徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

宮本武蔵と熊本のはなし。

2014-03-16 23:21:32 | 歴史
 テレビ朝日で二夜連続、木村拓哉主演のドラマ「宮本武蔵」をやっていた。「なぜ今宮本武蔵?」と思いながらも気になって見始めた。僕にとって、物ごころついてから、最初に読んだ長編小説は吉川英治の「宮本武蔵」だったから、僕の中では各キャラクターのイメージが確立していて、それは絶対譲れない。だから映画やドラマでイメージのギャップが大き過ぎると、とたんに見る気が無くなってしまう。今回も案の定、一回目の半分も行かないうちに見る気が失せた。



 それはさておき、宮本武蔵は熊本藩主・細川忠利公に招かれて晩年を熊本で暮らしたので、熊本には武蔵ゆかりの地が沢山ある。僕が見た所をあげてみると
 ・武蔵塚 ・泰勝寺跡の供養塔 ・岩戸の里の霊厳洞 ・千葉城町旧居跡 ・谷尾崎梅林公園の座禅石 ・小峰墓地入り口前の引導石 等々。中でも泰勝寺跡は年に7、8回は行くので最もなじみ深い。 
 これも以前、このブログに掲載したが、郷土史家の鈴木喬先生が生前、武蔵と泰勝寺の関わりについて、とても興味深い話をされているので再掲したい。

▼宮本武蔵と泰勝寺(郷土史家・鈴木喬先生)
 泰勝寺というのは細川家の菩提寺ですよね。忠利公が小倉から熊本に来る時にお祖父さん(藤孝公)とお祖母さん(光壽院)とお母さん(玉子=ガラシア)、この三人をあそこに祀るんですね。それでお祖父さんの戒名である泰勝院を使って「泰勝院」と名付けました。で、お父さん(忠興公)は八代に行っているんですが、お父さんはお父さんで自分の父を祀る所を八代に作って同じく「泰勝院」と名付けるんですね。ですから「泰勝院」が二つできるわけです。その後、忠利公の方が先に亡くなるわけですが、忠興公が亡くなると、次のお殿様(光尚公)が八代の方を廃し、熊本にまとめて「泰勝寺」とするわけです。細川家にとって初代夫妻と二代目夫妻を祀った一番大事なお寺ですから、そこのお坊さんには一流のお坊さんを連れてくるわけですね。最初は沢庵禅師に来てほしかったらしいのですが、なにしろ沢庵禅師は将軍様(徳川家光公)のお声がかりなので無理ということで沢庵禅師のお弟子さん(大淵玄弘)を連れてくるんですね。そのご住職と武蔵はとても親しい。そしてそのお弟子の春山和尚とも親しくなります。まだ若いけれど利発だったから武蔵も楽しかったのでしょう。とても親しくなります。武蔵にとって泰勝寺は、殿様の菩提寺であることやご住職とその弟子とも親しかったということもあってしょっちゅう足を運んだことでしょう。ですから武蔵が死んだ時は大淵和尚に引導を渡してもらったという引導石が入口に残っています。そういうわけで武蔵と泰勝寺は深い縁があるわけですね。