前は特別の名前になったらしく、吉原に限らず、各地の遊郭に、「小紫」を名乗る遊女が出現したという。熊本の二本木遊郭にも「小紫」を名乗る筆頭格の花魁がいた。おそらく熊本ラーメン「こむらさき」の創業者もそんな話は承知の上で店名を付けられたものと思う。