徒然なか話

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「花燃ゆ」ゆかりの地 防府

2015-01-11 20:07:44 | 歴史
 もののふの 仇に勝坂越えつつも 祈るねぎごと うけさせ給え

 これは幕末の女流歌人であり、尊王攘夷運動に共鳴して勤王の志士たちを支えた野村望東尼(のむらもとに)の歌である。
 慶応3年(1867)薩長連合の討幕軍東上を聞き、望東尼は七日間断食をして、身を寄せていた三田尻の同人、荒瀬ゆり子宅から防府天満宮に参詣し、一日一首の和歌を手向けて討幕軍の戦勝を祈願したという。
※右の絵は内田青虹画「野村望東尼」

 30数年も前、防府に住んでいた頃、アパートからまだ幼かった子供たちを連れて近くの桑の山によく登ったものだが、お決まりのコースの途中に野村望東尼のお墓があった。そしてすぐ近くの大楽寺には楫取素彦(小田村伊之助)と妻の美和子(文)のお墓もある。


※写真は「花燃ゆ」ゆかりのスポット(おいでませ山口写真館より)
※いずれもクリックして拡大
(左)防府市桑の山南麓の野村望東尼の墓 (右)萩と三田尻を結ぶ萩往還の終点、三田尻御舟倉
(左)防府天満宮 (右)志士たちが密議を重ねた宿屋暁天楼
(左)政変で京を逃れた三条実美らが滞在した三田尻御茶屋 (右)旧長州藩主毛利家の毛利邸